「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成16年(2004)11月26日
経済繁栄を謳歌する広州で「反日感情」は希薄
若者には”日本ブーム”の兆候も窺える
ともかく中国は広い。
奥地で暴動、沿岸部の大都市では先進国なみの消費生活。
「四川省や重慶、河南省で暴動があったのを、あなたは知っていますか?」
広州の目抜き通り、夥しいブティック、デパート、屋台、レストランが並ぶ北京路で、若者に聞いてみた。
付近には回転寿司レストランが幾つもあって、家族連れで賑わっている(一年前の倍以上に増えた気がする)。
商店街で目立つのは日本語の看板。
とくに「代官山」「六本木」「渋谷」など東京の有名な盛り場名を冠して、商魂たくましく客引きの目玉にしたり、商品名でも「の」が入っている食品やらブティックが多い。
(ためしに買ってみたスナックには「味なべ」「味のい出逢」「北海のとつきゆう」「食品の時代の流行」などとある。
いずれも意味が通じない。「味比べ」「味の良い出逢い」「特級」という意味だろうが、いや、日本だって”ナウい”とか”ボデコン”とか意味不明の英語をならべたコマーシャルの氾濫をみれば納得もいく)
(Tシャツの意味不明の日本文字も同じw
つまり、かつての日本での英語並みに、日本語表記はカッコいいというわけだ)
町をそぞろ歩きする若者の身なりは日本と変わらない。ラフなズボン、スポーツ・シューズ。革ジャンも高級品を羽織っている青年がいる(また脱線だが、高級衣料は日本の十分の一の価格)。
(つまり所得比較が10分の1だから、合わせて売ってるw)
アベックは腕をしっかりと組み、指をからめ、串刺しの焼き肉やアイスクリームの立ち食い、携帯電話が唸り、安売り衣料スーパーには凄い人だかり。
大声をあげて呼び込む売り子のスタイルも日本と同じ。下品でもある。
「ユニクロ」ではなく「ジョルダーノ」(GIORDANO)が中国ではもっとも有名だが、ちょうど冬物セールの最中だった。
値段は日本と変わらないか、すこし安い。やはり若者がたかっている。結構、高い商品が売れている。
「暴動だって?」「この繁栄を見てくれよ、誰も人生をエンジョイしているって感じを受けませんか?」
ひとりだけ重慶出身の若者が教えてくれた。「重慶暴動の萬州区って、あそこは三峡ダムで水没するため立ち退かされて流れ込んだ住民が殆ど。知り合いからの携帯電話で暴動のことは知ってるけど、多くの重慶市民は関心がないっ」。
広州は昔から国際都市として発展してきた。
アヘン戦争の舞台は、この広州を中心として虎門、厚街、順徳、番寓、東完、中山などに砲台をしつらえ、後に孫文は黄補(広州郊外)にエリート軍人を養成する軍事学校を開く。
(黄埔軍官学校)
第一次国共合作では国民党も共産党も、ともに机を並べて抗日の軍事訓練を行った。その拠点が広州である。
革命後、文革までの鎖国時代にも広州だけは「広東(広州?)交易会」でにぎわい、多くの日本の商社も商談に駆けつけた。
広州を中心とする広東人の誇りは「先進性」「革命の先駆者」、だから途中から革命の成果をごっそりもぎ取って政権を握るや広東の革命家を冷遇した毛沢東や周恩来を広東人はあまり高く評価していない。
(その代替作用なのかどうか、中山記念堂では孫文夫人宋慶齢の映画やら写真が陳列されていて売店でも孫文と並んで切手やらバッジを販売している。でも、宋慶齢は海南島生まれ、せっこう(浙江)財閥出身だけど。。)
そもそも孫文が生まれたのは広東の中山(香山県の貧しい客家の農民の子で、14歳=中3生から先にハワイに移住して成功したいた兄のところに移りそこで米国式教育を受けた)県であり、革命の導火線となる恵州蜂起も広東の革命家たちが先走ったフライングという位置付け。
ともかく孫文の評価は意外に高く、その分、湖南省出身の毛沢東、劉少奇や天津閥の周恩来を嫌うのだ。
(直裁に「嫌いっ!」とはいえないから、傾向違う別人を特別持上げるという支那人の傾向w)
したがって広東における歴史記念館や烈士霊園なるものは、率直に言って反日色が薄い。
反日感情よりも、広東人は「反北京」「反中央」である。
(孫文ったら中華民国国民党だもんネw)
しかも露骨に態度にでるのは「反上海」なのだ。
それはたとえば観光客どころか中国人も滅多にいかない「広州起義記念館」の庭園に建立されている十人の革命家の銅像は全員が広東人。飾られている写真パネルも葉剣英、澎湃など。
広州のど真ん中にある烈士記念公園のなかに歴史博物館に対面して葉剣英の巨大な墓がある。
この葉剣英こそは広東にとっての「革命元勲」、かつて四大将軍の一人として林彪、澎徳懐、朱徳と並んだ。
別名「広東覇王」。
かの文革中もトウ小平は、広東に逃れて、葉剣英に庇護されて生き延びた。だから息子の葉選平は、ながらく広東を治めてこの地に君臨し、中央に反旗を翻した。
烈士公園の園内には中ソ友好記念堂が残り、大きな石碑には中ソ永遠の有効を記念する云々と書かれている。
だが、いまとなってはその由来を知る若者も少なく、葉剣英の墓は訪れる人が稀になった。
日曜の公園にはバトミントン、太極拳、歌声喫茶のごとき歌謡教室、ぶらぶらと散歩する夫婦。池には遊覧船、ボートが浮かび、傍らの四阿では、京劇のセリフを唱える老人のグループ。まさに天下太平である。
(たまたま日曜日に行かれたからで、ソレは平日も変わらないでしょw)
すぐ南に隣接する順徳市は国連から、「世界で最も豊かな地区の一つ」と認定された。
FAO基準で「エンゲル係数が30%以下が「最も豊かな層」と規定されているが、順徳のそれは27%。
住民一人あたりの(【年間】でしょ?w)可処分所得は15,099元(196,287円)となり、2004年第三四半期までの(コレも【年間】でしょ?w)給与所得平均が24,338元(316,394円)となった。
順徳は香港の不動産王のひとり、ヘンダーソンランドの李兆基や、ブルースリーの生まれ故郷としても知られる。
「暴動? 知りませんねぇ」という市民の反応は嘘ではないようだ。
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