(朝雲新聞 2003年9月25日付)
旧軍遺棄化学兵器
中国から6隊員帰国
砲弾51発など回収
旧日本軍遺棄化学兵器の発掘・回収事業で、中国河北省石家庄市に派遣されていた陸自隊員6人が帰国し9月17日、防衛庁で石破防衛庁長官に帰国を報告した。
石破長官は「この事業は長期にわたるようだが、これからも頑張ってほしい」と、隊員の労をねぎらった。
同事業は化学兵器禁止条約に基づき、中国内に遺棄されたといわれる約70万発の旧日本軍の遺棄化学兵器を回収するもので、日中両国が平成12(2000)年から実施している。
日本側は内閣府を主管に外務省、防衛庁、日本国際問題研究所軍縮不拡散促進センター、民間専門家ら40人前後を毎回派遣している。
今回、防衛庁から派遣されたのは内閣府遺棄化学兵器処理担当室に出向中の金子寿弥、秋山将之両3佐をはじめ福島恵3佐(4化防隊)、岩上信男(10特連)、中村和弘(北海道処)両1尉、名取賢児(1化防隊)、内田輝彦(101不発弾処理隊)両1曹、雑賀誠2曹(3師団付隊)の8人。
9月3日に成田を出発、同6日から19日まで河北省石家庄市白鹿泉で遺棄化学兵器の発掘・回収作業で51発を回収、金子、秋山両3佐を除き6人が同16日に帰国した。
★防衛庁はこれまで、平成12(2000)年9月に黒龍江省北安市に自衛官10人、同14(2002)年9月に同省孫呉県に同8人をそれぞれ派遣、発掘・回収作業を指導している。
慎重に化学砲弾発掘
通常弾と違う怖さ
75ミリ弾が51発 地下1メートル腐食が進む
「化学剤入りの砲弾を扱うのは初めてだったが、事前の訓練どおり作業ができた」──。
旧日本軍遺棄化学兵器の発掘・回収事業で中国に派遣された陸自隊員8人のうち6人が9月16日、任務を終えて帰国した。
発掘現場は首都・北京の南西約300キロの石家庄市白鹿泉という山間の地で、旧日本軍の化学砲弾等51発の回収作業に当たった。暑さの中、同6日から行われた10日間の作業を振り返ってもらった。
遺棄化学砲弾の発掘現場に立つ陸自派遣隊員。防護服を着用し、エアホースで空気の供給を受けている
防護服の内側は汗でびっしょり
今回、政府から派遣された日本側スタッフは自衛官8人のほか、民間技術者ら合わせて39人。
自衛官は武器、化学科職種の砲弾や化学防護の専門家だ。
帰国した6隊員は4化防隊・福島恵3佐(42)、10特連・岩上信男1尉(43)、北海道補給処・中村和弘1尉(29)、1化防隊・名取賢児1曹(38)、101不発弾処理隊・内田輝彦1曹(37)、3師団付隊・雑賀誠2曹(39)。
派遣前の7月に英国の国防省化学技術研究所(DSTL)で約2週間、化学砲弾の探査、検知、掘り出し、回収、安全化処理などの注意点や取り扱い方法を研修、万全の態勢で臨んだ。
発掘現場は石家庄市街から車で約1時間、山間部に入った白鹿泉という山の中。
★中国側が仮の保管場所としていたところで、10メートル四方の広さがあり、砲弾は地下約1メートルに埋設されていた。
福島3佐が現場指揮官となり、幹部と陸曹が2人1組でチームを組み、さらに武器科と化学科を組み合わせて作業に当たった。
現地は日中の気温が最高で36度、発掘現場の天幕内では40度にも達する予想以上の暑さだった。
このため午前と午後の約2時間ずつを作業に充てた。それでも「1組30分交代でローテーションを組んだが、ゴム製の防護服を着ているので大変な暑さで、汗が長靴や手袋の中にたまってひっくり返すと流れ出るほどだった」(福島3佐)という。
発掘・回収した旧日本軍の75ミリ化学砲弾を示す派遣隊員。
窒息剤のホスゲンが封入されており、ひどく腐食が進んでいる
中国側のスタッフは約150人。こちらも交代で発掘作業に当たり、砲弾の手前10センチ程度から自衛隊員が慎重に手作業で掘り出した。
化学剤が漏れていないか検知器で確認しながら作業が行われ、掘り出した砲弾にはその場で識別票を貼付、データシートを作成し弾薬箱に納める という手順で行われた。
今回の任務について化学科職種20年の雑賀2曹は「弾殻は薬きょうがついていて腐食しており、やはり緊張を強いられる作業だった」という。
沖縄で不発弾処理12年の経験がある内田1曹は「化学剤は漏れれば危険であり、通常弾とは違った怖さがあった」、同じく化学科隊員の名取1曹は「あらためて化学剤の怖さを実感。プレッシャーの中で安全にできたことが自信につながった」。
武器科の岩上、中村両1尉は「初めて顔を合わせる臨時編成だったが、整斉と作業できたのはそれぞれがプロフェッショナルだったからだと思う。無事故で作業を終えてホッとしている」と、それぞれ語った。
発掘した砲弾等は51発で、いずれもさびや腐食が進んでいた。幸い化学剤が漏れているものはなかった。砲弾の種類は75ミリ砲弾だったという。
6人は16日に帰国したが、現地には内閣府遺棄化学兵器処理担当室に出向している秋山将之、金子寿弥両3佐が現場に残って砲弾の鑑定などに当たり、19日には今回予定されていた回収作業をすべて終えた。
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