ひ弱さが目立つな

2004年2月3日
例によって8時半にタクシーに乗った。既に客乗ってたはずの車が止まった。初めての”相乗り”のである。調子よさそなおやぢ運転手が話かけて来た。うまいね。10円とってまた先の客からなんぼ取る気やろw
途中(もう着くよw)電話で遅くなるとか言う。やっぱ所詮塾長もチャイ気質発揮か。なんで、8時に電話したんだけどとか見え透いたウソつくのかなぁ。昨夜なんで電話よこさんかった、で終わりじゃん。
結局15分待たされて、挙句にロビーでなんたらわけのわからんこと言う。教室に行っても、1時間以上意味不明なことを言ったな。
10時ちょい過ぎに気弱そな野郎が入ってきたな。遅くなりましたすみませんもなんもないから、風邪ひいたのですか?って聞いたら、いいえ、だってさw な〜んかわからんなw こんで面接終わりじゃん、ふつう...
シンセン大學日本語科4年生だという。後で言ったらしいのだが、大連のトップの高校卒業したのだが、成績足りなくて「経営学部」いけなくて日本語学部にまわされたので抵抗?あるんだってさ。な〜んでそんなのと、おれっちつきあわなきゃならんのよ。
そんでどーゆーわけだか、おれほっぽりだしてチャイ語でぐちゃぐちゃくっちゃべってて、な〜んかバカらしくなってきたな。何を説得wしてんのか。放っておけばいいじゃん。も、落第w
いきなり電話が入ってきたとか行って、塾長いなくなっちまったよ。しゃーないな、適当に問い掛けて会話成立させた。2時間後wに帰ってきたゼw んで、彼が気に入ったらww、一人授業をわたしがやるんだってさ。。。オイオイw
んで、帰りがけに昼飯は?っていうから帰るってタクシー拾った。じゃ今日の交通費って。。。。貯めとけ!って言って無視した。
バカが! 道路ッパタで20元ぽっち、ガキの女から、大の日本人社長が、もらうってか...舐められてんのかな。
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夕方寝wして8時に起きた。晩飯食ってバカな姪がウソ話くっちゃべってるのを無視して書斎でタバコ吸ってたら、塾長から電話があった。是非お願いしますってので、どのようなスケジュールでやりましょかってことらしい。8日日曜日だけ休みの14日まで10日間、午前2時間午後3時間のぶっとーしで何とか4年分やれるんじゃない、って言ってやった。しばらくして折り返してきた。おとーさんとしゃべって、くれぐれもと頼まれたんだと。一人っ子政策もそこまできたか、ってな感じだな。どーでもいいけど、ノートはシッカリもって来て取れヨって言ったよなって聞いたら、そこまで確認しなきゃだめですかってーから、そのレベルなんだからもいっかい確認の電話して明日9時ナ!で切った。ま、モルモットだな。がっつんシゴイテどの程度のモンになるか...第3週からは地元大学生も戻ってきて新しい講座を始めるわけだし、そいつらもこの一人っ子と同じ境遇なわけだし、格好の生体実験材料なわけだw
ビッグローブで大連で検索したら、ジェトロ大連事務所が出てきた。なんだ森ビルにあるじゃないか。それも図書館あり、閲覧ご自由にと書いてある。9時を待って電話した。閲覧にパスポートも身分証明書も不要。おまけにビジネス日本語公式ガイドも用意してありますという。売ってくれるかと聞いたら、それはできないという。じゃコピーさせてくれといったらはっきりいしない。身分証明書もって相談に行きますと言ってきった。塾長に電話して10時に森ビルロビーで待ち合わせした。5階に行ったらなんだ、身分証明書いらないどころか、カギがかかってるじゃないか。全然オープンじゃないじゃないか。とにかく呼び鈴ならして「さっき電話した○○です。」と名乗った。入ってすぐ左が図書閲覧コーナーである。領事館より遥かに多くの図書資料が開架式で展示してあった。「さっきの件、見せてください。」「少々お待ちください」まではよかった。20分待っても何の音沙汰もない。勝手に書架を探したが見当たらない。ビデオテープがあったのでそれの付録を見ながら閲覧席で座って待っていた。お待たせいたしましたの挨拶もなく「あのね、見当たらないので代わりのネ」...あったまきた。口の利き方気をつけろ!また例の言い訳が始まった。カッか来た。電話での間違いを咎めておるのではない。何で最初すぐに思い違いだったことを言って替わりので良ければ探しますといえないのか!ここは日本の商業宣伝代表処である。くだらん言い訳するんじゃない!まず済みませんの一言がいえんか!...ザワツイテタ事務室もw静かになった。後は済みませんばっか...最初の対応間違えるとどうなるか、よく学習せい。これが大連で10年目のジェトロ事務所の態度である。教育が全くなっちょらん。若い事務員だったが、上司の日本人が出てくるかと待ってたがその気配もない。ったく...10年でチャイ化したか。んでその、替わりに持ってきたビデオ、封も切ってないがどうすんだ。応接室に通された。使ってなさそうな広い応接の窓際のテレビをがちゃがちゃいじり出した。全く操作できない。つまり誰もあんなに沢山あるジェトロ宣伝ビデオを使ってないということだ。領事館の図書室もな〜んも使った気配がなかったし、外地の事務所は揃いも揃って何やってんのか。慌ててお茶なんぞを持ってきた。ったく、ちょいとデカイ態度だとへこへこしゃーがる。まるでチャイ気質丸出し。なんとかビデオ見れたが、全くつまらんジェトロ試験宣伝用だった。事務室に「ありがとうございました」って挨拶したのにな〜んも返事がない。馬鹿だな、こいつら。日本的ビジネス及び礼儀作法がどーたら言ってたビデオ作成した事務所の職員が、そのザマである。笑い話である。所長に挨拶しよかってら、お名刺いただけますかだってよぉ〜。居るってこんじゃん。狭い事務所で所長室で隠れてんのかよぉ。ざまぁねぇな。日本の恥。

こんなくだらんとこはすぐさっぱり忘れて、1階のUCCでコーヒー飲みながら、コピーしてもらったテープの付録について講義の計画を練った。担当社員と客とのロールプレイカードである。これをサンプルに初心者用から作成して使えばいいと言った。その通り。だからそれをすぐ実行するように言った。形が出てこないと先に進まないのだ。こっちに手間掛けさせるなと申し渡した。

これで帰ればよかったのだ。

なにやら友人が私に会いたいとか言い出した。塾にきたいのでどうのこうの、昼飯おごりたいのなんたらかんたら。わからんが別に家出るとき5時ごろ帰ると言ってきたのでかまわんが、と承知してタクシーで港のほうの四川料理店に行った。しばらくして、なにやら派手なお顔の女性がやって来た。身長も、後で向こうから言ったのだが171cmあるらしい。ダイエットで痩せたのだそうだ。自慢そうだが、こちとら一切興味なし。食いモンのほうは珍味が出た。アヒルの頭を勝ち割って甘辛く煮たやつ。でかいステンレスボールに、全くごっそり赤味唐辛子浮かべて煮た魚。この魚は何か、と聞いたら「鮎」だって。な〜にが鮎か。清流がどこにある。うまいので食ってたら骨がやたら固い。気になってこの魚見たいと言って玄関脇に置いてある生簀を見に行った。なんのこたぁない、鯰であった。臭み取りにあんなに沢山の赤味唐辛子使ってんだ。ハルピンで雷魚くったことあるぜってったら、雷魚って何?だってさ。百科事典つーもんが、ないらしい。

I55(米系喫茶店)の話になったら、もっと旨いとこ知ってるってな話になった。ここ奢ってもらってタクシーでその「いしやきwコーヒー店」に行った。ホントにドアにも「石焼珈琲」って書いてあった。鯰が鮎だったら、炭焼珈琲が石焼珈琲になってもおかしないんで、「それって石焼いも、のまちがいじゃ?」なんてな野暮は言わずにやって来たのだった。

外側はチャイ風にケバイのだが、「石焼」表示のドアを入ったら中は案外シックな作りになっていた。喫煙コーナーに案内してもらったらしい。メニューには「炭焼」と「石焼」があったがせっかくなので「石焼珈琲」を頼んだ。1杯30元なりである。深入り豆で苦味を強調したモノであった。台湾のチェーン店らしい。香港勢ではここまで日式やれない。日本人なら、あれほどチャイ式にやれない。ま、台湾だろとは思ってた。メニュー見たらトンカツから味噌汁に、サンドイッチにスパゲティ、ステーキもあるであよってなもんである。やっぱなぁw

その派手な顔及びスタイルの女性は、やっぱ中身も言うことも、派手だった。

来たのを後悔した。ここも奢ってもらっていいのかな?と念のため聞いたら、これからにゃにやら「日本人」と会うんで塾長が通訳してあげるのだから、いいのよってさ。な〜んだ、おれわ、ダシか。はたまた、繋ぎ、か。んじゃ、払わんでええわい。

タクシーでさっさと家に帰ってきた。

どーも、チャイな一日では、あった。

...と、塾長から電話。8時ちょい前。ネットで募集掛けたら、地元大連の野郎が、シンセンの外国語大學で日本語専攻したのだが、26日に日系企業の面接あるのに全然自信がないのでなんとか短期講義で入社したいんだとw 別にいいけどさ。んで明日9時、会社行きがてらいいよってったら、午後からとか抜かすから、こっちは面接してホントにやる気あるのかテストしてやるんだから、9時に来るならやってややるって言え!で電話を切った。な〜んか、わからん。何を安売りしようとしてるのか...
サービス講座最終日である。生徒のサンプルも十分揃った気がする。7時前に塾長から電話。タバコ頼んでる楊さんが今日来るので、タバコとコーヒー(もちインスタントw)頼もうかとのこと。
いいね、いいねぇw ちょうど切れました。是非、お願い申し上げます。9時前に女性3名。一人はタバコお願いしてる楊さん。ほか2名は初見。例によって自己紹介から始める。
二人とも日系企業の通訳であった。多分自信慢満で話したつもりであろう。いつも通りw、一番悪いところのオンパレードであった。逆に言えば、コレほどのサンプル(初学者にとっての反面教師w)はいない。即矯正した。例によってこの講座のスタンスの説明をした。私はコレで飯食ってないこと。チャイ語一切興味ない日系独資社長であって、この教室内は、極めて正確かつ明確な意味での東京のオフィスそのものなのである、ということである。こちらも何回も言っているうちに、基本的立場がはっきりしてくる。
二人とも大連地元の人たちで、かつ日本語を大学で専攻してきた連中であったので、日本からのお客さんを観光案内しなければならない機会が絶対あるので、どの程度大連を、それも日本統治(租借地)時代(1905年から1945年までの40年間の)史跡または現在もそのまま使われている施設が多いかを説明解説できますか、と聞いたら全くわかりませんということでしたw。
まぁ、まだ24歳で会社内通訳であるから致し方ないかもしれない。二人とも日系企業勤務で、ス○ー精密、日本○産である。開発区にあるメーカーで、進出の歴史は早いほうの有名企業である。
2002年の秋頃から、特に中山広場にある歴史的建造物には市政府がプレートを掲示してその簡単な説明がしてあるから、折りに触れて見ておくように言った。そのことも知らないようであった。行動の場が市中心部から車で40分以上かかる開発区であってみれば、これも致し方ないのかもしれない。
9時から11時40分までそのようなことで、日系企業通訳(しかし日本語能力試験は2級)であったから、まあまあ会話は成立したようであった。
1時に何人か来る予定だそうである。昼は大外近辺を散歩することにした。今朝家を出るときには少し雪がちらついていたのだが、風がなかったので暖かくなるだろうと思っていた。昼には太陽が顔を出して過し易くなっていた。
坂道を登って大學ゲストハウスの喫茶店に行った。休みだった。隣のレストランもやってないという。学生の帰ってくる2月16日までは大學近辺の店舗はほとんど休業状態のようであった。朝鮮族(この人は韓国からの移住かも知れない)のやっている自家製パン屋でクリームパンとコーヒーで昼食(の替わりw)をとった。自由が丘・下北沢あたりで見かける個人経営のパン屋とかわらない。よく日本人が纏め買いにやってくるとのことである。この前最初に来た時は夕方だった。2度目である。禁煙だとのことだったので早々に退出した。
坂を下って右折し、南山日本風景一条街を散歩した。旧日本人街である。車進入禁止になっている高級住宅街なのだが、なんて言うか、各社のモデルハウスセンターのようなところなのである。それも非実用的w住宅の...。分譲中なのでモデルハウスではないのだが、当然誰も買わないので遊園地でもないとにかく訳のわからんところである。何棟か昔のまま残っている住宅を指して、学生時代はみなそのまま残っていて当時の風情があって、学生達は昼には大學からここに散歩に来ていたのだと塾長が説明してくれた。ま、その新築住宅のセンスといい、無残なものである。ちんけな近郊不動産屋の建売現場であった。当然夜はゴーストタウンと化すわけだ。
例の「ヒュンダイおばかビル」と双璧かな。
韓式おばかビルに日式おばけ街w 違いは、おばかの方は例によってK式なんとかなるべのケンチョナヨ精神で見の程知らずの高層ビル建築をカネ続かなくて中途半端で投げ出したwだけなのだが(正に市内入口の追分地点第1等地にあるため、建築途中なまま晒したのではあまりにミットもないwんで、市長命令で市の費用で外側だけは完成させたらしい。以来5年以上見るからに韓式デザインのゴーストビルw)、おばけには日本は一切関わってない、ってことだな。その竣工当初から内装なしの入居ゼロヒュンダイおばかビルの、ちょい近くに昨年暮れ竣工開業した「伊都錦」(イトキン)ビルは8階建ての堅実建築物。店舗前の通りも銀座通り以上に広く取ってあって、日本企業の威容(堅実経営)をあますところなく示している。まさに好対象のモニュメントwである。メインストリートの中山路を市内に向かって走るといやおうなくこの2棟が並んで目に入るようになっているから、地元民に与える無意識の両国比較教材となっているというわけである。これは大きいだろう。
お隣七七街の並木は、一見田園調布か成城の銀杏並木通りの風情である。街燈あってもわずかだから、夜は真っ暗だろうw。
児童公園を横切った。旧児童遊園地である。明沢池は工事中。いつもは冬期間アイススケートリンクになるらしい。旧鏡ケ池である。なんてことない薄汚い広場ってな印象しかない。正門の説明書きには、明代から清代までどうたらこうたら能書きあったらしいが、なんのこたあない嘘八百wで、チンケな漁村を帝政ロシアが不凍港目指して開発しだして、それを日本が自衛戦争により排除し、50年かけて都市にしたというわけだ。それを1945年からチャイが廃墟にして、なんとか整備しだしたのはこの5年かそこいらだろう。それも当初は無能な文革世代がイニシアチブとったから、最初の悲惨なお化屋敷がこのあたりに残っているというわけだ。
この近辺には日本式の住宅がぽつぽつ残っている。二軒長屋である。ドアが開いていたので覗いて見ると、玄関から上がり口は板張りになっていた。土足で出入してるらしく、無残に磨り減り穴が空いていた。塾長の話では、労働公園近辺が一番の日式住宅(邸宅)が残っているらしい。多分満鉄の上層部がその当りに住み、ここは中層部住宅街で、我が家の近辺は元長屋(アパート群)があったらしいから、新入社員というかその他大勢の社宅だったのかも知れない。市中心部から同心円を描くとそのような構図になるのではないか。塾長が言うには、日本時代を知っている古老は、あのまま日本人が居てくれたらとか口走るらしい。ごもっとも、である。満洲=北東亜細亜合衆国の夢は13年で潰えた。石原莞爾の当初構想通り、関東軍全員満洲国帰化してたらどうだったかな...
帰りに、5年ほど晒してあるという10階建てほどの建て掛けのビル脇を通った。最上部に砲弾かなとイミジクモ塾長が言ったw、なんだかわからん施設がのっかっている。それがレンガ積wなのである。鉄筋が入ってるのか?多分工事中止命令でも出たのだろうw
そういえば、10何年前、ハルビンで開発区に見学にいったとき、それこそ30階だか40階だと説明を受けた建築中のビルが、煉瓦積みでやってたのを見たよなw あれってうまく「積み木」できたのだろうか?40階w またハルビンの家の隣で住宅突貫工事で夜中作業やってうのたまたま目撃したのだけれど、ただ煉瓦積んで2階の床は鉄板敷いてたような気がしたねw 四隅で煉瓦の幅だけで支えてるのかなw 地震がないからいいんだってな説明聞いたような気がする。
うっかり散歩が長引いてしまった。1時半に塾に着いて午後の部を始めた。男性2人に女性1人。日本電○と地場空調メーカー勤務。25歳大連大學卒と31歳瀋陽航空工業大學卒。日系企業勤務の31歳の彼は一昨年から一年間日本に研修に行った経験がある。
散歩で見た風景に何やらムシャクシャして、ちょいきつい講義になってしまったようだ。
1時半から5時ちょいまえまでやってお開きにした。

紙に書いた本

2004年2月1日
昨日土曜日は久しぶりに文庫本を開いてみた。外出する予定を入れてなかったので、またパソコンを立ち上げてみても目新しい記事に出会わなかったからである。最近青空文庫で石原莞爾の最終戦争論を読んだ。中公文庫を持っていたが、また違う印象であった。まず横書きでびっちり書き込んであるのは、極めて読みにくい。すぐ行を飛ばしてしまう。

11月のニョウボ来連の際、適当に選んで何冊か文庫本を買って来てくれた。中に「小僧の神様」「ぼっちゃん」があった。気休め程度に気軽に選んで「ぼっちゃん」を開いた。

あれ?こんなわからんw表現・文体だったっけ?中学校の時読んでるはずだし、江藤淳の関係で大学の時も読んでたはずだったのになと変な感じがした。多分何作かの映画での印象が強くて、それで読んだ気になっているのだろう。

いきなり「慥」という字が出てきて面食らってしまった。りっしんべんに造なので別に構造的に難しい字ではないはずだが、見たことないw ルビふってないってことは、読めて当り前だってことかw 前に出ててルビ振ってあったのを見落としたのかも知れないと繰ってみたが見当たらない。赤線引いて?書いて頁を折ってw先に進んだら、10頁後に「たしか」とルビ振ったところが出て来た。

江藤淳の解説によると、1週間で一気呵成に書き上げたという。日露戦争の翌年39歳の時の作品であった。当時の口語に近いのだろうな。これは日本語1級の生徒達に説明せよといわれてもとてもできそうにない。20年くらいしか歳の違わない志賀直哉だと、もう現代語表記と違わないね。

年表に「明治25年(1892年)25歳 4月徴兵を免れるため分家し、北海道に移籍、北海道平民となる(大正2年に東京府平民に戻る)...」ってな記載があった。死ぬ4年前の46歳まで21年間w 漱石は徴兵忌避者かw 日清戦争だろな。へぇ〜80

また解説で「漱石夏目金之助...5男3女の末っ子...父の直克50歳、母千枝41歳...」に、へぇ〜50w

んで、1867年1月5日生れ、1916年11月胃潰瘍で病臥。12月初旬、大内出血を起こした後、12月9日死去。満49歳かな。「享年50歳」って書いてあるけど...

親父50の時の末っ子で生れて、50で死んだんだ。へぇ〜90w

仕事柄、他人の戸籍・原戸籍・除籍遡って調べること多かったんで、普通の庶民の明治時代人の人生想像したことは沢山あるけど、こういう文学作品とか評論、専門の論文など読むときに、作者が何歳で書いたかってのはほとんど意識したことなかったよなぁ。

解説者の江藤淳も、憲法と占領時代に関するする3部作とその後の時事評論で沢山読んだけど、もともと漱石論で世に出た文芸評論家だもんなぁ。確か「夜の紅茶」ってな随筆集、大学時代は持ってたような記憶だな。

もう20年以上、創作なんての所詮フィクションだってのって、少なくともノンフィクション、後は専門書ばっかしか読んで来なかったけど、専門書も特に憲法・民法の大元の思考の馬鹿さ加減がやっとここの7年ぐらい前に朧気ながらわかってきてw、どうも違いはそこにあるんではないとか遅まきながら気付いた次第ww...

今度ニョウボに江藤淳の「決定版夏目漱石」っての買ってきてもらお。
その後夜になっても時々塾長から電話があった。どうもいろんな知り合いに電話して外国語学校設立に関する情報収集やってるようだ。別にいいのだが、だんだん話が頓珍漢になってきている。教職課程(多分そのよなものだろう)単位足りなくて取ってないが、それが校長の要件なので穴埋めw頼むと1万かかるか2万かかるかわからないが頼んだほうがいいかとか、近在の小金持ちが一緒にやりたいと言ってきたとか、果ては現瀋陽の大學院生で省の教育局に勤務してる?元の彼氏のアドバイスwによると、校長には教育界の重鎮をお迎えして始めなければならないのだそうだw。ったく...

現塾生には近い将来キチンとするから安心して受講してねと言っておけとは申し渡したが、そんな無関係の奴等にペラペラくっちゃべって何になるとオモットルノカ!と一喝した。

ただ教育界とか外語学校業界の一端はわかった。

区教育局に設立打診した時も、他管の技能学校で隣接業務として外語教育しても将来外国の学校との提携はできないよとか言われたらしい。確かにこのビルの隣の外語学校は、日本の「日本語教育専門家集団」のサイトに数少ない認定学校として表示されている。大体がこの日本にある日本語教育専門集団ってのが胡散臭い。旧サヨクの巣みたいな印象だ。認定試験問題自体が、朝日天声人語や社説にその他サヨ的文章の羅列なのだ。

提携?別にそんなもん必要ないじゃん。教育局に申請しないのがそれだけのデメリットなら、むしろ経済性を表にだして技能学校で始まるほうが、くだらん教師連中との交際を避けられていいじゃん。そこまで言うならザックリ「有限公司」で営利企業登録、それも日本独資でやっちゃえばいいかも知れない。「日本独資 日式技能講習人材服務公司」とかね。営業目的は「実践日語的技能訓練人材育成派遣紹介」とかね。企業応募資格の日本語能力試験突破法講習に面接試験対策講習、日式企業風土対応対策講座に事務機としての日本語版各種ソフトの運用技術習得講座とかさ。ちょいと接しただけでも大勢が望んでいる項目がこれらなの需要なのであって、ダイレクトにそれに答えて供給してやるわけだからノウハウ・ドウハウ技術提供の営利企業としてやっちゃうほうが素直かもしれない。

ちょい気になって「塾長は最終的に大學に戻って教授とかになりたいわけ?」って聞いた。

全然その気ない。ま、先のことはわからんから、アメリカ式に実際界と学業界との交流ができるようになったらむしろその経験買われていきなり大學経営お願いしますってなことに、日本もこれからだが、なるかも知れないヨって言っておいたさ。

明日日曜日また勤め人向けの最後の無料講座を開くことにした。D○LLの面接受けて段々イメージが固まってきたので、やってみたいと言い出したからである。

昨日はっきり言ったんだよね。
私は所詮外国人で地元の実情なんてわからんし、外国語教育どころか外国語をそんな身を入れてやった経験も無いのだから、あんたが「全て」仕組まなければ頓挫するからなってね。

とにかく細かな問題のフレーズから全部貴女が叩き台に載せない限り、一切ダメだってはっきり言った。

私はそれに分る範囲でコメントするなり提案はできるかもしれないが、言語・教育の専門家でもなんでもないのだからと最初から言ってあるだろ!と強く言ったのであった。

やっと分ってくれたかな。

急遽経営会議

2004年1月30日
8時45分、塾のあるマイク大厦に着いたらもう塾長がロビーで待っていた。昨日の人材紹介会社での面接の模様と本当はモグリっぽいビジネス日本語課程の資料が手に入ったので早めに来ていたようである。

外国語学校は教育局の所管であり、人材紹介業は労働局か経済局か知らんが人材服務許可証がいる。学校の方は300平米超の教室が条件になっているのに小さなオフィス兼教室だったそうだ。本業の人材紹介登録した人を事前に教育するという体裁で逃げてるのかも知れないが、厳格にはモグリである。「ビジネススクール」などと宣伝打ってるし「高級日語培訓」という名刺大のチャイ語パンフも配ってるようだ。「スクール」では逃げられるかもしれないが(無理だがw)、「培訓」とチャイ語で表記してしまっては、もう無理だねw。自白成立。明々白々の法律違反。

週一で4回24時間1コースで1000元。時間当たり41元。割高である。内容は日本での自己啓発セミナーのようなもの。上っ面なぞっただけで終わるだろう。苦情が出てチクルヤツも出てくるかも知れない。

さて塾長の学校法人格取得のための覚悟の程である。国営企業(大学も当然そう)に在席していると、安いが給料が死ぬまで出る。定年退職時の額の給料が年金に変わるようなものである。住まいも割当られるようである。私企業を起業したり外国語学校経営に乗り出したりすると、この臍の緒が断ち切られる。まさに全部自己責任の世界に移行するわけだ。国営の年金などない。あっても信用しないだろう。貯金を食い潰していくか家賃収入で食っていくか、学校経営で足腰立たなくなるまで教師をやるか。一生をこの仕事に賭けるという。結構である。瀋陽の勤務先大學に繋がりある今のうちに有利な職歴どんどん作ってwもらって、彼ら先輩教授連の老後の職場を用意してあげるのも手である。老後どころかバイトにひょこひょこやってくるのは目に見えているが。それほどチャイナの大學教授職は安給料である。

腹が据わると早速午後からD○LLに面接に行く事になった。さっき電話で、受かったらw1週間ほど実際どんな状況で仕事してるか体験してきましょうかと聞いてきた。若いから行動力はあるね。資料と同時に実体験が一杯欲しいのでいいじゃんって言ってやった。学生戻ってくるのは2月15日頃だし、社会人の受講生は日曜日にやればいいのだからちょうどいいじゃん。

人事担当者と仲良くなって雇用者側のニーズをつかんで、そちら様必要とする日本語人材を育成供給させて頂きますので宜しくってなことで、卒業生を確実にD○LL・GEに送り込めれば学校の名声確実に上がる訳だしね。

また人材紹介業→培訓学校の許可は難しいが逆は極めて簡単。器が既にあるわけだし、新入社員教育を予めやってあげるようなものだから、会社としてもまさに恩の字でしょうかね。日本の専門学校の就職部が独立して、そこの卒業生専門の人材紹介業者になるようなもんだ。

なら、今度ニョウボが来連するときもって来る、WinXP日本語版ボリュームパックも生きるわけだ。パソコン組立屋から5台も入れて日本語入力講座を作ってやれば大いに流行るね。何せ地元じゃ未だにチャイ版98主体で海賊と来てる。日本語版は2000があるが海賊で、ネットに繋ぐとすぐ不具合が起きるという有様w。1時間2元払ってネットカフェで、北極星とかいう日本語変換ソフト(IMじゃない様子)をダウンロードして変な字体の日本語打ってるようだしね。大外じゃ、エクスプローラーの日本語表記解読講座wがあると聞いた。因みに私のチャイ版WinXP(もち海賊w)は、文件(F)・編纂(E)<ホントは簡体字でちょい違うが>・査看(V)・収蔵(A)・工具(T)・幇助(H)ってな具合に表示されておるw。実際アラート表示なんてさっぱりわからん。これは遊びで使ってるからいいようなものの、そんな調子で仕事やられちゃ全くカナワンw。逆も同じでしょ。日本語表示が全く分らんのに、多分これじゃろ程度でぽんぽんやらちゃおちおち仕事にならんわけだ。だから日本語版WinXPで実際に練習できたらと思って買ってきてもらったのである。

やりたいことはいっぱいある。ぼちぼちやっていきましょう。

また女の子ばっか

2004年1月29日
地元会社は今日が仕事始めらしい。21日から1週間の春節休暇が終わったわけである。8時半タクシー乗るときに、やたら花火が上がって爆竹鳴ったので何事かと思っていた。塾のあるビルの前が爆竹の残骸で赤い山ができていた。塾長の説明によると、今日から仕事始めなので、会社のあるビルの前で爆竹鳴らして厄除けするらしい。それにしても10時くらいまで煩かったな。

珍しく9時きっかりに、女性3人組が入って来た。今回の連続無料講義では一番若い連中のようである。中学校からの同級生で、全員20歳。大連理工大、北京技術大、瀋陽航空工業大の2年生。全員日本語学習暦は8年を超える。まだ2級。それでも2級は取っている。専攻は日本語以外でである。みな記憶力はようさそうだ。大連理工の子がリーダーのようである。

例によって自己紹介をさせた。それなりにエリート街道まっしぐらのお嬢さん達のようで、語尾が「ネ」とか返事が「うん」だったりする。即訂正させた。理由も説明した。顔つきが一変する。できる子達である。昨日のおちゃらけOLとの差は、ここである。言葉の現状のレベルは同じでも、ここが違う。

中学時代のクラス会があるとかで、10時半に帰っていった。

例の「ラ行」発音矯正要する大外専科の彼が来ていたので、しばらく彼と話をした。彼は、切れないが真面目タイプである。北京の大學に行ってる彼女から、専科から本科へのルートを教えてもらってたようだ。専科は独学者のための統一試験に合格した者が学ぶところで、卒業しても学士号がもらえないようである。本科への転入試験は正面は難しいらしい。その迂回路で北京の子は本科に転入したらしく、それを聞いたのだとの説明を塾長から受けた。まだチャイナの大学制度は理解できてない。同じ大学生でも専科生と本科生では雲泥の差があるようだとは、何となくわかった。

午後から塾長は、ビジネス日本語教室をこの1月から始めた人材紹介会社の面接を受けに行くらしい。敵状視察だね。午後は読書してくださいなどと言って、自分の編集した過去問集2冊と他2冊をくれた。この前みんなの前で只でやると、ピー○ン君達も欲しいって言ってたので流れからやらなきゃならないのであんなこと言ってしまいました、御免なさいってことのようである。辛うじて一番の難点をクリアーしたようである。この2日ほど、ニョウボの逸話に託けてそれらしい話をしていたのだが、やっと気がついたようである。話し方も丁寧になった。これは一々新たな受講者が来るたびに繰り返して真っ先に話して来たことなので、これも何とかオッケーである。

報酬の話になった。全く最初から言ってることなのにわかっとらん。再々度繰り返した。

私はこれで飯くっとらんこと。例え1万元もらっても所詮15万円なので、そんなもんで拘束されたくないこと。具体的には、私の受持つ受講生達の合計聴講料をオープンにして、そこから報酬ではなく「お礼」として、さらに塾経営者として無理でない額を、差し出せwばそれで宜しい。なぜならばこちらも家庭内的にシメシがあるからである。只で他人教える閑あったら、しっかり自分の子供二人の面倒を見てくださいと言われるのは解り切ったことだからである。そして、早く大勢の受講生を抱えて経営の目処が立ち次第、早急に「培訓学校」認可手続入るように言った。

見せ金にしろ現金20万元=280万円が要るのだし、300平米の教室も予約しなければならないのである。一人でシコシコやっても時間ばかりかかるから相棒というかパートナーを探して、私の前に大外講師勤める同年代(多分52歳くらい)の日本人に、紹介されて会ったことがあるらしい。彼も将来日本語学校を設立したいとかで、また20歳以上年下の塾長を見下したような態度であったとのこと。にもかかわらず、定額報酬が欲しいとのことで頭痛めたということである。入ってくるものの中から必要額差引いて後「お礼」額決めるのだから、ホッとひと安心だと言った。んなこと最初っから言ってんじゃん。オフィスで閑してるより効率いいから自分の趣味でやってるの。毎日塾に来てたら会社も徒歩10分で行けるし、抜き打ち出社で威厳たもてんの。一番でかいのは、地元情報集まるからな。大学生に日系・地元の企業10年生会社員が生徒だしな。こっちじゃ老師=先生の威厳は、想像つかんほどデカイさ。人脈一気に急拡大じゃん。ま、この辺はいわんかったけどな。そもそも教えるの好きだし、趣味と実益兼ねてると思ってるわけですわ。

天気いいし暖かいし、久しぶりに歩いて帰って来た。5時に帰るって言って出たからな、阿姨(お手伝いさん)はサウナでも行ったかな。久しぶりに爆睡してるか。誰もいねぇや。

塾長から電話で面接受かって資料もらおうとしたら、講習受けて下さいっていわれたと。何でもいいから経験してきなよって言ってやった。明日も午前中だけ講義で、午後からは塾長DELLの面接試験受けに行くということである。どんどん資料集めてちょうだい。

土日受講希望者多い

2004年1月28日
昨日が不愉快だったので、正直多少躊躇する気持ちはあったが、約束は約束なので8時20分タクシーに乗る。いつも通り百年城前で下車。今朝のうんちゃんは気持ちよかった。デパートの店員が出勤して来ている。香港系の百貨店である。いつもの小店でコーラを買った。おばちゃん覚えたらしくすんなりコーラを出してくれた。おめ、チャイ語できねのか?みたいなこと言ってたようだが、バイバイっつーことでマイク大厦に向かう。明日もまた寄るぜい。

ロビーでタバコ吸ってプリントアウトした産経・読売読んでいた。集団的自衛権の政府解釈変えると安倍幹事長。ええぞ、えぇぞぉ〜。「国会の多数によって認める」?首相が宣言するだけでいいじゃん。内閣法制局は裁判所じゃねぇからさ。言うこと聞かなかったら全員クビでいいじゃん。

10分後塾長到着。しのごの言い訳するから、そんなんじゃオレ付き合ってる意味ねぇな、って言ってやった。なにが春節だ、こちとら大晦日・2日ってれんちゃんで阿保の大学生の面倒みてやってんじゃん。無給で。そんなヤル気ねぇ奴等おら知らん。就職志望の日系企業はやってるってぇの。香港系だって普通通り勤務してんの。で、地場は21日から今日まで1週間が春節休みらしい。バカの学生どもは1ヶ月帰省休暇とるらしい。4年生で就職迫ってる連中もそうだと。そんで就職難で、とかほざいとる。日本にお盆休みあるでしょって言うから、有給で中2日くらい帰省してすぐ仕事に復帰すんだよって言ってやった。

9時10分に労働者風情がやってきた。他待ってらんないんで即始めた。始めてみたらコイツ中々やるじゃん。日系アルミ建築資材メーカー、ト○テムの管理者だった。製造ライン立ち上げ中で、4月までは残業10時くらいまで続きそうとのこと。部下300人、月給2000元。残業代別。そんなもんだよな。ウィークディーは寝るだけなんで、土日なんとかやってもらえないかとのこと。2級もってる。こいつは前職6年間遠洋漁船の航海士だったとのこと。モロッコ沖で1年間操業してとか結構おもろい話しもこれから聞けそうである。も一人、地場会社の財務経理8年という女性も来たが、まるで会話ができないレベル。12時半にお開きにした。昼飯パス。午前中のにいちゃん(33歳独身角刈り)えらいヤル気で、午後も出たいという。

1時半、若い女性2人が入ってきた。23歳。一人は日系アル○イン事務員。職場の花的雰囲気もってる。上司の日本人部長に色目使われてるんだとか。ま、いいじゃん。しかし言うにことかいて、50歳で私に似てるとかいいやがる。いるよな日本にも、こんなタイプ。おめぇの方が気ひいてんじゃねぇのか、って言わなかったが思ったゾ。他は求職中。も一人ラ行の発音できない、前の講座で11日間出席した男性(名前忘れたw)が来た。こいつは真面目なヤツだ。求職中。

おしゃべり好きの若い子がいると、華やぐがおちゃらけるのでちょい締めた。しばらく遅れて一見技術者風情が入って来た。自己紹介させる。苗字が初めて見た漢字。ゼンというらしいが「再」の上一を取った字です、って自己紹介センテンスを作ってやった。2年目地場ソフト会社SE、大連理工大コンピュータ科学科卒。日本語勉強始めて1週間とか言った。なかなか喋れるし案外良く知ってる。さすが重点大學卒。日本語学習動機を聞いたら、日系ソフト会社への転職のため、とハッキリ言った。目的意識が違うね。塾長に、ホラ!やっぱ当たり前にいるじゃん、って言ってやった。彼も普段は会社で忙しいので、土日受講希望である。

結構充実して4時間ほどぶっとおしで会話した。
あのにいちゃん、この1日で前何年分以上の勉強しましたとか言った。毎日日本人上司との仕事上の会話で苦労してるから、実際の必要に迫られて勉強しようとしてる。問題意識が先行してるので覚えもはやい。おまえさん、この調子でやったら今年12月に1級受かるゼ、って言ってやった。

この連中は今日までが1週間の春節休みで、明日からは平常通りに仕事が始まる。31日土曜日まで無料プレ・プチ(プチは外そう。極めて濃いから)講座なんで、彼らのためには2月1日日曜日を初日とする、まさにビジネス日本語講座をやればいいわけである。週1回のコース。午前と午後ぶっとおしでいいじゃん。

問題は、平日のコンジョ無し学生連中の扱いだな。面接シュミレーションなんてなんか阿保らしくて気がすすまんのだが、DELLの面接模擬でもやるしかないかな。こんなんばっかだと、こっちのストレス溜まるんで、試験問題もやらせてもらお。2級1級限定の受験勉強だね。過去問資料は塾長が毎年自身が受験して収集してる(コレ、偉い!日本じゃ当たり前だが、こっちじゃ誰もやっとらん)ので、それ使えばいいわけだし...

さて、ちょうど半分過ぎたが、29日後半始めはどんなんが来ることやら。

拍子ヌケ+不快

2004年1月27日
ちょいと張り切ってスタンバイしてた。
ピー○ン君から電話あり。ジツはいとこの女の子が1年半くらい日本語勉強していて、3人いるいとこのうちもう2人が日本に留学しているので、彼女もそれしなくっちゃと焦ってるwようですってさ。で、昨日私がやってる塾の様子を実際見て、彼女に連絡取って今日行きたいんですがいいですかということのようである。

...だぁからぁ、私は基本的に閑wで、たまたま熱心な女性とネットで知合って、本気で日本語教育しようとしていることに感ずるところがあって、ちょい勝手口議w始めて見たらおもしろそうなんで、また情報もそこそこ入るし、ま、暇つぶしにしては益の方が多いかも、ってな感じで、逆に一生懸命やってんだよぉw、って改めて説明したのだが、通じたのか不安w

家人は日本語通じないんだからw、いつも通り11時半に昼飯だって言うさ。食い始めたらいきなり携帯鳴って、もう着きましたってさw。はいはい、いいですよ。熱心さを、昼飯抜きでも買いましょう。書き置きしてすぐ出たけど、どこまで通じたか相当心配w。

さて塾に着いたはいいが誰も来てないw やっと塾長現れたが上の空w 彼もそのいとこの「お嬢様」も、現地の大学生と比べるとちょいズレ気味。話題も思いっ切りズレまくり、塾長の日本語試験教育の宣伝になってる模様。つまりオールチャイ語で2級1級用のオリジナルテキスト出して何やらくっちゃべっとる。「これ難しいですよね。大學入試並みじゃないですか!」って、阿保かねw 中学受験並みっすよw内容的には。朝日の天声人語レベルの自虐りおおざっぱコラムの孫引例のオンパレードじゃん。そんなもん、いくら解説したって中身がないんだから意味ないさ。

な〜んか疲れたな。あんなもんやりたくないゼw

バカ徹底したコールセンター要員教育なら我慢もできるが、バカのくせして利口ぶるコラムなんて読みたくないもんな。お調子こいて塾長が「私の専門はフクシです。」とか言うから、「え?何で福祉?」とか思っちゃうじゃん。「副詞!」ったって、だからオレは文法とかいっちょん興味ないし試験にだって出てこないでしょ。時制もときどき間違えるのに副詞っていわれてもなぁw 勉強してる割に、昨夜の占いとかえらい熱心だったりするし、ど〜も大元んところで食い違うよなぁ。別に作家修行とかジャーナリスト修行じゃないけどさ、まず書いてある中身に惚れるんでしょ。そして憧れをもってその作者の文体(思考態度の具定例が文体)を習得しようとするんじゃなかったっけ。丸っきりの門外漢だが、文法論にしろ一芸に秀でた作者の書いたものは、その思考態度に他の学問との間にも大きな共通性が認められるので、例えば普通人には一生無関係の解剖学なんてな学問の専門家の書いた「バカの壁」がベストセラーになったりするわけだと思ってたけどなぁ。あと数学者の国語教育大前提論とかさ。だから、一見明晰な論旨展開のお手本のように言われていたチョウニチのコラムは、根性(大元の価値観)が腐ってるwのがばれたんで見向きもされなくなってる、と私は認識してたのだが。

価値観の相違というか、一体何考えてんのか分らなくなった事例が出てきたな。のこのこ相当遅れてやってきた2人組の女性相手に、机の端っこ同士でw「お名前は?」なんてなこと喋ってたら、試験勉強のチャイ語での話しが異様に盛り上がってオリジナルテキスト出して宣伝し出したようね。テーブルの途中でぎゃあぎゃあやってるから、こっちの話しが通らないじゃん。まずこの態度にドタマ来てたねw。そんでテキストあるのなんて知らんかったので「それ一組くれよ」って口挟んだら、社内割引にしときますとかのジョークもなしにいきなり「買ってよ。只より高いもんないのよ」ってさw。なら今までのオレの労力一銭も購われてないけど、どーするつもり?って思っちゃうジャン。

形だけでも「お礼」がないんじゃ家族に言い訳たたんじゃん。只より高いもんないよ、興味なくなったら拘束されたくないんで、おさらばさ。別に生活のためにこんなことやってるわけでもあるまいし、いろいろの点でレベル低い(社会事象の基本認識に大きな違いがある。批判精神はあるようだwが、私的次元止まりで得になるかどうかだけのよう。)んでなんとか合わせようとしたのに、逆になんか甘くみられたかな。ちょいとケツまくらんとシメシがつかんかなとか思いだしたな。
8時半にタクシーを拾って塾のあるビルに向かう。大連市中心部もまだ春節休みである。人の流れがまるで無い。10分前にビルに着いた。ロビーで塾長と初めての女性が待っていた。ビル自体が閑散としている。しばらくロビーで受講者を待っていたが、現れそうもないので3階の教室に移動した。10分ほど雑談して待つ。現れた。まず女性2名。そしてまた女性1名。男性2名。合計6名である。9時20分になっていた。知った人は男性1名のみ。他の5名は初めての受講者である。春節最中であるし学生はまだ帰省先から帰って来ていない。まぁ、良しとしよう。

1名除いて新規なので、自己紹介から始めた。印象としては、10歳ほど上がったかなと思っていたがそのとおりで皆30代前半である。松○大連の第一期生の10年キャリア女性2名、32歳。大連マ○チ勤続12年男性34歳。キャ○ン販売女性32歳。地元ソフト会社勤務女性24歳。彼女はこの4月に提携会社間派遣で、広島に研修に行く予定だそうである。残りの1名は、この11日間付き合った大外専科生で、この10日間の間に就職試験4社受けて、全部落ちたそうである。

DELL・GMの面接実態とその対処ノウハウを紹介しようと来たのだが、受講生の層が、現日系企業勤務の(それも勤続10年の30代である)ステップアップ組みであるというわけで、変わったわけである。

急遽違う話題を探した。幸い松○もマ○チモーターも超有名企業であって、話題には事欠かない。そんな話しで繋いで、10年生であれば比較文化的話題のほうが興味あるかと、思いつくままにいろいろ話題を振ったのだが反応あまり芳しくない。日本語学習暦は長いが、仕事に没頭してて、学習自体は中抜きなのだろう。

見かねていままでの私の話しの内容を、塾長がチャイ語で説明し出した。結構長かった。大元の私の話しが長かったからなw。いちいちの反応が活発である。チャイ語じゃわかるか。日本語学習のレベルがわかった。

ザックバランに、どういう講義の進め具合がいいか、塾長が聞いたらしい。会社の日常的場面を設定して、彼らの問い掛けまたは答えに反応した日本人上司の心理解説が欲しいようである。ロールプレイングをやりたいということである。じや具体的に場面のヒントを彼らが出すように言った。切り口さえ示してくれれば、後はこちらの想像力で具体的に各立場の想定問答を示してあげられると思ったからである。皆が了解したので、次回の宿題にした。

12時半に終了。明日から31日日曜日まで、毎日午前2時間、午後2時間無料プレ・プチ講座を続行することにした。とにかく具体的に受講層の需要を肌で感じて、それぞれ的を絞った中身の濃い講座にしたいからだ。

ピー○ン君がやって来た。就職先の相談を塾長にしたいということらしい。彼のおごりで太平洋百貨(百年城)で昼食をとり、塾に戻ってしばらく話しをした。夕方になったので米系珈琲店I(InterState)55に場所を移した。彼はまだ行ったことがないということだったからである。小6から日本で、区立中学・都立高校・私立大学と進んで今は大外英語と二股掛け持ち留学生?も、やはり行く所は決まってしまっていて、知らないところは知らない?ようだ。意外に大外近辺もあまり知らないらしい。全線1元バスも乗ったことがないという。自家用車通学の学生は、1万人超の大外でも彼一人かも知れないw(少し大袈裟)ので、それも宜なるかなか。4年通った大学の内部や近辺について、もしかしたら私の方が情報通かもしれないのも、考えようによっては面白い。実際5年留学生よりチャイ語一切不明の4ヶ月在の私の方が、地元情報多い分野が確実にあるからお笑いである。

高尓基(ゴーリキー=露西亜の作家!)路沿いのあの辺りは、水仙街という名称といいマロニエ?の街路樹が夏は緑のトンネルを作ることといい、以前から洒落た感じのところであるなとは思っていた。街区の反対側の水仙街の柳の街路樹も好ましい。ただ水仙街は店舗が一軒もないので少し寂しいのが唯一難であって、夜は真っ暗になってしまう。

3年前にシカゴ人らしい夫婦が始めたI55で、3人で10時半までおしゃべりした。ここは朝8時半から夜12時までやっているとのこと、ウエイトレスに彼らが聞いてくれた。

ピー○ン君のご両親は今日本に行っていて、一人で事務所兼自宅に住んでいるらしい。2月に○大の卒業式に出席するので帰国(地元人が日本に行くのだがw)するらしいが、それまでこの旧正月休みの何も無いところで退屈していたところのようだから、なかなか帰ろうと言い出さないのかもしれない。ガランとしたうちで夜中にテレビつけっぱなしで寝るんですよ、夜中(10時W)にピンポンやり出したんでちょいと不気味でしたなんてな話しから、外気マイナス15度の大連で怪談話になってしまった。真冬の花火大会といい、変ナ感じだね。塾長から大外での法輪講事件の話しなど聞いた。大学院生のときのことらしい。担当のW優秀な教授がハマってWしまって、一名自殺(殺されたとか言ってたナW)一名警察に連行されて行方不明だそうだ。「みんな優秀でいい人達だったのに...」だそうだ。ま、カルトにはまる連中の共通項かもね。チャイニーズ二人で、手相やら風水とか異様に盛り上がっておったなW。小学生のときから学校内ではそんな話題で盛り上がっておったそうなW。理解不能であって、薄ら笑いで誤魔化す他ないでしょ。暗記教育の弊害かなとか思ってしまった。何せ宇宙船に「神舟」とかネーミングしちゃうお国柄でもあるからな。

夜9時くらいまでの客層は、男性1人で英文の本を静かに珈琲啜りながら読んでいたり男女2人が静かに話ししていたりで喫茶店の雰囲気だったのだが、9時ちょい過ぎくらいから俄かに騒がしくなってきた。多分家族連れが夕食を終えて食後の珈琲タイムにやってきたのだろう。ケーキや軽食(サンドイッチにスパゲッティ)も出るので、子供も連れて気安いだろう。

5時過ぎの時点で既に店の前の駐車スペースは満杯だったので、1階店舗群のマンションの外れの別の店の前の空いているところに駐車した。明るかったので駐車したときには気付かなかったが、10時半に帰る頃、そこは落ち着いた照明の「酒吧」(バーとかスナック)であることがわかった。前面ガラス窓でおおよそ外からでも判明したがあまり奥行きがない店舗は、なんとなく一人で行っても安心な感じを受けた。I55と並びの店舗であるから、多分同じ作りなのだろう。地元民w塾長に聞いたらここは女いないw女性だけで来ても安心の「酒吧」らしい。(あらま、文字バケ!口に巴、です)

さっき帰り際に塾長がしばらく席をはずした時、ピー○ン君が、親父の仕事の関係で取引先の客の
接待(ま、通訳なのだが)を仰せつかり、例の悪名高い日本人向けバーに行ったときの話しをしてくれたわけだ。その担当者は宿泊先ホテルを指示してきたらしい。大連駅隣の「九○飯店」(ラ○ダ大連)、元ホ○ディイン。彼の話しでは最近3ツ星に格下げになったらしい。その手の女が夜中に部屋のドアをノックするのだそうであるw。あれはホテル側とつるんでますよ、ということである。

6泊会社でもったらしいが、請求が3万元(42万円!)近く来たそうである。中身チェックしたら毎晩2・3千元(4万2千円)くらいの使途w不明金が請求されていたそうだ。フロントで確認したら「あのお客、毎晩違うおんな、御持ち帰りしてたからネ」と言われたそうな。ま、彼も実際の仕事を経験する前に、そんな裏側ばかり見てしまっているわけで、それじゃすぐに跡継ぎたいとはならないわけも、少し分ったような気がしたね。自分のことを振り返っても、22歳じゃやはり嫌悪感が先立つだろうね。むしろ健康的ではある。

しかし口コミ社会のチャイナだね。それぞれが「得意」wとする情報を、このように会食ないしはお茶を飲みながら交換するのだろうと想像がついた。
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27日朝、編集していた。8時半になったので、もし午前中の来塾者が1名でもいるのであれば、そろそろ出かけなければならない。塾長に電話した。昨夜11時頃にあちこち電話したら、熱心な連中は大喜びで急遽大連に帰ってくることになったらしい。午前中に移動するので午後からやろうとのことである。12時45分に塾に着くようにしよう。需要は確実に、ある。

始動・試動

2004年1月25日
新暦正月は無視されて、大晦日水曜日・2日金曜日と塾に出て、3時間たっぷりと喋くった。
一応郷に入っては従って、春節22日を基準とする帰省を考慮して、14日を最終日として結果的に本日25日日曜日まで10日間休業していたわけである。

今朝早く、ひょんなことからデルの面接の実態がわかった。なんのとこはない、コールセンターの即戦力要員募集であった。それでも月収4,100元也。日本語能力試験1級合格者大外卒業生の今までの情報の平均月収手取りの倍を越す。募集広告では1級保持者が条件とされているが、実態は単純な日本の顧客への電話対応のマニュアル冒頭部分らしきものを読ませて、らしく読めれば合格。採用してから結果的に1級もってたのねレベルのようである。今朝会った二人の採用者は、就学生崩れ。下品な日本語をそれこそ流暢に話し、能力試験など見向きもしない輩である。そして明日26日月曜日から就業するのだとのこと。半年試用期間の1年毎の契約更新らしい。それでもまともな大學卒の2倍を越す給料が(と言っても高々56,000円なのだがw)、ただ日本に行ったというだけの日本語学校もまともに出てない、正確には就学生(専門学校に入学さえしていない)にもなってない連中に支払われるというわけである。

11日間33時間教えた連中が哀れに思えた。DELL、GEに入りたいとか盛んに言っていたものな。(その後いろいろ聞くと、この手の会社の仕事内容はコールセンターの苦情処理に電脳要員とは単なる日本語入力のことだったりするw)2月末には12月7日の年1回の試験の結果発表で、それでめでたく1級合格できたら証書をもって面接にいくためにいろいろやっていたわけだもんな。それが明日からそのDELLに就業するという連中は1級どころか2級も持ってないで、履歴書さえ書かないでまさに飛び込みで面接受けたというのだ。きちんと募集要項通りに1級証書を大事そうに持参した連中は、わずかの会話でどんどん落とされたという。そしてそのすれっからしの会話能力堪能なのが即採用というわけだ。私の教え子達は4年生22歳で既に1級もってるのもいるし、この12月に1級試験受けた連中も多いし、そもそもここ大外は日本語科卒業するのに1級要るんだよ、といったら言うにこと欠いて「証書偽モノも多いですよぉ〜」とかぬかしやがった。世の中舐めた連中がまた舐めてかかって舐め倒したわけだ。男25、女23。人相極めて最悪。日本で悪いこと、覚えて(まさかやってw)きたんだろな。ちょいとふったら、友達がコピーソフト秋葉原で売っててとっつかまって強制送還されたのにいつの間にか戻ってきてて連絡wあって、とか馬鹿自慢wしやがって、それパスポート違うの持ってきたんだろ、ってふったらそうなんですよって、バカやろう!日曜日朝っぱらから全くなんてこった...

朝から極めて不愉快。ちょうど塾長から電話が来た。1時間後に米系I55喫茶店で会うことにした。出ようと思っているところに○ーネンくんから新年の挨拶の電話が入った。その話しをした。4000元超の給料にびっくりしていた。彼は来月日本の○大商学部と5月には大外英語を「二股」卒業するのに、2000元ですかねぇ、日系で3500元ってとこあるんですけどねぇ難しいですからとか言っていたのである。落ち込んでいた。(一人息子のあんたはさっさと年貢納めて実家の稼業継げば月収100万円でしょってな話しもあるがw)
いくら4000元超でもまさか大學出てコールセンターで苦情処理でもあるまいが、それにしてもその給料差はでかい。彼は日本的感覚があるから、目先の利益に釣られてそんな職歴あっては、本命の日系メーカーへは辿りつけないことがカンとしてわかるのだろう。(ま、彼は特殊で如何に他人の釜の飯を食ってくるかだからなw)

しかし地元の学生にとっては切実である。仕事内容がどうであれ、一応有名な会社で(こっちではDELLは一流メーカーw、逆にNECなんて知らんw)月収が平均の2倍超なのであるから当然である。とにかく理想はそれとして別講座で進めるが、当面はDELLとGE対策であって、すぐに始めるべきだと言いたかったわけである。塾長即了解。何と、やっとわかっていただけましたか、とかホザク。チャイナの大学制度について、また東北一といわれる大外の日本語教育の実態について、延々講義を受けた。理屈が事実で裏づけられていった。

腰が軽いのはもともと私の売りである。もういい。明日からやるぞ、と宣告した。パンフがどうのこうの、受講料が、期間は、とか言っていたがいいじゃん!プレ・プチ講義ってことで無料!あんたが今晩地元に残ってる連中に電話して明日9時に教室に呼んで来い!で決まり。2・3日やりゃあ、どのくらいのスケジュールでどのくらいの料金(むしろ特化して合格したらこっちじゃガッポリ入るんだからむしろ高目でいける予感がする)でいけるか自ずとわかるはずだ、と言った。

それにああいう類の募集は多分「随時」であろうから、どんどん受講生を受けさせてその情報を収集すれば塾独自の対策が明確になって、またそれを売りにして今度はDELL・GMに売り込みもできるではないか。とにかく動くことである。なんとなくそれだけは確信した。なにが春節だ。朝っぱらから花火・爆竹鳴らしゃがって。世界、特にあたんたらが就職しようとしてる日本企業はそんなもん無関係に稼動してんだよ!DELL(ジャパン)だって明日から始業じゃんか!これから入社したいって連中が休んでてどうすんだよ!...で決まり。

さて、コールセンター要員の教育、ネw
憂鬱だけど、しゃーないじゃん。裏講座で、ばっちり好き勝手、やらせてもらお。
旧正月2日目。軽く晩飯いただいて机に向かっていたら、阿姨(ア〜イってお手伝いさんのことらしい)がやって来て、紙に何か書いたよ。

「7:00星海広場看焔水礼花」

何となく、花火大会に行きましょう!っての、分るよねw ま、春節の行事について、地元の日本人向けサイトで見てたからね、すぐピンと来て「いいねいいね!OK!」って言ったさ。

お祖母ちゃんがぶくぶくのキルティングのズボン持ってきて、これはけ!って言ってるようだな。マフラーもして、完全防寒雪ダルマさん状態で待ってたね。

6時半頃、通関部長が息子を連れて迎えに来てくれたさ。彼も大変だな。自分専用の車をオネダリしたばっかりに、正月早々、我が家の専属運転士兼務でさw

会場の星海広場は、我が家から3キロちょいで、車だと10分くらいで着いてしまう。場所取りなんだろね。綺麗なイルミネーションのトンネルのメインストリート中山路をスムーズに走ってすぐ会場に到着したね。7時15分まえかな。意外に空いてるね。会場をぐるっと一回りして、いい場所に車を止めてスタンバイオッケー。

ここに来たのは晩秋以来だね。低い生垣とか立ち木に、丁寧にちいちゃなランプでイルミネーション作ってるね。その薄暗い灯りの中を、人波が途切れなくどんどん海の方に向かって歩いて行くよ。はて、海岸端まで行ってどうすんのかな?このくそ寒い中で、海風当ったらもっと寒く感じるだろうにねw

とにかくどんどんどんどん、海岸の方に向かって人の波が続いていくさ。で、7時半になったけど、な〜んも始まらないけど。

さすがにお祖母ちゃんが痺れ切らして「いつから始まるの!」みたいに部長(地元の人ね)に聞いたようだな。「は、8時か、なぁ〜」とか答えたのかなw

8時15分になっても、な〜んもならんな。
人の波が向き変わったゼ そりゃ半端な寒さじゃないもんさ。タバコが吸いたくなったんで、10分ほど車から出てたんだが、それもぶくぶく着ぶくれでさ。でも、ホント、芯まで凍えてさ、さっさと車に戻ったね。1時間もあんなとこで待たされてたひぃにゃ、いくら地元人でも帰るだろなw

8時25分。なんとか始まったらしい。
なかなか綺麗やん。暖房がんがんつけてる車ん中から鑑賞です。やっと始まったのに、人波は帰り足だね。そりゃ寒いもんなw

さっきから気が付いてたんだが、このおやじ(運転手兼通関部長)案外いい趣味かもな。ヨハン・シュトラウスなんかCDかけてさ。

またタバコ吸いに外出たさ。そしたらそのワルツがガンガン聞こえたね。なんだよ、でかい音響で鳴らしてたんかよ。それにしても締め切った車の中まではっきり聞こえるゼw

でも選曲はいいじゃん。夏来た時には、チャイ版ハードロックモドキを、がんがんやりやがっててな。それよりゃ遥かにましだわ。

でも何でワルツかな。渤海向こう岸の煙台とか、山東半島その反対側の青島とか意識したのかな。西欧風情とか。確かに租借地の経緯から、青島・煙台はヨーロッパの雰囲気が残っているらしい。ビールなんかチェコだしね。バドワイザーに似てるでしょ、青島ビール。アサヒスーパードライの工場は煙台にあるらしいし、技術はしっかり伝承されてるのかね。因みに朝日の値段は、瓶入りバドの3倍である。にしても朝日がうまいとみんな言ってるな。たいしたもんだ。ここでも日本は健在なり。

横浜山下公園の氷川丸。これとそっくりなのが、星海公園先に係留(多分同じくコンクリートで定着してる)されてるのね。それがホテルになっていて、今夜は全部の窓の明かりが点灯してて綺麗だったね。

それにしてもたったの25分間ってのは、短か過ぎないかねw くそ寒い中、1時間以上待たせてさ。挙句に予定より25分も遅れてねw

さっさと帰りましょ、ってなわけで混雑の中、20分くらいかかって帰宅したね。しかしあの人出はどうすんのかと思ってたら、バスやら電車に殺到してましたわ。タクシーなんてもう出払っちゃっててつかまらんわな。ホント、半端な寒さじゃないっすよ。その中、バスにも乗れないでトコトコ歩ってるのも結構いたもんなぁ。そこまでして見たいかねぇ、アレw

今朝方、地元大學への留学生のHP見たら、彼らはそこにバスで来てたらしいw あのくそ寒い中で写真撮ろうと来たらしいが、デジカメ作動しなくなったってさ。そりゃそうでしょw 風吹いてたしね、体感気温は-20度じゃねぇのか。混雑が酷くてバスにも乗れなくて往生したらしいが、風邪ひかなかったかね。ご苦労さまです。若さ(敢えて○○さ、とは書かないがw)の特権でしょう。じゅーぶん、ご自愛、ください。

単なる1月22日

2004年1月23日
あらま。書いてるうちに日付が変わったようですね。これは22日春節夜に書いたのです。
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昨夜は2時に寝たな。テレビも大宴会番組が終わって、もう「行く年、来る年」のパクリはなかったwので、1時にはみんな休んだね。こっちはいつものように早寝しちゃまずいと思って昼寝wしてたからさ、しかたないんでパソコン立ちあげたさ。

ヤフーチャットアジア部屋では春節の話題で盛り上がってたな。こっち1時過ぎ、むこうは草木も眠る丑三つ時なはずなのに、いきなり知らん人からPMかかったね。それもローマ字表記だよ。

苦労して読みながら返事書いてたら、あらま、香港の人だったのね。駐在員のつもりで書いてたら、旦那が日本人駐在員の地元女性らしい。この1月末に初めて旦那の里の静岡に行くってさ。大連には弟さんが日系企業に勤めてて、いるらしい。大卒給料が2000元ではいい方だって。でも香港は1万元でも物価が高いからなかなかシンドイそうだ。こっちの安い物価をうらやましがってたね。大連のコーズベイのホテル・百貨店等の開店予定も知ってたな。共稼ぎみたいだった。まだ子供はいないとか書いてたから、若い夫婦なんだろな。富士登山も楽しみだとか書いてたが、いきなり冬山なんてやめなさいよ、それより冬富士眺めながら温泉でもつかればいいじゃんって書いてやったら、そうね!とか結構素直ないい感じの女性のようだったね。ま、旧正月も女性で始まってしまったわけだがね。新暦3日には、初詣に行ったら尼寺だったし。

2時にいきなりオチてしもうた。失礼なんで再度繋ごうとしたが、ダメだった。ごめんなさいネ。

8時半に花火・爆竹で目が醒めた。風も無くカラッと晴れたいい天気だ。窓から下を見たら真っ白だった。ホワイト春節だね。

10時に娘から電話があったね。いつこっち来るの?って、1月末か2月始めに2週間だね。

日本語塾は、リクエストがあるから正月休み明けの1月29日か2月当初から始めてもいいのだけれど、塾長はどう考えてんのかなと思ってたら電話があったよ。若いから正月関係ないみたいね。ネットで商品みてたとかで、このサイト見てよ!これって日本に売れないかしら!ってさw

あ〜ぁ、塾長さん、そっち方面はからきし才能無しw 一応なんで受けないか説明してあげたけどさ、しっかり本業のこと考えててくれよ。

新聞見てたら、センター試験の世界史の問題で物議をかもしてるみたいね。強制連行。「新しい教科書の会」のサイト見たら、これ解説したのが500円で買えるみたい。今度帰国したとき買ってこよう。これと「国民の文明史」とね。あとは就職活動本w ビジネス日本語教材を二人で作成しましょって言われたからさ、参考書として買って来なくっちゃ。こっち方面の本は、ブックオフで安く仕入れればいいしね。ついでにジェトロの本もブックオフにあればいいんだがな。なるべくこの手の本、カネつかいたくないもんな。

ノートぱそと、レーザープリンタの安いヤツ、それにデジカメは買って置いたからこれ持ってくるんだが、結構手荷物大きくなりそ。ハードは日本の方が安いからね、仕方ないさ。スペック的にも問題外だしな、こっちのヤツ。3ヶ月見積取って調べた結果だからして。

いい天気だけど外出る気しないんで、昼寝したね。気が付いたら8時半。タバコ切れてたんでコンビニに出かけた。2日振りかな外出るの。歩道には雪(というより吹雪きの吹き溜まり)が残ってたナ。近いコンビニは休み。娘の学校の近くのコンビニに行ったさ。ちゃんと2軒とも正月にもかかわらず開いてたね。えらいえらいw インスタントコーヒーと蜂蜜、コーラとタバコ2箱買ったさ。安売りや知ってるから、タバコは倍出したしコーヒーは20元ほど余計に払ったわけなんだがいいってことよ、正月だし、表記通り年中無休でやってんだもんね。
今23日午前10時だけど、昨日昼と今朝早く日本の新聞やら現地採用者の書いたものを見て思ったことを、22日分として書くかな。

いろいろ聞いたりしてみると、こっちの勤務時間って午前8時から午後4時半が基本みたいだね。日本時間に合わせてるような気配だな。昼飯時間も11時(日本時間12時)からのようだし、交代で1時半くらいまではいいみたいだ。

こっちの春節休みを利用して、留学生は旅に出たり帰国したり、現地採用者は帰国したりしているようであるね。特に留学生上がりの現地採用者、それもチャイ企業就職者はカルチャーギャップに悩まされてるようですね。物価レベル考慮すればとか何とか言われればまぁなんとなくそうかなとも思うのだが、やはり単純に円換算してショックを受けるようだね。サラリーマンの給料としては5000元って言ったらかなりいい方なんだろうが、単純に円換算すると7万円だからねぇ。日本の大学を卒業してわざわざ大連くんだりまで私費で留学してさ、挙句に月給7万円ですってのも、いい難いですわな。たまたま大學時代の同級生が割のいいバイトで年末に45万円(3万2千元!で6倍)も稼いだとか聞かされたら、返す言葉も失ってしまいますよね。

この格差を利用するか、利用されるかが勝負なんだろね。平たく言うと、日本で稼いでこっちで使うのがいっちょん効率いいわけだね。

300平米レベルのガードマン付きマンションが、2000万円(約143万元)レベルだからねぇ。スケルトン渡しなんで内装に同額掛けても4000万円ぐらいであがっちゃう。外国人はダメでも手はあるね。勿論日本の銀行の融資対象にはならんが、こっちの銀行はOKだし、20年ローン組んで2年くらいでかえしゃあ実績できて、今度は低利の企業ローンを組めばいいってもんだ。こっちで工場やって日本へ輸出して日本円で収入上げる。オフィスビルも分譲してるから、いい場所の新しいのを買って日本企業の家主になって日本円で家賃をいただく。こっちでも円を稼げるわけだね。当然従業員の給料は元払いの現地基準だから、円収入を取り崩さなくても現地での儲けだけで賄えるというわけですね。(細かいことは企業秘密)駐在員も日本の本社ベースの円収入だから、同じかな。天国でしょう。

逆が、現地採用ケースかな。なまじ周りが見えるから、みんな大変なんだとかで、4千元・5千元の給料で良しとなってしまう。確かに1千元とも2千元ともいわれている大卒初任給だから、一見高給だと思ってもそれって所詮月給7万円(5千元)でしょう。日本じゃ物好き扱いされちゃうよ。現地人でも訳知りのウチの塾長なんかに言わせると「チャイなんかに来るなんざ、オチコボレよ!」ってな極論も出てくるわけだねw まぁコレは私自身のことも、いってんだけどさ。

しかし、こっち来て少し考えただけでも、なーんもできんもんなw 50過ぎて外国語勉強するってかぁ?効率悪過ぎ以前に記憶力が皆無だもんねw
遥かそれ以前に、チャイ語なんざぁ興味がねぇよw

んじゃどうすんべ、ってかw
ひょんなことから極短期口演w頼まれて、気分良くしちゃったわけね。(円換算の)「安給料」で時間拘束されんのたまらんから、なまじそんなモンイランとか言って勝手ほざいてるけど、正式に募集掛けて始まったら、そうもいっておられんしね。自由業の勝手さで、いろいろ自前で調べては来たから、それ検証する意味でも自分にとっても興味あるわいな。後で塾長言ってたけど、この仕事って「オチコボレ」のお定まりのコースなんだってね。でもしゃーないもんな、他できんしw
ま、意気と威勢で違いをアッピールするっきゃないでしょ。「現役日系独資企業総経理のビジネス日本語(+作法・文化解説w)講座」ってなことでw、幸い評判は上々のようだし。

それって間違いじゃないけど、大正解でもないってところが、ミソだよな。まともな宮使えしたことないのにさ、でも32人は使ったことあるしな。但し法律職でなw 日経の就職のページとか見ながら、また今までの興味検証しながらやるっきゃないでしょかね。
七夕は、旧暦というより1ヶ月遅れの8月7日に仙台とかで賑やかに開催されますよね。正月を旧暦・太陰暦・農暦で祝う(春節というらしい)のが、チャイナ圏での慣わし(朝鮮もそうらしい)だとは知ってはいたましたが、現地で経験するのは初めてです。昨年は2月だったらしいですが、今年は1月22日だそうで、今日は大晦日というわけです。1月14日は「小年」といって、いわば春節イヴらしかったのですが、突然花火・爆竹が鳴って驚きました。経験者の留学生が「大年(春節のこと)はこんなもんじゃなくって、「すわ!内乱か!と思いますよ。」というような説明をもらっていたので、楽しみにしてましてた。

午後からですか、花火・爆竹がなり出しましたね。14日は夕方からでしたから確かに気が入ってますわ。街の雰囲気も確かにウキウキしてますね。テレビの番組もそれらしくなってます。早めの夕飯は別に毎日と変わりませんでした。午後6時半頃から、花火・爆竹の鳴りが際立って大きく連続して聞こえ出しましたね。気が付いたらみんなテレビの前で見入ってますね。どうやら紅白歌合戦のような番組が始まったようです。呼ばれて一緒に観戦です。といっても、紅白に分れて勝負を競ってるわけではなさそうで、大宴会の趣ですね。歌のいあだに漫才・コントのようなものが挟まった番組進行のようです。男性二人組みの出し物、男性独りにお母さん役の女性と多分恋人役の女性の3人の出し物、みんな小道具として携帯電話を持ってますね。確かに携帯電話は普及してますね。っこちらの携帯電話のシステムがおもしろいですね。申し込んで銀行口座に先払い、チップを買って電話機自体はどこのものでもそのチップを入れれば使えるというシロモノ。だから料金の取りっぱぐれは皆無というわけですね。番号は長いね。11桁です。大連市内でしか通話できないPHSは7桁ですね。私はこれにしました。別に他都市に移動しないしこれで間に合うと思ったからでした。でも国際電話とか他都市からこれにかからない・かけられないというわけでもないですからね。特に別にプリペイドカードを買って一旦暗礁番号を入力してから特定の(一番安い今のは17951)番号を入れてから掛けると、国際電話も極めて安価にできてしまうのですね。IP電話というわけです。それにこれが定価100元なのですが、どういうわけか安売りwしてて何と30元で手に入れてくれましたね。ここいらがチャイですな。よくわかりません。これだと国際電話が1分当り10円ってことになるんですかね。公衆電話も多いですね。意外だったのですが、これもプリペイドカード式オンリーだとわかって納得しましたわ。現金入ってたらなくなると思ってたもんでw あとはキオスクみたいな小店が街角のあちこちにあるんですが、そこでは通話時間の現金支払式ですね。

ま、そんなこんなで携帯電話がコントの小道具になるくらい多分最近一気に普及してるってわけですね。テレビコマーシャルもやたら携帯のが多いですもん。で、20代の多忙そうなサラリーマンが携帯電話を指し示しながら、忙しくて恋人とまともに会う暇もないとか嘆いてるらしい。(言葉がわからんもんで想像だけネw)正月休みに自宅に招いたんだね、状況としては。んで、田舎もん兼古い人間のおふくろにいろいろ言いくるめてるわけだ。これって一人っ子政策で圧倒的に女性人口が少ないから世代的に男は配偶者選択で苦労してるってことも示してるのかなとか思ったね。「古い人間」ってのは、このおばさんが椅子にチャイ風胡坐をかくことで示してるわけだが、この仕草がやたら家族にゃ受けてたな。腹かかえてわろうてた。で新しいはずのその女性が案外古風で、親孝行がいっちょんトレンディだとか言ったのかな、ハッピーエンドってなわけだ。泣き笑いの人情上方喜劇ってなつくりでんな。でもさ、20年くらい前って文化大革命世代じゃん、あのおばはん。1930年ころに若いころ過したのなら、90歳代のよれよれのお祖母ちゃんじゃんw中抜きバレバレの作りだよなぁ、どう考えても。1949年から30何年間の中抜き演出しようとしてるかなw 目立たないけど、臭みがぼつぼつ出ているね。

10時半ごろからかなぁ、花火・爆竹が一気に激しくなったさ。番組も一気に臭みw全開の様相示してきたね。歌もなにやら「我が祖国がどうたらこうたら」「老百姓=一般大衆・民衆が天だ、地だ、全てだ!とかなんとかかんとか」。歯が浮くというか、しぃらけぇとぉりが東のそ〜らぁ〜えぇ〜とでも一曲はいりそうなのが延々と続きだしましたね。

星野知子に似てるかなぁとか思って見ていた女性アナウンサーが、突然まじめ口調で、またあぶないw顔つきになって、能書きらしきもん言い出したような気がしたな。と思ったら例の「神舟5号」の”かっぱ”航天士(宇宙飛行士のことネ)がお出ましだい。こっちにいるとき、あの科学的共産主義のはずなのに「神w」舟(宇宙船っていうからまあいいけど)打ち上げあったんだけど、3人のうちから選ばれて彼が宇宙服着て出てきた時に、かぶりもんの上だけ白くて、瞬間なぜか「あ!沙悟浄」っておもてもうて、以来勝手に「かっぱ」って言ってるさ。

で、来年の干支は申で(猴って書くんだけど)定番の孫悟空が出てきたよ。3年前だかにヒットしたらしい連続テレビドラマ「西遊記」は、今年再放送やっててファンになってしもた。主人公がよきできたメーキャップで大活躍だったね。それが忘年大宴会だもん出て来たというわけね。御馴染みのテレビ主題歌に合わせて舞台上でもおお張りきり。ええぞ、えぇぞぉぉ〜って、くれよんしんちゃん(小新っていうのよこっち)風の思ったね。で、干支に合わせてあの従者のいっちょん下っ端の沙悟浄航天士を出演させてのなら、そりゃ大したもんだと思うのだが、全くそうじゃないだろねw 生真面目に敬礼してたしさ。でもそんな楽しみかたもできたので、よしといたしましょう。

次は救いようがなかったな。臭さ満開なだけw
「金塗り」ならぬ」泥塗り」の人民軍兵士群像が現れてきてさ。ありゃ銅像のマネかい。例のチャイ風臭いポーズとってやんの。そんなの前に軍隊の勲章いっぱいぶら下げたおっちゃんが、また臭そうな歌詞の歌、まさに朗々と歌ってたね。も、どうでもいいけどさ、あれって「抗日戦」がテーマでしょうね、どう考えてもw 大体が「国歌」自体が抗日歌だからねw

さて独り純正日本人の観客の私としては、また勝手に想像したね。ハナ肇のぱくりwかな、ってさ。

昔あったじゃん。学校の創立者だか功労者だかの銅像に扮したハナ肇がさ、クレージーの連中に白粉ぶっかけられてり水ぶっかけられてりメチャクチャいたぶられて挙句に「いい加減にせいよぉ〜!」ってブチ切れるヤツw

泥塗りで銅像に扮したって、オチがなきゃ意味ねぇ〜じゃん。なのに最後まで臭いチャイ風ポーズの銅像やっててさ、せめて瞬きすんなよなw

ハナ肇思い出して独り笑いしていたら、一気に花火ばんばん・爆竹ばりばり連続して鳴り出して、はい新年明けまして、おめでとさん!

餃子を食べて、苦いお茶飲んで、目出度く春節をお迎えいたした次第です。

吹雪の中の買い出し

2004年1月20日
19日夜、上海の日系縫製工場を任されている義兄が春節休みで大連に帰ってきた。10月にこちらで売りに出ていた縫製工場を視察するのに付き合ってもらったので、約2ヶ月ぶりの再会である。彼の工場で作ったコートを送ってくれたので、まずそのお礼を言う。勿論日本語で、だ。

彼は、まだ数少なかった80年代の就学生出身である。あの頃はチャイニーズの就学生は皆まじめに働きながら勉強していたな。少なくとも私の周りの連中は皆そうだった。留学生もいたが、ほとんどが早めの帰国予定の就学生だったようだ。

1年で日本語学校を終了して各種学校・専門学校を、これもバイトしながら2年。2年間か3年間を、当時売り手市場だった中小企業に就職して、人脈造ってある程度お金を貯めて、旨く行けばオーナー社長から投資してもらって目出度く故郷に錦を飾る。起業志望者の通常のパターンではあったね。大學または大学院で勉強を続ける者は、大手志望の安定志向が多かったような気がする。双方のケースに知人がいる。挫折のケースも何例が知っているが、共通点は「表面的日本化し過ぎwて臍の緒切れた」ってことかな。今を自分に当てはめて「臍の緒切れないように」、毎朝ネットで産経・読売そして日経(他紙、特に○日新聞は無視w)読んでるさw。

日系独資の総経理の割には、彼の日本語はお粗末だw。しかし感覚はしっかり(今どきの平均的)日本人以上で、好みもまた日本酒のぬる燗が大好きとくる。私は先日の残りモン(留学生諸君を招待したのだが、賢明にも誰もコレ飲みたいと言わずwビールをワンケース飲んでった)の、近くのコンビニで買った安モンのショウコウ酒があったので、それぞれレンジでチンしていただいた。松竹梅紙パックに、甕入り15元のショウコウ酒w

上海は雪だったそうだ。朝からの雨が、夕方から雪に変わったようだった。越後wのような重い雪だとか言ってたが、空港まで一緒だった本社のオーナー社長の受け売りだろな。社長は成田へ、彼は大連へということであった。上海は昨年7月に行ったけど、空港までが遠いからな。大連まで1時間のフライトで空港から15分で我が家だからな、ホントここは便利だよ。観光都市なんで綺麗だし、ちっちゃい街だから管理も行き届いてるし。

翌朝、娘を連れてやってきた。若い2度目の女房は、ウチの関連で、縫製工場の管理事務研修生として日本にいる。実習も予定してるから、あと丸2年7ヶ月は別居生活というわけである。女房方の父母に子供の面倒を頼んでいるという典型的チャイナ生活なわけである。みんなやってるから、ここじゃ別に不思議でも何でもない。

外を見たら吹雪いていた。マイナス8度。マンション内は地域集中暖房で22度に保たれている。だから窓を開けて外気を確かめないとわからない。風が吹いていれば、体感気温はマイナス10度かな。正月の買い出しに行こうと言われた。二人で歩いて吹雪の中を近くのウォルマートに行った。寒いか?タクシーにしよか、と気遣ってくれたがもう慣れたよ。

確かに混んでいたが、スペースとってあるしフラットな売り場なので、カルフールなんかと比べたら断然余裕である。

しかし、野郎(おぢさんw)二人の買い出しである。よっぽど昨夜のショウコウ酒が不味かったのかw80元の小さな陶製のビン入りのショウコウ酒と、朝日ビールワンケースに肴w、子供のお菓子を買った。そんなもんばっか買い物ワゴンにシコタマ買い込んで、ひいこらタクシー乗り場まで運んでいった。どうでもいいけど、朝日大瓶12本は重かったゼw

明日また来るよ!って晩飯食わずに帰って行った。さて、どんな大晦日になることやら。

いい日旅立ち

2004年1月19日
22日の春節をこちらで過さないで、9歳の娘は独りで成田に旅立っていった。冬休みは日本で過すという恒例行事だというわけである。しかし4週間は少し長すぎるな。生活が夜型になって乱れるだろうと心配している。読み物も兄貴の影響で漫画だろうし...

今朝は朝方から霧も出ず風もなく、いつも通りのカラッとした太陽が照り付けていたが暖かくもない。昨日は不思議だったな。眩しい太陽が照り付けているのだが、太陽光の暖かさが感じないのである。風があったので、耳や鼻、頬が痛い。今日は風がない分、いい天気だといえるだろう。

彼女自慢の5歳の時独りで大連から成田に来た時は、乗機がANAだったので安心して送れたが、今回は帰りの都合でCAを使わざるを得なかった。昨日電話で問い合わせした時は、対応が要領を得なくてかなり心配だったので、今朝早めに空港に行った。と言っても、我が家から周水子空港までは車でわずか15分で、国際空港なのにどこぞのローカル空港の風情なのである。発券カウンターの行先表示も、東京・大阪・仙台・広島・富山・名古屋・福岡と御馴染みの都市名が載っていて、わずかに香港(これって国外w)・漢城(ソウルのことw)の表示で何となく国際線だと分ったりする。いや、発地が大連なのだから日本の行先都市は当然外国なのだが、空港の規模といいその行先表示といい、日本国内のローカル空港と思わず勘違いしそうになるのである。その割には日本語が全くと言っていいほど通じないのであるから、ここにも塾のニーズがあるな!なんて思ってしまうわけであるw。

発券手続して子供の付添を申し込んだら、電話で確認した通り260元の料金を言われた。案内所の連れて行かれて親切にいろいろ手続してくれた。出国カードもそこで書いて、医療申告カードとパスポートの3点セットはクビからぶら下げるスタイルの綺麗な紙のシートに入れられた。そしてかわいい空港職員に連れられて入管・税関のある2階へのエスカレーターを登って行った。CAもなかなかシステマチックでいいじゃん!空港使用料を払おうとしたらいらん!っていってたので、260元に含まれているようだ。んじゃ全然高くないじゃん。よかったよかった。

さっき、無事ウチに着いたと電話が入ったようだ。大連から成田までは来る時と違って気流の関係で30分ほど早く着いて2時間。成田でバス時間待ちして直行リムジンに乗ってから2時間、道路の込み具合では3時間で、あっちの我が家だ。

今頃3人でお母さんの誕生パーティーを兼ねて、夕ご飯を楽しんでいることだろう。今回のささやかな冒険は、大成功というところだね。

勤務日土日

2004年1月18日
娘の更新ビザが今日日曜日午前中に到着しないと、月曜日11時の便であるから極めて拙い。

朝7時前に心配して塾長が電話をくれた。EMS便は確認ができるので聞いてやるということなので、手伝いさん起こして受取証を出してもらった。役所に問い合わせてもらったら午前中に配達になるということである。待っているうちに、もし訂正事項があったら入管は午前中で事務が終わりだから確認して訂正に行くとしたら午前10時半には到着してないとまずいと思うようになった。再度電話して急かしてもらった。配達の順番があるけど、森ビルからこちらに直行してもらえることになった。配達員が携帯もってたので助かった。マンションロビーで受取った、10時45分であった。すぐにチェックして間違いないことを確認してお礼の電話を入れた。

ホッとしたのもつかの間、付き添いのスチュワーデスも手配が心配になった。JAL・ANAなら申し述べるだけで良いのだが、今回は帰り一緒なのでCA便のはずだからだ。手伝いに聞いたらやってないという。また、塾長に電話してCAに問い合わせてもらった。別料金260元だそうである。月曜日朝早めに行って手続しなければならない。

ひと安心とコーヒーをいれて飲もうとしたら、1時20分から英語学校だと言われた。おいおい、年末就業日にやるんかよ!遊び英語学校w

寒いんで散歩したくない。別件で塾長から電話あったので近くの喫茶店を紹介してもらった。アメリカ人経営の超有名店が近くにあった。全く4ヶ月間知らんかったw。店内は英語が通じるようだ。日本語もちょい。何とエスプレッソが飲めた。ホンのちびっと、19元也。40分くらい居たかな。途中の休み時間にジュースが飲みたいとかで買って持って行った。時間がぎりぎりだったので小店で買ったのだが、店のおやじはオレ見ててっきりタバコが欲しいのだと決めつけたようで、そこのオレンジジュースってんのにやたらタバコを指し示し続けるw。

英語学校の帰りにウォルマート入口にある「電気焼き羊肉串」店で立ち喰い(密かな二人の楽しみw)をした。

昨日は日本、今日はアメリカとチャイナ。大連にはいろんな楽しみがあることがわかってきた。
1時半に人民路の中銀大厦1階ロビーで待合せ。身分証明書持って来いとか表示されてたってことで、持っていかなきゃなるまいが、パスポートは無償提供情報量が多すぎ。だから「外国人居留証」を持ってきたのだが、受付の中銀大厦のテナント表を見て驚いた。オーナー階(テナント階とオー階がある)の登録会社名が、あたしの居留証記載の「工作単位」=帰属企業名で登録してあったw。そんでおまけに「職業的身分」=職制が「総経理」=社長wって書いてあった。こりゃまじいぜ。求人のノウハウ参照wにきたことバレバレじゃんか。

で、なんも身分証明書ありまへん、かつ塾長の友達でたまたま行くっていったので付いてきた、というシナリオで押通すことにした。

***眠くなったんで、続きは後ほど・・・

ビザ切れ寸前

2004年1月16日
15日木曜日、ニョウボから電話で、娘の再入国だいじょうぶだったかしらという。お婆ちゃんに娘のパスポートと居住証を書庫から出してもらう。ビザだけ見ると期限はすでに昨年3月wに切れている。居住証は更新してある。今年の3月まで有効である。管轄が違うからね、これ。すぐに日本領事館大連駐在事務所に電話した。近くだったらすぐに出向いてくださいと言われた。午後から森ビルに行くよ!って娘にいったはずなのに、お祖母ちゃん手伝いさんと3人で買いものに出かけた。5時半に帰って来たw。一応説明したけど、わからんだろうし、通訳自体が難しいからね。とにかく約束してるんで、明日金曜日9時に領事館に行くんだと言ってもらった、小学3年生の娘にw。

会社の通関部長が運転してくれた。別にタクシーでもよかったんだが、かえってちょい予定より遅れたw。一番で日本人専用窓口で説明を聞いた。ベテランらしいのチャイニーズ担当官だった。私には想像通りのことで、居住証で滞在更新してるので「不法滞在w」にはならん(なったら1日500元の罰金だわ!)が、ビザ更新しないでこのまま出国すれば東京で新規のビザ申請して入国しなければならないこと、居住証は無効になること、である。

さて、これから「公安局外国人出入境管理処」に出向いて、早急にビザ更新手続をしなければならないのだが、この事情を正確に担当官に説明できるか。単にパスポートだけ提示したのでは「不法滞在」問題で論点がずれてしまうことは明らかである。チャイニーズの担当官にお手数だが同じことをこの手伝いさんに説明してくれるように言った。丁寧にチャイ語で説明してくれたと思う。で、分ったかな? あっさり「プトン(らからん)」w ...担当官も呆れてたね。

公安って11時半で終わりじゃん。ショウガナイんでお助けマンを呼ぼう。塾長駆けつけてくれた。幸い森ビルから徒歩5分のとこに住んでたんだね。一応私が日本語で説明してから、担当官にチャイ語でまたまた説明してもらった。「ミンバイラ!(了解)」

車で公安局に駆け込んだ。もう10時半。おまけに列作ってるw。段取り通りにまず居住証と併せ示してオーバースティになってないことを確認。再入国許可かビザ更新手続かを聞く。当然ビザ更新手続である。どのくらい時間がかかるか聞く。3・4日だという。事情を話して気付かずに月曜日のチケット買ってしまったのだと言ってもらった。そしたら「春節休み控えて、土日通しで事務やるよ!」だって。ラッキー。

...でも、日曜日に到着しないとまずいんで、と付け加えてもらった。とにかく申請書書いて出さなければならない。写真持ってきて良かった。思いついて、残りの連中は家に帰ってチケット持ってくるように言った。連中、ボケっとして意味を解さない。委細かまわずとにかく早く行って取って来て!

受付はすぐ終わってしまった。申請の時にチケット示してホンとに困ってるんだとダメ押し言いたかったのに、理解不能の連中は終わったあとにノコノコ1時間近くかかって到着した。11時半、時間だとガードマンに言われて役所を退出されられた。もう、神頼み状況。なんとか土日が勤務日なんでなんとかなるかな、でも中1日で事務終わって発送してもらわんと日曜日午前中には届かないものなとか言ったら、土日やってるのわかってたよ〜!とか言う阿保が居たw もう、無視するしかないね。

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