ついでガダルカナルが太平洋戦争のターニング・ポイントとなったと総括され、日本軍の夥しい死体の写真。
そして43年12月のカイロ宣言では蒋介石出席の写真があり、脈絡もなく「中国兵の死体」の写真。
ついで五台山を日本軍から「奪回」とある。降伏して日本軍が陣地を降りてきて武装解除したのに、まるで共産党が勝ったみたいな錯綜表現。
さて、毛沢東のもとへ民主各派のリーダーが揃った。かれらは49年10月1日、毛沢東が中華人民共和国の宣言をしたとき、全員が雛壇に並び、やがて利用価値がなくなると、全員が粛清された。
そのあとの話は、もちろん一切出てこない。
日本が投降したときの儀式は蝋人形模型。そのうえで当時使用した机と椅子と柱時計を並べ「前事不忘、后事之帥」とある。
この先から展示は一気に現代へ飛んで、72年田中角栄の訪中、毛沢東との握手の写真。
そして村山富市が95年5月3日に、この抗日記念館を訪れて揮毫した「歴史を直視し日中友好、永久の平和を祈る」の写真。
おや、よく見ると村山の揮毫の後に立っているチョボ髭男。何処かで見た顔だと思いきや、かの槙田邦彦センセ(現エジプト大使)ではないか。
最後に何気なく日本の憲法九条が飾られ、永久に戦争を放棄した日本となる。(この最後の展示品だけ、日本が注文でも付けたんでしょうな)。
さて、これでおしまいではない。
出口にもうひとつ「日本軍暴行館」なる、おどろおどろしい特別展示があるのだ。
その凄まじい中味たるや、「重慶爆撃」の図。
「日本軍が物資略奪し、日本に輸送」(満州経営は日本のGDPの43%もはたいての“持ち出し”だったのですがね)。「日本軍が行くところ、ニワトリや犬さえ居なくなる」と解説。ここで吹き出した。
二年前にも見学のおり、この箇所は「日本軍が通過した跡はぺんぺん草も生えなかった」とあったように記憶するが、いずれにしても、この「日本軍」の箇所を「八路軍」「国民党」「共産党」とあてはめ直して読むとよく分かる。
南京30万人虐殺は、この記念館でも「歴史的事実」とされ、市民を生き埋めにしたり、中国の青年を的に銃剣練習の日本軍やら三人の将官が(人殺しのあとに)日本刀の血をぬぐっている写真(「軍刀」と「日本刀」の区別はわからないらしい)。
例の嘘八百と分かっている「百人斬り競争」の東京日々新聞の拡大コピィには「向井106vs野田105」。
これで最後かと思いきや、本当に最後の展示室は、突然証明も明るくなって、音楽も鳴り響き、なんのこっちゃ。「共産党のゆくところ、みんな民主化され、民主政権の誕生に人民が踊り出し」、「八路軍の入城を驚喜して出迎える民衆」(30人程度)の写真。そして「人民戦争大勝利」ってわけです。
これだけの嘘八百を並べ立て、なんでもかんでも共産党の勝利となるわけだから、無知蒙昧な大衆を欺瞞できても知識人はだませないだろう、と思ったけれども、来年は、もっとわかりやすく漫画チックに改竄し直すのでしょうかねぇ。
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