岡崎氏も「世代交代を待つ」、一般的には「タマラン、クビにせい」w
2004年12月7日(宮崎正弘氏メルマガから)
(略)
(読者の声2)
私は現在、アメリカの大学で歴史を勉強しておりますが、ここでは、アメリカ史を、教える先生は、愛国心というよりも、むしろ「アメリカ人としての誇り」を持たせる歴史教育というのを、きちんと教えています。
先生とは少し見方が違うと思いますが、アメリカでは、保守、リベラルに関わらずに、生徒に、誇りを持たせる歴史教育をほどこしているように思います。(大学の左傾化は、著しいようですが。)
私は、いくらか、この連中と、不十分ながら、話をしましたが、やはり、彼等の歴史教育の根底には、「愛国心」と「アメリカ人としての誇りを語り継ぐ」という考え方があります。
私が日本の教育機関で、小学校から大学までの間に受けた歴史教育でこんな考えを、持った先生は2人の例外を除いておりませんでした。
あったのは日本がいかに悪い事を近代にしてきたか、またはいかに庶民が権力者に、搾取されてきたかということだけでした。
歴史教育というものは本来、過去の祖先達を、不当に貶めるものではなく、過去の栄光と失敗の両方を、暖かい眼差しをもって、教えるべきものではないか?というのが、私の考え方ですが、我々の国では、祖先と現在の政権を、断罪するための道具に成りさがっているのが、現状ではないでしょうか?
この動きは教育現場だけではなく、巷にも見られるように想えてなりません。
ご存知かどうかはわかりませんが、例えば一時期、一部で話題になった副島隆彦氏の、「属国日本論」という書籍が、ございますが、この副島氏は、明治の元勲の1人である副島種臣の御子孫だそうですが、氏なぞは、日本史に、愛着よりはむしろ憎しみをもっておられるかのような描写が、「東アジアの土人」という言葉に見られるように、非常に多く見受けられるのです。
私の読解力不足だと良いのですが、氏の書いたいくらかの著作を読んでおりました時に、日本と、その過去の歴史に対する蔑みと憎しみが、行間からひしひしと伝わってきます。
この、副島氏の御著書を御読みになられたかどうか存じませんが、このように日本人、また日本の歴史を見下した書き方をした歴史本が、話題になったということが、現在の我々が共有する歴史教育の酷さを物語っているように感じられてなりません。
海外では中国人や韓国人による反日キャンペーンが巧みに行われており、またそれを利用する勢力もいるというのに、(このような日本の現状には)暗澹たる思いがいたします。
以前、元青山学院大学の先生と歴史教育についてお話した折りに、「歴史を教育するといっても、誰が正しい歴史を教えるのか? 教育できる先生が、いないのではないか?」と言われました。
我々は保守系論客による民間の歴史教師養成機関でも創って少しずつやっていく以外に方法はないのでしょうか?
最近の若い世代は、一切、歴史なんぞに興味無しという連中が、多い中、我々は、どうすればいいのか?という事を考えると、なんともやりきれない気分になります。
(宮崎正弘のコメント)
おっしゃる通りですね。ところで副島さん、学生時代は左翼の活動家。著作は一度も読んだことはありません。二回ほどお目にかかっていますが、※狷介な感じを受けました。著作は読む価値があるとは考えにくい。
若いひとの歴史知らずは、それはそれで仕方のないことでしょう。いつの時代でも、カルタゴの末期もローマの衰退期も同様でした。
日本が異なったのは、幕末に爆発的なナショナリズム運動がおき、それが数百年前の国学や伝統を甦らせたことです。
そういう意味で小生は若いひとに期待しております。
※狷介(けんかい):[国語(晋語2)「小心狷介、不敢行也]
(「狷」は頑固、「介」は固いこと。現時は多く悪いに使う)
固く自分の意志を守って人と妥協しないこと。
「狷介な老人」「狷介孤高」「狷介固陋(ころう)」
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