四、靖国、日本再生の原動力

戦後の日本社会は、平和を絶対善、戦争を絶対悪としている。

しかし、平和を守れと叫びながら、国を守ろうとしない平和は、他国から恵んでもらう奴隷の平和でしかない

世界的なテロの横行を見ても、平和は欲しいが、平和を守るための力はいらない、という理屈が非現実であることは明白であろう。

それは、健康は欲しいが、体を鍛えるのはいやだ、と言っているようなものだ。

自分で自国を守る意志がなければ、他国に平和を守ってもらう属国となる以外に道はない。

親中反日派が靖国参拝に反対するのは、日本の無力化を望んでいるからなのだ。

これは、日本民族の魂をつぶして、日本を滅ぼそうとする陰謀に違いない。

実際、中国の李鵬元首相はオーストラリアの首相に「日本は後30年でこの地上から消えていく」と言った。

ある青少年相手のアンケート調査によると、日本に外敵が攻めてきたらどうするかとの質問に対し、降参するか逃げるかという回答が圧倒的に多かったそうである。

日本の将来を担っていく若者の現状を見ると、親中反日派の陰謀は達成されつつあるのだ。
 
靖国神社が国を守る意志の象徴の一つであることは、賛成派も反対派も認めている。

靖国神社への参拝は、日本を守る意志の表現だから、反日国は日本の首相の参拝に反対するのだ。

日本の首相なら、「不戦の決意で参拝する」などと誤魔化さないで、「国を守る決意で参拝する」と、堂々と宣言すべきであろう

それが国の安全を守る責任者としてのあるべき姿勢なのだ。

指導者と国民に自国を守る強い意志があればこそ、国民は真の平和を享受し、幸せに暮らせるのである。

国民の代表である首相が、英霊に敬意を表し、公式参拝することは、国民全体の志気を高め、平和と安全に貢献することになるのだ。

戦争を阻止できるのは、不戦の決意ではなく、国を守るためには命を投げ出すことも辞さない国民の強固な決意である

総理が堂々と靖国神社を参拝する気概が、日本の平和と安全に貢献することになるのだ。

もともと、日本は尊敬できる気概のある国であった。

一般的に親日と言われている台湾人の親日感情の原点も、「日本精神」に対する憧れにある。

台湾人が名付けた「日本精神」(ジッブンチェンシン)とは、私利より公益を優先する道徳感、自分たちの国家と伝統を守る気概なのである。

しかし、残念なことに、台湾人が憧れている「日本精神」は、戦後の日本では失われたままになっている。

それまで善としてきた価値観は悪となり、伝統価値観の崩壊によって、日本人のアイデンティティも失われた。

そのために日本は、虚無感の漂う無気力な国になってしまった。

総理の靖国神社公式参拝が論争の的になったことは、日本人のアイデンティティが問題にされていることの現れでもある。

靖国神社参拝がを他人事のように傍観している一般の日本国民のアイデンティティも問われているのだ。

国民の多くが自国の魂に無関心だから、親中反日勢力が跋扈することにもなるのである。

反日勢力が執拗に靖国を攻撃するのは、英霊の魂が宿る靖国が日本精神を再生させる力を秘めていることを、彼等が直感的に知っているからであろう。

ずばり言えば、日本再建の鍵は靖国にあるのだ。

靖国は国を守る気概の象徴であると同時に、日本民族再生のエネルギーの源にもなるからである。

日本以外に、国を守る国民の意思の象徴たる施設への参拝が、論争の的になっている国が存在するであろうか。

どの国でも、このような問題は論争の対象にはならない。

国を守る必要があるかどうかという議論自体がナンセンスだからである


国を守ることは、家庭を守ることと同じように、議論はいらないのだ。

反日勢力の議論に乗ることは、靖国の原点を見失うことにもなりかねない。

靖国神社は議論するための存在ではなく、参拝するための存在なのだ

論争はやめて、靖国神社参拝を国民運動として展開する方が、はるかに有益であろう。

すべての政治家にも靖国参拝を要求し、参拝しない政治家に対しては落選運動を起こして、二度と当選できないようにする。

国民がみな参拝するようになれば、靖国神社は日本を救う力となり、日本は再生するであろう


強大な経済力を持つ自由民主国家の日本が、自信とアイデンティティを回復して、自国と東アジアの平和と安全を守る決意を持つようになれば、大いに世界平和に貢献することになる。

一日も早く日本人が民族の魂を取り戻して、日本が世界に信頼される強力的な国家になることを、日本の友人として、心から願ってやまない。

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