いっちょう、戦争でもしてみないか?w
2004年12月6日
【家族の事件簿】リセット自殺 一人で生きることの深淵
台風上陸の時だ。八年ぶりに美登里から電話があった。
「せんせーい」と年頃の娘なのに、口調は高校生の時と変わらない。
「私さぁ、自殺未遂しちゃってェ…」。
内容の割に声が高くて明るい。「そうか、そこまで真剣に生きようとしたんだなぁ」などとトンチンカンなことをこちらは言う。
驚きはしないが、切なさが強まる。頭の中の風速計がフル回転している。
「未遂でよかったな。オレは十九だった」「私は二十六になった」…そんな会話が進む。
「病院で目が覚めたら無性に先生に会いたくなって」と、急に泣き声になる。まだ感情の高波がある。
美登里は両親が役人だ。さして厳格でもないが、生き方を貫いている。中学のころからどこかギクシャクしていた。一度は崩れて男や遊興に走ったけれど、すぐに回復した。「真剣に生きないとね」と当時ふとつぶやいていた。
親は作文研があったからと言ったが、半分は違う。ここの生徒たちが美登里を包んだ。そしてあちこち引っ張り回しながらも崩れそうな心をもみほぐしていった。そんな仲間に依拠して、いつしか自立して去った。これでいいだろうと思った。
彼女はモデルになった。ランクがあるそうで、そこそこなのだと言っていた。親から離れて一人暮らし。相変わらずうまくいっていない。
それでも薬を飲み、手首を切った彼女を見つけたのは六感が働いた母だった。親子とはそんなものだ。もつれなどどこにもある。
わざわざ孤独になり、人間関係も仕事も行き詰まり、自殺を図る。一人で生きることの深淵を垣間見た者は時として引きずりこまれる。
行動はしないまでも、同質の心情は多くの人たちが持っている。見て見ないふりをして人と浅く繋(つな)がろうとする。
「もう死ぬなよな。死ぬ気で生きようぜ。オレもそうしてきた」と言った。「うん。このままじゃ死んでも死にきれない」。歴史に残る遺書を書く勉強でもするかと、後はばか話。
先日、深夜に電話があった。「『もう大丈夫だよ』と言って、両親と温泉に行った。腫れ物扱い、爆弾扱いよ」。どんな親でも親は親。子は子。
「仕事紹介して!」「あのなぁ…」。この子は何度もリセットしてきたのだ。
(国語作文教育研究所 宮川俊彦)
「社会的連帯感の欠如」
anomie(フランス語):
社会会的規範や価値体系が崩れ、社会が混沌とした状態に陥っていること。自己喪失感。精神的不安感。
最近は「若気の至り」じゃすまんなぁ。おやぢも、多そw
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