(極東ブログ)

(略)

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★英国王室には宗教的側面は無いですから……
女帝はいいですが、女系継承という事になると、
配偶者を選ぶ基準が無いから、なかなか難しいです。

★>英国王室には宗教的側面は無いですから

 気になったので調べてみました。

・イギリス国教会(Wikipedia)
「国王を教会の首長とし、かつては王権神授説を認めていた」
 これだけ見ると現在でも国教会の首長のようです。

・英国国教会(http://www.christian.jp/history/index8.htm
「イギリス国教会のカンタベリー大主教は教会を統一した歴史があり、国王の戴冠式を始め、王族の洗礼、結婚式、送葬式を司ります。」

極東ブログ記事の本文でも「王位継承者はカトリック信者を配偶者としてはいけないという規制」に触れられていますね。
現在はよくわかりませんが歴史的には宗教的側面が強かったとも思います。

もっとも宗教的側面といっても、国教会の成立過程からして政治と切り離すことはできませんが。

配偶者を選ぶ基準は、そもそも男系継承の場合でも、また皇族以外の一般人でも、なかなか難しいところですね。個人の判断があるわけで。

天皇の配偶者は生殖能力があることが望ましい、というのが最低限のラインになるのでしょうか。「皇統を後代に引き継ぐマシン」として人間を見ることには違和感があります。

★日本の場合、表向き女帝は存在していましたが、女系は存在してなかったわけで。

この「女帝」と「女系」の意味の違いが無知なオバちゃん主体のワイドショーレベルでは全くといっていいほど、語られないんですよね。

男女平等だから女帝で良いじゃん!って程度の認識。

つまり、それだけ、国民の大多数にとって本当の意味での皇室への関心は薄いと思います。

こういうふうにいうと、日本の歴史に疎い欧米のメディアは、日本の皇室は、国民からの関心が無くなり危機的状況だ、って面白おかしく書きますけど、おそらく、明治以前(特に徳川時代)の日本国民の大半は普段は天皇という存在のことを知らなかったと思う。

天皇という存在を強く意識していたのは、当時の権力者(徳川家、毛利家など...)の中が殆どだったと思う。

それが明治の代になって、日本の皇室は国民に目立つ表舞台に立ち、欧州の王室と同じ様な存在になった。

第二次大戦後は、大衆テレビの発達で、ますます国民に見える表舞台に立ち、動物園に居るパンダのような存在になった。

つまり、現在の日本の皇室は、本来にあるべき位置(万世一系で長く続いた原因になった場所)からずいぶん遠く離れた方向へ進んでしまった感がある。

ちなみに、欧州の王室に近いのは、徳川家や毛利家などのほうでしょう?

無理して女帝や女系での皇位継承を認めるなら男系断絶を機に、このまま、現在の皇室(アメリカに押し付けられた?憲法の枠内での皇室)の自然消滅が望ましいと思う。

仮に女帝を認めたとして、あの2、3人の内親王が広い皇居でポツンと置かれるのは、気の毒でしょう?

そして、自然消滅した後、旧皇族の間で皇統の会(憲法や皇室典範の縛りの無い)でも結成して、その中で天皇を決めれば良い。

実際、旧大名家などは、そういう一族の会を結成しているところが多いみたいですし、多いところは、月に一回ぐらいで集まっているみたいです。

こうしたほうが世間のお茶の間に天皇が登場することは少なくなるかもしれませんが逆に皇統の歴史・伝統・血の掟が守られるような気がします。

どうでしょうか?

★上のコメントは「皇室民営化論」の一種と読んでいいのかな?
と、ちょっと考えてしまった皇室民営化論支持者。


端的に抜けていると思われるのは、「縦の責任」欠如。

今だけを切り取って、その規範だけで論じても、やはり無責任だろな。もち論ずることはかまわんが、上記「ワイドショー」レベルと少し論点が加わっただけにしか過ぎないでしょ。

疑問点認識するだけで、いいんじゃないの?
所詮知識見識はないのだし。

ただ、「女帝あっても女系なし」が意外に早く一般化して、すなわち一応「古事記・日本書紀」時代から全くなかったことを今やろうとしているのかもしれないとの「認識」できただけでも、良かったとは思っているが。

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