西村幸祐『反日の構造』(PHP研究所)
◇
中国のサッカー場で「反日ブーイング」がおきた。韓国、北朝鮮では年中行事化している「反日」。
極めて奇妙なのは、韓国も中国も、それならとぐろを巻くほどの反日の坩堝かと言えばそうではなく、彼らの「反日」が、むしろ日本に跳ね返って、日本のマスコミという「一方的な拡声器」ががなりたてるために「教科書」も「靖国」も「拉致問題」も、まともな論理からずれてしまったという現実だ。
要は「危機の本質を自覚できないこと自体が、最大の危機」であるのだが、そればかりか、「その<反日トライアングル>に攻撃の武器を供給し、援助し続けているのが日本」というのが「反日の構造」だと著者の西村さんは解明されている。
しかし、その背後で煽っているのは、いったい誰?
「反日の真犯人」探しの旅、という副次的性格を本書はもつ。
むしろ日本国内に日本という国家を食いつぶそうとしている妖怪がいる、NHKにも、官公庁にも、大新聞にも、テレビ局の中枢にも。
彼らを野放しにした結果、日本は亡国の危機に立たされたと西村さんは鋭く焦点を「伏魔殿」のお化け達にあててゆく。
西村さん、わざわざ憂国忌の会場に本書を持参して下さった。発売前日である。
小生としても早く読まなければいけないと考えながら、憂国忌の後、墓前報告祭を多摩霊園で有志相集って済ませた。これも例年の行事で、事件後は一年に四回行っていた。過去十五年ほどは毎年一回。多摩霊園には従って数十回は通っている。
さて、多摩霊園へ向かう電車のなかで半分ほど読み進む。
北朝鮮拉致を長い間、「テロ」と認定しなかった政府と、日本の妖怪マスコミが如何なる論調を張ったか、本書は丁寧に追跡している。
中国の反日キャーンペーンは江沢民が組織化した。
(これは単に「天安門事件」で顕在化した中共内部の危機逸らしの「政治的手段」でしかない)
天安門事件で世界に孤立しそうになった中国、支配が根本から揺さぶられ、壊滅の危機を感じた共産党が自らの悪政、失政を「日本が悪い、日本が悪い」と巧妙に問題をすり替えて「かれらの」危機を回避する梃子に「反日」を利用したことなどが克明に叙せられている。
(ここいらの整理だけでも、読んだほうがいいかもな)
また、このような中国の言い分、北京の政治宣伝を咀嚼もしないで報道する大手マスコミの偏向に対して「2チャンネル」が閉塞思考空間に風穴をあける作用をもたらしたと、新メディアの言論空間の意義に焦点を当てている箇所は新鮮だった(なにしろ小生、2チャンネルを見たことがないのだが、或る読者が毎日のよ
うに2チャンネルで目立つ意見をダイジェストして送って下さるので最近概要は把握している)。
多摩霊園における三島由紀夫墓参からの帰りに後半を読んだ。
朝日新聞とNHK、TBSがいかように真実をねじ曲げ、意図的な報道を行ったかを克明に追っている。これは日本における謀略報道の解析記録にもなっている。
さて最終章を開いていささか驚いた。
反日運動のトレース作業とは直接関係のない、イラクで「殉職」した奥大使と井ノ上氏のことがでてくるからだ。
どんな関係があるのか?と訝りつつ読み進むと「誰が決断をするかという主体を探しあぐねている間に、奥、井ノ上両氏が殺されたのではないかという絶望」、「国家意思を持てない国家。持てたとしても、その国家意思の薄弱さは目に余るものがある」と、本質を喝破され、それから先の文章が本書の大団円に流れ込む設定になっていたからだ。
日本が致命的に欠乏させた「決断」と「名誉」の問題。
それをライシャワーの教え子だったズウィック監督が「ラスト・サムライ」という映画にした。
映画「ラスト・サムライ」に隠されたテーマこそは、昭和45(1970)年11月25日に割腹自決を遂げた三島由紀夫の最後の檄文のアナロジーではないか、と西村さんは書き込んでいる。
はたと思い当たった。西村さんがわざわざ憂国忌の当日に、この本の見本をもって会場に駆けつけてくれた本当の理由が!
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