飯嶋さん、狂っちゃったかな。ミンジョクやまいの火病(ファビョン)発症ですか。産経新聞に出てましたです。

2004/03/02 (産経新聞朝刊)
韓国大統領が対日批判 3・1独立運動記念式典 靖国参拝「国民傷つける発言」「温かく対処を」北には理解 ( 3/ 2)【ソウル=久保田るり子】韓国の盧武鉉大統領は一日、日本統治時代の抵抗運動「三・一独立運動」の八十五周年記念式典で、「ぜひ日本に忠告したいこと」として靖国神社参拝をはじめ歴史認識問題などについて、「国家指導者レベルで韓国国民を傷つける発言はやってはいけない」と述べ、名指しこそ避けたものの小泉純一郎首相を批判した。演説草稿にはなかった即興の発言で、異例の対日批判となった。
 盧大統領は演説で「韓国政治指導者が(日韓間の)歴史的事実や今日の日本の法制度の変化、まだ解決されていない問題について語らないからといって、すべての問題が解決されていると考えてはならない」と、歴史認識問題や有事法制の存在を指摘。その上で「韓国国民を傷つける発言は少なくとも国家指導者水準(レベル)ではやってはいけない」と述べた。
 二月二十五日に発足一周年を迎えた盧武鉉政権下での日韓関係は靖国問題や竹島問題はあるものの総じて良好だった。盧大統領自身が皮肉をこめた直截(ちょくせつ)な表現で対日批判を行ったのは初めて。
 演説では「日本が一言言ったからといって、感情的に対応することは自制しよう」とも述べ、自らの発言が感情的なものでない点を強調した。
 韓国で「三・一節」と呼ばれる独立運動記念日は運動発祥のソウル市内の公園など各所で行事が行われ、日本統治時代が全土で想起される日だ。近年は下火になりつつあるものの、メディアは反日特集を組み、日ごろ反日に縁のない若者なども抗日独立運動に共感するムードが高まる独特な雰囲気がある。
 盧政権は四月中旬に政権の今後四年間を占う総選挙を控えている。政権をめぐる政治環境は厳しく、支持率は25−35%に。一周年には政策の総点検がなされて「大統領の指導力」が問題視される場面が多かった。
 今回の演説はそうした政治環境も背景に、国民感情に直接、訴える「国家指導者」としての自身をアピールしたという要素も強いとみられる。
 盧大統領は演説で北朝鮮問題にも言及した。六カ国協議で継続以外にはほとんど成果が得られなかった直後とはいえ、改めて「核問題の平和解決」の必要性を強調。さらには「北朝鮮は予想のつかない相手だが、温かく対処しよう」などと理解も示し、日本向けとは対照的な内容となった。
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短絡して、敵と味方がわからなくなっているようです。
歴史評価の単純化は、こんなに国も誤らせるものかと新ためて感じすところですネ。
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2004/03/02 (産経新聞朝刊)
【産経抄】三月の声を聞いたとたん関東地方には寒の戻りが来たが、日韓関係にも何かの記念日というと“寒”が舞い戻る。三月一日は日本統治時代の「3・1抗日運動」から八十五周年記念日とあって、韓国のマスコミは反日感情をあおっているそうだ。▼日本の軍人が軍刀で捕虜?の首を切る場面や、“従軍慰安婦”らしい女性が警察に連行される情景など、正体不明の合成写真も掲載される。服役中に病死した人間も“処刑”として誇張報道される。戦前の日本支配の蛮行として、事実関係はどうであれ総動員されているらしい。▼そういう折も折、朝鮮史研究の権威といわれる米ハーバード大学カーター・エッカート教授の『日本帝国の申し子』(草思社)が出版された。これは「日本は韓国の社会経済の変化の推進者でもあった」という“日本はよいこともした”研究書なのである。▼戦後の韓国は世界が「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ぶ驚異の経済成長をとげたが、その原動力となったのは日本統治の遺産だった。同書は一九三〇年代の朝鮮の資本主義、高敞(コチャン)の金(キム)一族の京城(キョンソン)紡績の発展と拡大の軌跡を、資料によって綿密に検証している。▼最近、「日本統治時代はわれわれにとって祝福であった」という金完燮(キムワンソプ)氏の勇気ある『親日派のための弁明』(韓国では発禁)が日本ででた。杉本幹夫氏の『「植民地朝鮮」の研究』(展転社)や、黄文雄氏の『日本の植民地の真実』(扶桑社)といった労作も相次いで出版されている。▼しかしアメリカ人という第三者から、日本の植民地統治の“遺産”が公正に評価されることの意味は、極めて大きい。もちろんその遺産は負の暗い影を落としたが、明るい光もあった。イデオロギーで歴史的事実は動かせないはずである。
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ま、やはり敵味方識別不能者なんですネ。
でも大統領制下で外交部がこの演説は関知してないという声明出したけど、即外交部長官(部長)をクビにしないとまずいでしょ。そうしないと指導力なしということになるし、クビにしたらしたで国家元首が一方的な言い方で他国の(政治的な)国家元首を非難などしたら、「開戦理由」として十分でしょw。もっともココは領土(竹島)侵害してるし国家機関利用して既成事実化(切手発行)やってるし、かといって国際法廷には出てこないし、国家としての姿勢が19世紀レベルにあるからネ。武力の裏付けのない外交力とは空しいものだとの確認でしかないだけです。遠い親戚だかなんだか知らないがひとさらいのかたもったり、僅か父親の世代に行われた戦争で血を流して救ってくれた味方を排除しようとしたりしている。見境無く国旗など焼いているが、現地司令官が「自分達は命を的に侵害を防いでいるのに...」と絶句してはらはら涙流したテレビ見たことあるけれども、極めて感情的にマズイこと平気でやっているのにネ。それやってるところが「韓国国民の感情を傷つけることをやってはいけない。」って言ってもサw。呆れるだけだ。「国家指導者レベルで」と限定してて、言ってません煽ってませんとか逃げてるのだろうが、1930年代の「俳日運動・侮日運動」と同じ論理だね。チャイナの論理じゃん。年末の米大統領選挙待ちだとの解説があるが、ドイツでも社民政権危ういらしいし、流れは違うんじゃないか?
*****************************AM7:10
所用でフラマ・ホテルに行ってきました。会社の近くだし日本人御用達の五つ星なので、今回のお客様にはこちらにお泊まり頂いております。東館(本館)15.16.17階と西館(新館)14.20階は日本人専用フロアとなっております。15階オーシャンビューの部屋にしました。明日早朝に北京へ発つので、ニョウボはホテル泊です。ツイン1泊600元(8400円)。日本的感覚だとお安いのですが、こちらだと三つ星クラスだったら100元からいけます。秋田のせっこいとこで2万円払ったんだからとか完全に日本モードで、ボーイに100元チップやってましたw。この感覚は私もわかるようになりました。こっち感覚じゃ仕事にならんのです。部屋は日本人向けというだけあって落着いた(キンピカじゃない)デザインです。大連港がすぐ近くに見下ろせます。ん?あの鉄錆びの塊はなんか変わった船だネ。先頭が競り上がった旧ソ連式の航空母艦のようですw。小型空母ですね。まっ茶色の鉄屑扱いで買ったのかなw?衛星テレビ見れるんで点けました。NHKですね。「視点・論点」やってました。いつも北関連のニュース解説で見る顔です。お題は「六カ国協議を振返って」。あれ?「六者」協議じゃなかったっけ?

聞いているうちに腹が立ってきました。極めつけは「...ですから、次回協議が決定し…
韓国の大統領発言は外交部の実質謝罪で「ないこと」にしてもろたのかな?その後ニュースになってませんです。産経も含めてですネ。誰でも口を滑らすことはあり得るので、別に「勘違いでした!」と正式に言ってくれば、言葉尻捕らえて云々しないくてもいいでしょう。内政が苦しいことは了解してるし、ちょいと焦って外国にゲタ預けようと誘惑に駆られました、とかネ。えざわたみ、と違ってそこいらは基本的に西側の一員ですから、軌道修正も早くしるに越したコトはありません。

午後からの地元ニュースが、ちょいと暗澹たる気持ちにさせました。
アメリカ国務省の「世界人権報告」に対して、チャイ国務院(政府)新聞弁公室が「米国の人権記録」ってなもろ対抗宣言したようです。かたや「世界の」、かたや「米国の」...。

米国も世界のこと言うのもいいけれども、少しくらい自分のところの反省も欲しいかなとは思いつつも、実際裏はどうあれ自国の若者の血で一つの効果としては「人権保護・回復」を贖っていることは、事実として認めなければならないと思うわけですネ。だから彼らがもし反省すべきところがあるとすれば、このレベルの事柄(所謂人権の達成)は「今のところは理想」であって、その保護網から確かに漏れている人々があるけれどもまたその人達にもコレコレの自己努力・啓発が必要であることも確かなことであり、その方面での努力は政府国民一緒になって進めていく、とかキメコマカク書いて欲しいわけですネ。でもそれは個々人と共同体との折合いの問題であって、いって見ればその他の諸国とは次元(例えば北とかアフリカ)が違うように思えるわけです。「それは人権の問題ではなく、統治の問題である。」とかの反論であれば、まぁこっちにはこっちの悩みがあるのだから一々口出し無用。頭ごなしにお説教されなくとも徐々に統治の問題が解決され続けていけば、少なくともコレコレの「人権」も保護されるようにはなるだろう、とでも言ってくれれば納得もできようものです。

そうも、今回の名称からしての「米国の」人権記録、ってのは例の「ただ言われたくないから、とにかく言い返す!」というチャイニーズの一番悪い性格の反映に過ぎないシロモノではないだろうか?と思ってしまうわけです。極端な時には「ウチに泥棒に入られました。」「なに?侵略の賠償も満足にしてないんだから、そんな程度はクレてやれ!」っていう、アレwです。少しづつ落着いてきているにしろ、常に言われ続けてきたどうしようもない「ああ、所詮シナ人だからなぁ」の対象行動。謙虚さがない、反省しない、開き直る、無責任、論理の摩り替え云々の一切合財の根本的人生感、とでも言うしかないヤツw。「阿Q根性」...。もうとにかく日本人が生理的反発を覚える、アレ、ですw。

ソレ、がもろ出てるように思えるわけです、今回の「米国の人権記録」ってのにわ。つまり、政府がそういうことを率先してやってしまうと永久にそのまんまなわけで、いくら学校で奇麗事暗記させてもそれみろ!ってなことで最初二重人格、長じるに従って多重人格者の集合体...もうナニやっても駄目かなとか思ってしまうわけですネ。具体的には、日本語塾なんてのボランティアで折角自分の時間消費してるのに、丸っきり一人よがりだなんて思われてたら単なるアホで...。テープレコーダー替わりじゃネw。もう、ケツまくっちゃお。
*******PM11:45
今年は閏年なんで29日という”余計な”w一日入ってるんで中休み気味だったのだが、なんとそれを吹っ飛ばしてくれるかのようなニュースが立て続けに入り、半日笑って過してしまった。

「飯嶋」氏の由来やら「彼の国法則」も丁寧な解説が出ていたり、伝播(電波)とか取巻きの「お食事券」(汚職事件w)とか...単なる誤変換と同音異義語のおかしさに過ぎないのだが、それにしても意表を突いて出てくるからか、決して侮れない可笑しさがあるようだ。つまり真面目に硬い文章を読んでいて、つい感情的になってしまった時にコレがポッと出てくると肩の力が一気に抜けるという訳である。自然冷静さを気が付かないうちに取り戻しているわけであって、それを織り込み済みであるとしたら何と高度なw、つまり心憎い気遣いであろうかとおぢさんとしては思うわけなのである。

内政干渉発言の映像。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/01/20040301000000.html
タイトルと文章を読むと単純にカッカきちゃうのだが、そのコメント。

「ペプシコーラ本社ビルを訪れたノムヒョン大統領」

と、ある。...??だよネ。相当暫くの間わ...w

で、何となく気が付くと、ゲラゲラゲラw、という次第。
デンデン太鼓とか言うよりもっと気が効いてる。

そんなこんなで盛り上がってるようであったが、次ぎの関連ニュースが早速紹介されました。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/01/20040301000014.html
いやぁ、ホントに、笑わしてくださるところです。南北問わず...

ここのサイトは、何歳くらいの世代が主なのだろうか。全く健康的であって、安心して外地から日本を観て居られるw。
*******PM7:05
最後の方にちょいと不穏当な表現が出た。アップしたら3000字オーバーらしく切れていた。ま、いっか...

ご当地小学校は今日から新学期である。1月9日から2月いっぱいの休み、随分長いんじゃないか?大學も同じペースで、2月16日から始まってはいるがどうなんだろ。留学生も今日かららしい。こちらで一番驚いたのはまともな図書館がないということかな。日本も自慢できないが、それにしても知的刺激という面での環境は、甚だしくw宜しくない。だからか、留学生諸君は早々に帰国したり、三国志wの世界を探索したり(何を見付けようとするヤラwマイモノネダリ?)、極めて少数の者は僻地に冒険旅行を敢行する。

おっさんの当方は、そんな元気も未練もないので、人材開発wなんかやってたりするわけなのだが、ほとんど嫌になってきているw。
「日本語」は通じるのだが、日本語が通じない。つまり、なってないのである。そんな暖簾に腕押無駄なことやってる暇はホントの閑じゃないんで、ネットで読書していたほうが遥かに自分のためにはなる。生活費がかからないのでそれだけは得難いwのだが、ちょいリフレッシュに帰国して本屋巡りでもして来ようかなとも思う。でも5ヶ月じゃちょい早すぎか。

普蘭店市内に延べ床7000平米のビル見っけて来た。建坪以外の敷地が約3500平米付きでである。日本と比べると1桁、いや2桁違いだろう。ここは大連市内から高速モドキの一般道wを1時間半である。以前も書いたが、村落以外のところは高速でとばせるが、村落に入ると平気で横断したり驢馬車が平行するのでヤバイ道路である。でもトラック等の商用運行は経費的に、主に夜中に狭い旧道を通るようである。時間的には倍以上かかるだろう。で、そんな奥地でもないか近郊での業務のために、こっちやり易いように新築かそれとも多少手直しで廃業破産wの同業他者(社)のを買取かというから、当然買取だと言った。もう平たくいって、時間ないと思う。業種的にも、多少レベル上がったのかどうか、業務用ソフト開発かコールセンターであってつまりは労働付加価値産業でしか投資しないのである。当方もモロそうw。だから元切り上げはもろ悪影響の単純なものである。そしてこの状況も、オリンピックの4年後まで、コレに近い状態が持つかどうか根本的に疑問である。この5ヶ月の印象では、そういうことである。
*******AM8:30
労賃安いことだけ売物にすると、行き着く先はこういうことでしょネw。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/20040301103.html
実際日本でも、海外で働きませんか!ってな甘い言葉で勧誘し、肝心のお給料のところは「現地採用に同じ」とか書いてあるw。
そりゃ単に「日本語できる人材が欲しい!」だけであれば、内地wであぶれてる日本人を採用したほうが手っ取り早いわけで、「広い住まい・食事・お手伝いさん付き!」ってやっても「給料は現地採用!」ってことだったら確実に安くあがります。理工大の電脳専科卒でもせいぜい月5000元(7万円)で高給取りですもの。1万元出しても、日本でソレ維持することと比較したら2分の1で済んじゃう単純計算となりますですネ。ましてやこっちの人間で日本語さえある程度できるのを、そのまた半分で雇えたら...w

でも所詮そういう「仕事」は、上記米国事例となるわけですネ。
だから「阿Qこんじょ」入れ替えて、日本メーカー就職めざそー!とかやってるつもりだったのですが...w。アホクサ。
*********3月2日AM1:10

床屋と電子城。

2004年2月29日
髪が伸びた。風のある日は寒いので気にならないが、少しでも気候が緩むと切りたいと思うようになった。地場の床屋の5倍料金だが、散歩がてら行けるし仕方ないので11時頃目処に例の日本人専用マンション1階の床屋に行くことにした。娘はまだ夜更かしの習慣が元に戻ってない。やっと起こされて10時に寝室から出てきたが、一緒に行こうかと言っても行きたくないという。プリンターのインクも欲しいしバインダーノートも買いたい。逆算してすぐ外出したほうがいいので一人で出た。ちょいと寒い。5分ほどで博愛大厦に着く。2ツしか椅子のない床屋に入った。ちょい待てばいいかなとソファーに座ろうとしたら、「こんにちわ。ご予約わ?」と来た。日曜日、駐在員連まとめてサッパイしたいのだろ。ヘタさ知ってるので2時wにはできるというのを無視してこれ幸いと出た。みんな狭い世界で商売やってるのである。カタコトの日本語「ダケ」で5倍の料金で予約仕事ができるのである。情報統制社会は商売の情報も阻害する。昨日の今日である。非効率社会の事例が歩くごとに増えていく。とにかく天気がいいので五四広場から電子城まで歩くことにした。車では何度か来ている道だが、歩くのは初めてである。黄河路まっすぐは何度か行ったので、連勝街を右折した。しかし、「連勝」とか笑える道名が多すぎる。大敗走を長征とかごまかしちゃうお国柄、連敗続きの大陸戦線はもうお見通しなのだからサ。ネーミングは全て逆と取れば大正解というところである。朝起きてちょいと山川参考書「日本史研究」を読んでたら変な記述に出会った。「『復員と引揚』敗戦時、海外にいた軍人は約350万人から370万人といわれ、民間邦人・居留民も約280万人いた。...ソ連軍管轄下(満洲・北緯38度以北の朝鮮・樺太・千島)では抑留・強制労働などが行われ、ソ連からの引揚は1957(昭和32)年ころまでかかった...中国管轄下(旧満州を除く中国、台湾、北緯16度以北の仏領インドシナ)からの帰還者の一定地点への集結から帰国までの死亡率が、5%にとどまったことは、日本軍の戦時中の行いをおもうとき、驚きを禁じえない。1946(昭和21)年5月までに中国から帰国した軍人と民間人は、累計で166万人を超え、8割を超える人々が帰還できた。」
驚きを禁じえないのは、むしろそういう逆転した感想だろう。云われる「虐殺」など無かったから反発もなかった。台湾での僅かな荷物しか持たされない基隆港での別れ風景など、名残惜しそうに見送られたという記事を読んだとこがある。大陸でも同じだろう。、また大陸では連戦連勝の日本軍だったから、敗戦→武装解除など有り得ない。チャイ軍(国府軍がメインだが、赤軍の質も阿Q兵隊で同じ=チャーズの記録)の本質を約10年もの戦闘で十分理解していたから、いきなりの武装解除が何を意味するかがわかっていた。軍人の復員より民間人の引揚を優先して不用意な武装解除を行わなかった。逆に、露西亜帝国との戦闘である日露戦争の記憶しかない、中立国で一応白人だと思っていてソ連の実際の情報がなかったからかもしれない。また関東軍からは南方戦線に引き抜かれて手薄なところに中立条約違反で圧倒的軍事力で一気に攻め込まれ交渉のしようもなかったのだろうか。とにかく、感想が逆であると思った。

しかし、街とか道路のネーミングなのだが、水仙街とか残してるんだから纏めてかえちゃえばいいのにとかいつも思う。ま、哈爾濱と違って「スターリン」通りがないだけマシではあるが。昨夜久しぶりに哈爾濱の日本語教師のHPを覗いたら、「731部隊」の残虐行展示館wに出かけた話が載っていた。賢明にも彼女は一行程度だけその不愉快な印象しか記していなかったが、こっちに来るには挨拶言葉よりも、その手の話に対する何個かの解決策をしっかり暗記してくるのが効果的だと思う。そして基本的には敬して遠ざけるのが最も賢明である。敢えてバカの仲間入りはしない、ということである。口答えは言っても詮無いので、そういう状況に万一陥った場合は、自分の腹の中で相手の無礼さをせせら笑っていればいいのである。TPO違反はそういう話題を敢えて出した向こうにあるから、満座の共感は当方に来る。とにかく無視する。そしてその無視が圧力になるのは、自分で解決策すなわち知識を持っていることである。

連勝路中ほどには大きな団地があった。入口はしっかり鉄の格子扉で閉ざされ、脇にガードマン詰所があって出入をチャックするようになっている。これは最近できたある程度のランク以上のマンションの共通点である。外国人の租界もあれば、高所得者層の租界もあるというわけだと理解している。もっとも自由に通らせたら、迂回路として気が付いたらメインストリートになってる可能性の方が大きいかも知れない。実際片道3車線の本当のメインストリートでさえ、横断歩道無視で車バンバン走ってるところを平気で横切る阿Q達である。車に乗っていてもハラハラだが、今日は歩いてて横断歩道青信号でも赤方向からの「右折」車にクラクション鳴らされて寸前を走り抜けられた。車右側通行で進行方向赤でも右折だけは交通法規違反ではないらしいが、つまり歩行者優先とか微塵もないということである。...ったく、自由がないから無礼なのか、無礼だから「自由など与えたらどうしようもない」のか。DE小平の天安門事件の時の西側への恫喝が思い出される。「ああして押さえつけないと分裂するゾ。分裂したらそっちにイナゴwが押寄せるゾ。」御尤もと思ってしまうのが辛いところである。要するに社会が成熟しないと、大衆にゲタは預けられないのである。成熟のキッカケは自由だとも思われるのだが、それは大甘だというのが、韓国の現況であろうか。それはまさにその証明であるとも思われる。取捨選択なしの不満を掬い揚げて無理やり直接民主制の悪いところ丸出し、それがあのザマなのであろう。あそこは4年か5年かそのまんまなわけだが、休戦中の片割れがあのザマでは残りの手は軍事クーデターしかなくなってしまうわけである。

基本的な都市計画が日本製だから、まだ大連はましなのだと思う。それでも折角のロータリーをところによってはぶち壊してしまっている。五四広場もその口である。ジツに味気ない。ちんちん電車の走る西安路を注意深くw横断して大連電子城に着いた。ここも変な建物である。もともとは青空市(広)場だったのかもしれない。地図からはそう思える。3ブロック潰し4階建てのマーケットにしたのだろう。昨年11月ごろ来たときには1階にも店舗があったのだが、今日は1階は全部なくなってwいた。2階のパソコン屋街のみの営業である。そしてその一つ道外れの隣にはまたでかい、多分デパートだろう、が建設中ときている。既に西安路道向かいにはカルフールに百盛贈物中心(ネーミングからして盛り沢山w)のでかい百貨店が控えてるのに、である。飽和もいいとこだろ。購買力調査なんてそもそも「概念」がないんじゃないか。

さて、そのつまり秋葉原の小店を屋根付きのコンクリート箱に入れた建物の、奥の奥に行かなければならない。手前はパソコン屋と携帯電話屋がオープンスペースに延々と連らなっているのである。つまり同じ類の店がお互いに潰し合っているという構図である。店員もほとんどヤル気なし。1軒ショウウインドウにお目宛のインクを見つけた。店員らはPCゲームに興じておる。呼んで「コレ」と指し示した。鍵で開けようとするがチェーンの沢山の鍵を何個も試しても空かない。通りに面するメインのショウケースでそのざまである。女の子が他の店に商品wを借りに行ったようだった。最初から「2個」と指立ててるのに1ヶしか持ってこなかった。で2個そろったので「いくら」と聞いたら80元だという。1ヶ40元ということは1個当り6元載せてるのである。多分借り賃wだ。面倒なので「領収書くれ」といって買った。正価ない社会は値切りが面白…
娘の誕生日だったので、8時半からのビジネス日本語塾は11時半で切り上げて帰宅した。晩御飯をシッカリ食べる予定だったので、昼はハンバーガー程度にしておこうとウォルマートのマックに子供達をタクシーで連れて行ったら大混雑だった。みなさまは、おじょうちゃまおぼっちゃまがたなのでw、こんな混んでるとこでは落着かないというとこになって、またタクシーで結局我が家の近くの日本料理屋に行った。(アホくさ)
日本料理=寿司なんだろネ、みんなソレ注文した。いやな予感で私はビールオンリー。しばらく経ったらチャイニーズの子供達は食べるスピードが鈍ってきた。ほとんど食べた娘の空いたお皿に「残ったの、お父さんがたべよう」と回収宣言したら、どんどん集まってきた。山葵ぬきとはっきり言わなかったこちらも落ち度があるが、小学生が寿司定食頼んだらそのくらいは気を使ってもいいだろうし、日本だったら当然そうするネ。そんなわけで山葵をとったシャリの残骸に薄い魚片wが沢山集まってきた。一口食べたら恥ずかしいほど不味かった。酢飯じゃないヨ。こんなところでチャイニーズに気をつかったかな。最悪なのは魚が新鮮じゃないってことですね。海鮮料理を売物にしてる大連で、口の肥えた連中多いはずなのにこんなモノ寿司ですといって出す気が知れない。とりあえず夕方までの繋ぎなので食べれれるものだけを食べてネということで、みなさんしっかり残してwマズイってことの意思表示をしっかりしてくれた。こっちは結構な量を頼んでしっかり残すからね。決していい習慣ではない。旨くてもそう。変な大きさの茶碗蒸しに吸い物と日本的大皿にアラカルト。こっち感覚じゃ貧相である。それがマズイ。ま、救いようがナイw。店は小奇麗でまぁまぁ、なによりウチから近い。それだけで使ってる。〆て298元。子供の昼飯の値段ではない。5時から会社近くの大連世界貿易中心ビル56F/58Fに行った。印象の薄い建物である。土曜日「なのに」というべきか「だから」というべきか、どっちにしろガラガラ。入ってすぐ小さい銀行店舗がある。パラパラと人がいた。吹きぬけでエスカレーターが交差していて一見開放的かつ豪華な造りのはずなのだが、奇妙な閉塞感がある。中途半端な階段(2段)付きの通路を抜けてエレベーターホールへ着く。3基も56階レストラン行き専用のようだ。ワンフロアー全部レストランであった。それもバイキング形式。エレベーター棟を囲むような造りらしい。全員で9人だったのでなるべく一緒に居れる席を頼んだら1箇所しかなかった。そこから生ビール・ジュース等のコーナーまでぐるっとエレベーター棟を迂回しなければならない。つまり建坪が狭いのねこのビル。58階建てのペンシルビルwである。そんな環境でバイキングである。食卓に食べ物並ぶのに時間がかかった。人件費ベラヤスのところでは全く逆の遣り方である。食べ物は午前の日本料理屋など比較にならないほど新鮮かつ良くて、特に牡蠣の大ぶりなのは新発見であった。いつも大連の牡蠣は小振りだが味が濃いでしょ、とか言われていたからである。眺望はまあまあ。西に向かって、すぐ左手が山、そしてすぐw右手が湾。大連の繁華街ビジネス街等の中心地区の狭さが目で実感できる。同じ50階クラスのビルが2棟ほど目に入ったがどちらも灯りが見えない。多分むこうからこちらを見たら同じに見えるのだろう。58階建ての56階部分だけやけに明るくて人が動いてるw。28階建て中銀大厦、23階に会社の入ってるビルはすぐ手前はるか下方に見えた。しばらくするとビルのネオンが点灯した。ビルネオンがないと単なるゴーストビルであるw。その効果がわかった。

統一した食器類のデザインがはて?と思うような代物であった。わざわざ嫌がらせしてるようだw。せっかく大連切り子という伝統技術があるのにどうしたことだろう。店自体のデザイン等造りは、まあまあ良かった。つまり隅々まで心配りがなってないのである。トータルデザインとか概念がないのであろう。ところでお代は〆て688元。また、ずいぶん安い。いろんな料理に大振りの牡蠣にケーキにピザとか、子供達が一番喜んだ各種フルーツ類が食べ放題の、生ビールにジーュスに珈琲・紅茶等が飲み放題で、一人当り74元である。若いのが4人までで来るにはいいところだろう。メインの席が4席だったからだが、10人までならあそこの一席を確保できればいいだろう。一人100元見当なら、ここの方がゴージャスな分、割安である。因みにワインとウィスキー、ブランディーはボトル売りであった。仏製ワインが1850元、マーテルが2100元で入口一等地に飾ってwあった。少なくとも私達が居る間は誰も注文してなかった。

帰宅してメールを見た。台湾の2.28のテレビ映像が紹介してあった。150万人から220万人までの参加者数が出ていた。最小人数が日経で、最大が世界新報らしい。200万人という書き方がメジャーか。それにしても当初予定の2倍はクリアーしたことこなる。李登輝が元気そうだった。金美麗が映ってた。3月20日日曜日即日開票まで3週間。公と私のぶつかり合いである。「日本精神」対「阿Q根性」でも間違いではないだろう。6者協議実質失敗の開催国チャイはどうでるか。イラツイテ軍が動いたほうがまた反発が出て有利だろう。94年96年と2000年の再現である。

別のメールに韓国のことが書いてあった。徴兵拒否と出国熱だそうだ。それを受入るほうは、コリアンあまりに多いので原則拒否の構えだというから、悲惨であるw。北も南も出たがってる国民を多数抱えているわけである。あまりにも台湾とは好対称であり、各国を述べたサイトを見比べてもその印象は変わらない。

戦後の嘘が溶け出している。
***3月1日午前10時20分
もうこりゃぁ、ある種才能としかいいようがないのではないか。
敢えてパクってしまふ。

迷子の 迷子の ○○君
あなたの国籍 どこですか
祖国を聞いても わからない
名前を聞いたら 二つある
ふぁんふぁん ファビョーん
ふぁんふぁん ファビョーん
タカってばかりいる ○○君
犬の 7割半
喰われて しまって
わんわん わわん
わんわん わわん
****ゲラゲラゲラ(涙)...月曜アサだってのニィw

中国巨大市場の幻想

2004年2月28日
昨日メールが来たネ。
*************(いろいろ分析があって結論としては)
対中直接投資5原則(合弁企業における生産ライン設計)
1.会社を乗っ取られる危険を常に念頭に置く
2.約束・契約はいつか破られるものと諦観する
3.ヒトを信じない。
盗難詐取は日常茶飯事・従業員は将来の競争相手・模倣品と恣意的訴訟のリスク
4.中国巨大市場は幻想である。
統合された中国市場は存在せず、規模は小さく(現状先進国型商品の市場は札幌市×4程度)、急速な少子高齢化による消費減少が予想される(一人っ子政策のツケ)。

5.中国国内を相手にしない。迅速な撤収を織り込んだ展開を図る
中国には自前の資源・資本・技術・市場は存在せず、安価な未熟練労働のみ潤沢である。元安の環境下での輸出向け労働集約のみ収益があがる。元切り上げや課税強化等が発生した場合、即座に撤収できることが重要。但し倒産すらさせてもらえない可能性が高い。
実務上のポイント
1.利益は中国で発生させず日本で発生させる
2.ヒトを使い倒しw、モノ=設備とカネ=投資を入れない
3.ノウハウや技術は持ち込まない 
(具体的には)
1利益は中国で発生させず日本で発生させる
中国で利潤を挙げても日本国内への持ち出しが制限される危険が大きい。現地合弁会社に利益を留保した場合、会社乗っ取りのリスクが高くなる。部品部材を高価格で日本本社(ダミー経由を推奨)から提供し製品を割安で買い取る。これにより利益は日本に移転される。(w)このフレームワークをもとに生産のあり方を方向付ける
2 .ヒトを使い倒し、モノ=設備とカネ=投資を入れない
中国には「坊主は逃げても寺はのこる」ということわざがある。ヤオハンは逃げてもショッピングセンターは中国に残った。先人の轍を踏まないために設備の持ち込みや投資は最小限にどめできる限り人手で代替する(人海戦術の奨め)。このため、全ての業務・作業において未熟練労働者による代替が可能かを検討し、若干割高でも設備の持ち込みや投資より人手による生産を選択するこれにより設備投資を抑制するともに投資の付加価値生産性を高め迅速な規模の増減や撤収を可能にする。
3.ノウハウや技術を持ち込まない
模倣と無法の中国(w掛詞まで使っちゃってヨッポド痛い目にお会いしましたかネ)にノウハウや技術を持ち込むことは自殺行である。設計図やマニュアルは盗まれOJTを与えた人材は競争相手となる作業指図や生産指示等を日本からWEB経由などで行うシステムを構築し現地側に情報処理能力を与えずナレッジの蓄積を行わせない
中国現地にシステムを導入する際はノウハウや技術の情報を抜き出せない・乗っ取られた場合は機能しなくなる仕掛けが必要である
補足説明 
上記は中国の合弁企業における生産ライン設計に関連して一般的な中国投資の原則と中国での生産に関わる実務上のポイントについて管見をまとめたモノです。
********************
ほぉ〜、言い切っちゃいましたですネw
「ヒトを使い倒し」ねぇ〜。「搾取」と取られても、困るんだけどw
でも相当、当たってまふ。(´・ω・`)
さて、今日は金州に、買収予定の縫製工場を見に行ってきます。
こっちは独資だけどネ。しかし、
(`ハ´)の朝令暮改には気をつけなければなりませぬ。
******AM6:25
資生堂パーラーの裏あたりだったのかなぁ。夜一杯機嫌でタクシーでしか行ったことないので、はっきりは知らん。銀座通りからちょい入って右、狭い飲み屋街の右手のビル地下。昭和初年レトロな雰囲気。カウンター奥角席人気。後ろ壁に井伏と太宰その席で一緒の写真あり。まんま売りにしてるんだねw。店のマッチだけw気に入って、ちょい通った。もろ、元文学少女今...の女性の溜まり場だネ。

カウンターの照明がえらい暗いのは、なかの元モガさんたちのついおいリクエストか。そんなとこ行くきっかけは、下北沢の小ガネ持ち(ちょいとしたマンション経営元ボクサー)の元モボじいさんに、兵どもの夢の址:地元銀座商店主ご贔屓クラブ(確かに女性は半端じゃなくチレイだったナw若カナイケド):何軒かハシゴで引っ張り回されての、最後のとこだったっけ。

文士ってのまったく興味ないんでどうでもいいんだけど、ちょい歴史感じられて、ま、いいかなってな程度で通ったのかな。

http://www.inose.gr.jp/mg/back/03-6-12.html
http://www.inose.gr.jp/mg/back/03-6-19.html

まぁ、いやんなっちゃったねぇ(´・ω・`)

「黒い雨」も、そんな経緯だったんだぁぁぁ〜
「山椒魚」って、中学の時、教科書に載ってなかったっけぇ。

いやはや、どこまで続く、泥濘ゾ。
戦後清算なんて軽く書いちゃったけど、根っこは深い、ねぇ〜

とにかく今日は猪瀬、見直した。「黒船の世紀」と「ミカド」しか読んでなかったけど、今度買ってきてもらお。しかし、マドンナ櫻井良子さんも、ヤラレチャッテんのネ...ちょい複雑w
拉致被害者(当然家族含む)は日本覚醒のための礎なのだろう。
どうしても想像力(共感の元)は限定されている。暇な学生時代は想像するための材料が乏しい。社会に出ると一気に生の材料が押寄せて来て未消化のまま食うために流される。按配よく生活成り立たせられる層は限られている。自由(資格稼業)業か。これは貧乏になれる自由しかなかった。研究者?限定された分野に沈潜しないと食えないようだ。反面視野狭窄に陥り易い。とにかく柵(シガラミ)ついて回る。異論正論はけるのは生活直結分野だけ。それも的外すとえらいことになる。特に資格稼業は仕事にアブレル可能性大w。単なる高給日雇い24時間拘束稼業だったな。25年間旅行もできなかったな。思い切って休み取って帰ってみるとわずか1週間でも人間関係が疎遠になっていて回復するのに大変な時間と労力が要った。一見見識あるかと思われる人は極めて単純な理屈でやってて唖然とした。三段論法w。事実を単純化して規定に当て嵌め結論を出す。逆に、規定を分解してそれに社会的事実をコジツケテ予め用意された結論にもっていく。姑息である。「三百万円と三百億円と一字しか違わないじゃないですか。」と言われて一瞬詰まってしまったコトあったかなw。理屈では無茶な言い分だが、実際やってることちょいと反省してみれば、仰るとおりであるw。しかし頂くモノは、2万円弱対ん十万円。お役所都合の筈の管轄なるもの跨ぐだけでそれがアレマ×2になり3になり...結局4千万円になってしもうた。毎月定時でやってりゃ慣れるし簡単だわね。楽して大金のシステム完成だな。しかし払う方にとっちゃあ腑に落ちんナw。なんか言いタイ。挙句にソレだ。いきなり大金入ると税金ガッポリだから別にそんなに懐に残るわけじゃないんだけどネ。それにしても安直ではあるナw。単純三段論法で、そんなに金とっていいのかなってネ。ま、高度分業社会・情報社会とか高付加価値製品(頭脳労働の中実w)ってのはそういうモノなのではあるが...ただ、発想的にネ、意外にもそんなに高級なものではない、ということはネw言える。...考えて観ると、コノ手の話って、結構多いヨナ。
*****AM5:30
なぁ〜んか、北京でやってることってサ
<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )
ダネ。
*****PM7:35
2月28日土曜日AM5:20「コノ手の話」が出てきたネ。
**********
(産経抄)
...しかし麻原は判決の日の法廷でも、時おり薄ら笑いを浮かべるだけだった。かくも麻原の現実拒否を助長させたもの、それは弁護団である。弁護団は終始引き延ばし戦術をとった。一日も長く裁判が続けば延命になり、被告の利益になるとする“弁護の哲学”によるのであろう。▼たとえば坂本一家殺害事件では「部屋のドアの付き方は?」とか「本棚は木製か鉄製か」などという瑣末(さまつ)無用な尋問で審理の時間をいたずらに延ばした。八年間、国選弁護人に支払われた弁護費用は四億円になるという。それが国民の税金でまかなわれたのである。▼弁護団は麻原を「本物の宗教家」と評価、「事件は弟子たちの暴走であって、被告にはとめられなかった」として無罪を主張した。八年もかかったことについて、渡辺脩弁護団長は「十三も事件があったことを思えば早く終わったと思う」と語っているのだった。▼判決前日、地下鉄サリン事件被害者の遺族・高橋シズヱさんは「個人的には殺人罪で八回の死刑にしてほしい」と語っていた。その言葉は麻原に対する怒りばかりではないだろう。弁護団の社会的責任に対する強い不信を示しているのである。(産経・主張)...事件が多岐にわたり、複雑に絡み合い、判決にある程度、時間を要したことは仕方ない。しかし、一審だけでこれだけ長期化すれば、到底国民の理解など得られるわけがない。最大の要因は、弁護側の引き延ばし戦術にあった。弁護側は検察官が申請した証拠の大半を不同意にし、重箱の隅をつつくような反対尋問を約九百二十時間(全尋問の83%)にわたって繰り返し、審理は長期化した。このような常識外の法廷戦術では、いくら裁判所が開廷日数を増やしても裁判迅速化など無理である。
**************
よく自己嫌悪に陥らないネ(´・ω・`)
随分露骨に、チャイ・ナンポクチョン・魯、言ってくれますナw。

首相はさり気無く言って欲しい。
造らず、持たずはわが国の原則、国是であります!」
最低、造りません!」(ナシクズシw)

サッサトしらばっくれてどんどん法案審議してくれヨ。
それが仕事なんだからさ。

刑法83条から86条復活ナ。防諜法もサ。
藪中氏「諸問題」言及。「拉致」なし。
日本国内世論をさらに硬化させる高等戦術かもナw
福田の指しガネだってみんな承知。

「米側は北朝鮮にウラン濃縮を含めた「検証可能で後戻りしない完全核放棄」をあらためて求め、北朝鮮はウラン濃縮を重ねて否定したもようだ。」
「日本は拉致被害者家族の帰国などを求めた上で、拉致問題を解決して国交正常化すれば経済支援を行う用意があると伝えた。これに対し北朝鮮は前回同様に被害者5人を戻すことが先決で、家族の意思確認も必要、などと主張した。」(産経ウェブ)

「対米タフ・ネゴシエーター3人衆」?
単に全否定かつ盗人猛々しい論理億面も無く全面に出しただけ。墓穴でしょ。今日あたりで決裂かな。

日本なんかショッパナから「拉致」言及して「北」火病らせ退場してくれば簡単だったと思うのだが。どうせ中・露・韓なんて援助のえの字もできないんだし、米は法律上不可能。立ち枯れじゃん。この際話のついでに「強制連行」など存在しなかったと公式の場で言って記録に残してくれないかな。それだけでいいような気がする。後は暴発しようが偵察衛星監視のもと核開発しようが、自爆しかないわけでしょ。日本国内でもそうなりゃ炙り出し効果もあるだろし、一網打尽で効果的じゃんネ。

「国家」として認めてないのも幸いで、国際紛争解決のための武力行使じゃないと説明できるしネ。集団的自衛権は内閣の宣言でいいのだし、空中給油訓練は済んでるだろし、チャイナはあんなゴロツキのためにやっと維持してる現在の状態を放るわけないしネ。むしろチャイナが宗主国ズラして「依頼により”地域”治安維持のため武装警察派遣」するかもネ。地域辺境史観だしてるから理屈はどこにでもつくしな。状況からいってイッチョン恥曝すのはK国だろな。露は所詮極東ど外れ興味ないっしょ。

日清戦争前夜に似てるっていったってK国があるし、緩衝地帯維持は達成できるしさ。そもそもカード破産のKなんて統一(これ以上貧乏人抱えるコト)なんてな口先だけだってことミンナ了解済みだもんネ。田中明さん(物語韓国人)かな、Kの民主化とはヤンパン先祖返りに過ぎないってなこと書いてたような気がするが、ご明察だよネw。

28日の台湾百万人デモかな、2・28事件記憶も兼ねてのヤツ。これにチャイがどういう反応するかで、今回の裏もあからさまになることもあり得るしナ。日+米+台湾VS.チャイ、北・韓+霞んで露、ってな構図、もろパワー・ポリティックス生きてるよネ。

さて、岡崎さんの続き、読みましょ。
*********AM3:34
あらま!原書房「民間防衛」(スイス政府)ってな本、復刊なってたんだ。引用ばかりやたらされていて、いざ紀ノ国屋にいったら絶版ですとか言われてサw。スイスって人口700万人かな、各家庭に配られてるらしい。そうすっと最低230万部くらいかな。Swiss Civil Protection(民間防衛庁)ってな役所で出版してるのか。これこそ日本も防衛庁でスイス政府にお願いしてサ、全訳HPに載せればいいじゃん。いや官邸のHPの方がヤッパいいよナ。啓蒙の努力なんて、具体的にやりゃいいじゃん、さっさとサ。

ユング・フラウ・ヨッホと富士山の郵便受相互運用ばっかがノウじゃねぇべw。それもいいけどさ、当然。
********AM5:41
おう!改正外為法、今日施行じゃん。
拉致、らっち、シャブ、札、らんらん、乱♪
*******AM8:55
そういえば、佐々淳行さん、見えないナ。
大阪府警だっけ?警察官僚なって現場回りしてた時、何晩も徹夜して怪電波押さえて日本海岸侵入して来た工作員逮捕したんだってサ。適用法令がなんと入管法で、最高刑が懲役1年執行猶予3年だってネw。当然新潟から例の工作母船wでご帰国なさいますから、いい加減いやんなっちゃって入管法違反の犯罪に使った道具wの私権放棄確認怠ったところがあったんだって。んで執行猶予出て挙句に人権派という赤い弁護人がソコついて、結局例の何百馬力の工作船返還しなければならなくなって、漁船モドキ持って帰ったその工作員はとッ捕まったのに英雄扱いだったんだってネw。もぉぅ〜たのむからさぁ、ってな書き方でそんな若い時のエピソード載ってたよネ。防諜法がないから、こんな無様やってんですよってアッピールするにゃ、チャンスだと思うのだが...ヤーレン、ソーレン、ソーレン、ソーレン、ソーレン、ソーレン。ハアァー、ドツイタレッ♪(あ、コレってまさか自国民略取されてるなんてわからんときなんで、海から半潜水艦モドキで上陸してきてもどっか毀したりしない限りは法律ないんでスパイだとかじゃ逮捕できないのネ。つまり入国管理法違反なんだってサw。漁船船底に潜って出稼ぎレベルっす。笑ってしまった。が、もう笑えない。)
*********AM9:30
平壌で南北参加し反日行事
 北朝鮮の朝鮮中央通信によると、平壌で25日、日本海の表記の不当性を訴える討論会と、日本の植民地支配下で略奪された文化財返還を求める展示会が、いずれも韓国と北朝鮮の研究者らが参加して開かれた。
 両行事参加者は、固有の表記である「東海」を「日本海」とする「日本の犯罪行為」を糾弾、文化財返還を実現するため、南北の歴史学者協議会の設置を決めた共同決議文を採択、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に理解を求める書簡を送ることを決めた。(共同)(02/26 01:40)
**...ったく、カワイクない。トモ斃れシナハレ<丶`∀´>

岡崎久彦「百年の遺産-日本近代外交史」(1)〜(73)読了。新聞連載中確か読んでたような記憶。外地でそれも今読むと全然迫力が違うような気がする。ルーズリーフ買って来てプリントアウトして書込みしないと勿体無いナ。
*******PM1:56
はて?ロシア(゜д゜)がバカぬかしたみたいネ。
ゴネルトなんか得するって、つい2年くらい前で、終わったけどネ。アグレマンヤランゾ。
白頭山(ペクトサン)から振分なのかな。黄海への鴨緑江と日本海への豆満江。テレビでよく見る国境地帯の映像は、延辺朝鮮族自治州(以前は区だったナ)延吉とか図們とかいう都市だね。昔は間島っていわれてた地帯だな。もともと朝鮮族が多いところだ。狭い川幅浅瀬の国境の川である豆満江を挟んで向いは、北の山岳地帯であって、もともと5階層の最低ランクの連中が押込められている地域なのではないかな。日本海岸の都市では、例の万景峰号とか工作船(スパイ・破壊活動軍用船)の着発進基地である清津(チョンジン)だね。新潟とココ行き来してるわけだ。ヘイジョウに近いのは元山(ウォンサン)かな。

そんなところよりヤバイwのは、やっぱり鴨緑江沿いでしょう。満洲からの引揚ルートは、ココ渡河して釜山まで辿り着いて船で日本に帰ったんだからさ。靠外れたら都会だろな。紛れ込んで渡河と。すっと丹東だろ。チャーズの再現かな。(遠藤誉著)

南浦(ナムホ)って港町がヘイジョウ南西にあるな。
大連から仁川までフェリーで280海里16時間。約半分の距離として8時間から10時間で着くだろな。漁船使って蛇頭出てくるかもネ。山東半島へも同じくらいで着くしな。こっちの方が遼東半島より朝鮮族は遥かに多いし。稲ルートの逆行だw。

もう随分前から、ココ管轄瀋陽軍区、厳戒態勢みたいネ。
パラパラだったら捕縛でしょうが、大量渡河などじゃ遠慮なく射撃でしょうネ。さてその時、日本海を難民ボートピープル発生するだろうが、どうするかな?在日が漁船とか買うなりしてまで”同胞”救出に向かうだろうか?相変わらずキャンキャン日本政府の責任だとか口先だけで被害者ズラするだろうか?...見物カモ。

脱北者で海外反政府組織作ったってなニュース、あったっけかな?
No.3だかな?ファンジョンヨブ?だっけ、女房孫家族一斉置去亡命(結果的にソウだもんナ)。南じゃ環境無かったのなら、米国亡命すりゃいいじゃん、っての言い過ぎかな?
自伝らしきモン読んだけど、中央大學法学部卒だったよな。途中で法学の下らなさwに耐えられなくなって、哲学を独学したらしいガ。
南で出版したからか、あんな書き方しかできなかったかもしれないが、これも根本ズレてるw。読み切るのに苦痛だったナ。全然同情できんかった記憶だネ。
*********AM11:30
ホント眩しいんだよな。寒いんだけどさ、太陽光線がやたら眩しい。真冬もそうなんだから堪らんよ。ど近眼なんでサングラスも心もとないし、そんなもんスキーでしか使わんかったもんでネ。

2時にI55で待ち合わせして出かけた。平日オフィス街でもないところの喫茶店なのに、相変わらず混んでいた。ノートPC開いてネット繋いでるヤツいたけど、あれって喫茶点のサービスなのかな?今度持って行った時に聞いてみよ。

つまり日系転職希望者の短期集中講座のお願いだね。一対一はお断り。一体四でなんとかOK。とりあえず金曜日午後かな。土曜日は予定の社会人向けと、日曜日は一日中それ付き合ってもいいって言った。3月5日かな、面接なのだそうだ。ダラダラやっても埒アカンから短期でむしろけっこーでしょ。

音声なしの壁掛けテレビが6者協議のニュースやってたようだった。それ見て「サミットかな?」ってのにはちょい笑った。チャイナが入ってか?w今朝の地元紙朝刊に今回の「会議」wの成否は日本に懸かってるとか載ってたらしい。「んにゃ、むしろ蹴っ飛ばしたほうがいいんだよ。」って言ってあげた。説明してもワからンだろうが、中・露・北朝・韓国VS.日+米なんだよって教えてあげたが???だった。

根本のところでズレてるってコト、マタ確認できたw。
所詮、阿Qである。
********PM5:37
晩飯サッサト食って、岡崎久彦著「百年の遺産-日本近代外交史」を(21)まで読んだ。
http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/hyakuisanfront.html
溜息が出る。的確に先を読み、断固として決断してる先輩諸氏の姿がはっきり描かれていると思う。星亨と小村寿太郎の評価は渡部昇一とは逆なんだが、説得力あるな。まだ東清鉄道共同経営申出に対する態度の評価のところまで来てないからなんとも言えないが...。

おバカな質問に対して「アングロ・サクソンに付いていけばいいんです。」とか、もう選挙で決着がつきその大勢で政府が派遣してる自衛隊について、戦争の大義がとかやはり反対だとか言う寺島実郎に「一旦決まったことに異を唱えるべきじゃない。」とか、一見すると権威主義とか追随者だとか正当な抗議のように思えるのだが、決してそうではないということが、シッカリわかる。
*********PM8:30さて早寝早起致しまショw
こちらでは、マスコミは政府共産党の宣伝機関に過ぎないので、テレビもあまり見ない。しかし今回は明日の北京での6カ国協議について、開催国でもあるしどのような報道姿勢かと気にして見たのだが、レベル低そうなレポーターがロシア代表の北京入りを報じているのが目に付いた程度であった。韓国のシンクタンク員か大学教員が英語で解説らしきものを言ってる映像が出たが、多分甘ったるいことを言ってるのであろう。チャイナは米国(美国)に目が行ってるだけのようだ。日本人が頭に来てることがまだ理解できてないようである。平成14年(2002)9月17日をもって、「吉田ドクトリン」の清算が始まったのである。
*********PM6:20ちょい休み
http://www.sankei.co.jp/news/040224/sha057.htm
衆議院の中継で見た。遅れて来た蓮池兄が言うべきことを言った。

http://www.shugiintv.go.jp/top_frame.cfm

ビデオライブラリ→(カレンダーで平成16年2月24日)→外務委員会核・拉致問題小委員会。

2時間12分の中身の濃い中継だった。小委員長のドジ振りとか政治家のチカラの入らなさ、反して蓮池兄の迫力が強烈な印象だった。歯痒いよなぁ。相変わらず自分の宣伝をながったらしくグタグタ言ってる議員達よ。恥ずかしいネ。

絶対誰か言うと思ってたよね。「どうしたらいいか、教えて下さい...」それいっちゃあぁ、おしまいだよぉw
「ご自分の御子さんが被害者であったと想像して、ご自身の問題としてお考え頂ければ、自ずと具体的な方策は当然出てくるのではないですか...」脱力気味だよね。

しかしケツ叩いていくしかないのだと決心しているのがよくわかったネ。国民は見ているゾ。外地からだってこうやって見れるんだからな。

明日は、藪中・斎木コンビでやるようである。二人ともドス効いているからいいんじゃなかいか。特に斎木さん、かまわんから机ガンガン叩いて、イッソ机ひっくり返して「怒り」を世界にアッピールしてくれ。オタオタしたところで、大阪人の藪中さんがネゴしてくれw

岡崎久彦さんが言ってたのかな。
これって、日本外交革命、かもしれないってサ。
****************PM7:45ちょいお呼ばれ
反してアーミティジ、かっこええな。ランボーのモデルだってね。マリーン(海兵隊)で、ベトナム戦争の英雄。前歯欠けてるとこも、愛嬌だよネw 国務長官(外務大臣)のコリン・パウエルはアーミー(陸軍)かな。軍のトップだったもんな、湾岸戦争の時に。明日の米代表のケリーはネイビー(海軍)だっけか。エアーフォース(空軍)は誰だ?肝心の大将、州兵だっけ。民間防衛なんだが時代がベトナムだったからなぁ。マクナマラ回顧録によると、情け無いネ。
とにかく退役軍人揃い踏みじゃんネ。こっちも前の防衛庁長官、防衛大卒のレンジャーだったんだが、眞紀子に捲き込まれてコケちゃったかな。イシバチャンがむばってるからええけどさ。最初入閣してテレビにでてきたときゃ、単身議員宿舎で軍艦・航空機プラモ飾ってて、ちょいヤバイかなとも思ったのだがまぁいいじゃん。

あぁ思い出した。民主のアホが、チャイナにお願いするの考えてませんか?っていったんんだw ったく...ホラ、いうぞいうぞって思ったら、ヤッパ言ったワw あんな爬虫類目のウーパールーパー「ゲンメイしました!」男を、性懲りもせず国務委員にしとく”地域”に、ナニ頼もうってんだか...さすがに日本じゃテレビに出さないだろが、こっちじゃたま〜に写るんだわ、あのキモイ顔。アフリカだかに「他人の褌チャイ風ODA外交」とやらで、ご一行様がいらっしゃったときになんか端っこのほうにチラッっとかネ。ううぅぅ〜っと、奮えがくるサ。キモ...
同じタイプのえざわたみ、出てこないってのに、ネ。軍事委員会委員長握ってて院政やってっけどサ。
しかしそもそも朝鮮分断手助けしたのが中共で、今生かしてんのがチャイなのに、何言ってんのかネ。トルーマンのマッカーサー解任についての見直し出てんのに、マッカーサーの上院外交委員会での証言翻訳出てんのに、なんてこと言うのかなと思った。家族会のサポートに現代コリア研究会付いてるからかな、もしかして北東アジアに限っても、今一番リアル・ポリティークできる人達が家族会の連中だったりして...。平成時代と大正時代の類似が言われてるけど、ポーツマス帰りに対する日比谷焼打事件が世論と外交秘の対称例と言われていたけれど、「この事例は、外国による”単なる”国民略取事件であって回復されるべき法益は被害者の身柄とその延長の家族の身柄(遺骨含む)に過ぎない。だから領袖が自白したからには原則を押通して見返りなく原状回復に徹してください。」案外素人が片手間にやってるようだな。支援室なぞ県・町レベルのものは単に地方公務員の職場作りに意味しかなさそうであるね。「外務省でも法務省でも議会でもいいですから、24時間体勢でこれに当るセクションを早急に立ち上げて欲しい。」悲痛な具体的要望だったな。

あっさり協議決裂して、火病(ファビョン)テポドン飛んできたら、一発で国論統一だろナ。
留学生の開設しているBBSで、多分日本にいる大学生からであろう書込みがあって、お決まりの「日中比較文化論」であった。日本のことでさえも、東京論に大阪論、沖縄論に東北論と格好のテーマであることはわかるのだが、大体印象記であってだらだらと奇抜な事例を書き出して、せいぜいあざ笑いで終わるのが定番なのかもしれない。それをいきなり「日本」とくるわけだから余計抽象度が高まるわけであり、そういういわば勝手な幻想又は極め付けを基礎にして何を比較しようとするのか相当疑問に思うわけである。ましてチャイナ大陸である。言葉がまさに通じないところなのである。せめて沿海部のそれも都市民限定しての現在の印象記としてであれば、まぁそういう見方もあるかなとかそれとはちょいと解釈が違うかもしれませんとかいい様もあるかもしれない。つまり情報交換が「〜比較論」の本来のテーマなのである、多分w。

一見大上段の議論のようだが、具体的にはこういうことじゃないかと思う。お祖母ちゃんつまりニョウボのお母さんはもう76歳のチャイニーズである。教員退職者だからかキチンとしてる。でもご多分に漏れず向日葵のタネが大好きでテレビを観ながらパリパリやっておる。朝起きてビックリするネ。綺麗な応接セット回り、まぁ満遍なくw殻だらけ。インコが何百匹一晩中啄ばんだらこうなるだろうかなとか思ってしまうわけだ。その薫陶宜しきを得て孫娘すなわち私達の愛娘も、インコ20匹分くらいの貢献をせっせとやっているわけである。さすがに厭味ったらしくなるのは憚れるのでチラッと娘の顔を見るだけなのだが、そこは日本人の血が50%敏感に反応するのであろう、ちょいと引くわけである。そこで部屋に戻って自分の回りに目をやると、机の上の灰皿回りが杯神楽状態であり、インスタントコーヒー切らさぬ専用マグカップの回りも雫が垂れてちょい茶色っぽくなっていたりしておるわけである。ま、長年親しんできた嗜好品の摂取具合なのであるからして、今更本人にグタグタいっても何も解決し得ないのである。親の振り見て我が振り直すか次世代と、それを現在どう見るとサジェスチョン与える次々世代に、ぐらいでいいのである、多分w。つまり三世代くらいかかって何とか文化度は向上していくものなのかもしれない程度のモノなのだろうということなのだ。(ホントかよw)

ここでややこしいが定義w。文化=生活様式。文明=産業革命経過後の生活様式。つまり一定のレベルに文化は収斂していく、残るべき差異を保持したまま。その分別は保持者団体・集団の成熟度による、と。(オモイツキだけどネw)
*******PM8:30眠くなった...
で、その聞いたか見たかのエピソードとは

「たびたび大連を訪問してますが、度々文化wの違いを感じました。1.電車の乗り降りは強いもの勝ち!!並んだり、降車優先という文化wが無い。2.食べ方が汚い!!レストランで食事していると、食べかす(貝殻、骨など)をテーブルや床に捨てる。3.映画館の携帯電話!!映画の上映中に、着信音は鳴るし、普通に会話を始める。皆さんも何かあれば、教えて下さい。」

返信「育ちと躾が悪いだけですヨ。貧しきを憂えず等しからざるを憂えう時代育ちが老年で学校行ってない文革世代が壮年、改革開放拝金風潮で生れ育っているのが青年という国柄だから今のところしょうがない。だから理屈じゃなくって至る所に警官配備で取締ろうとしておる。しかし貧富格差激しい時節、富層の現在大学生になっているあたりは、生れた時から日本よりむしろ恵まれた生活例えばはるかに広いマンション住まいに阿姨(ハウスキーパー)付き宝馬(BMW)にベンツに新藍鳥(ブルーバード)等外車で学校送り迎えしてもろている。月に3度はそういう連中ご用足しのレストランで家族で夕食であるゾ。一把一絡げでたまたま見かけた奇抜なエピソード論ってももう意味あまり無いので、こういうところはこういう連中が屯してるからお奨めできません程度でいいのではないですか。バスはこんな状況ですから大変なのでハイヤー借りたほうがいいですよとか、この路線のミニバスは乗客キチンしてるのは沿線が比較的高級住宅だからですよとかの情報が有意義でしょう。また例えば山谷・寿町等にわざわざ出向いて日本は汚いってなこと言う某K国留学生のようなやり方したら、誰だって気持ち良く聞けないのではないですかネ。」

ま、確かに中間所得者層が殆ど育ってないから、貧しさからくる奇抜な光景が目立つことは確かであるので、そのような印象も仕方ないとは言える。しかし10年前から比較すると段違いであることも確かである。そういう感じを持ち勝ちなのは、多分無意識に五千年のなんとか文明のような気分があるからだと思う。ちょいと考えれば、ここは1949年建国のまだまだ未開発”地域”なのである。それも建国30何年間は冷戦に翻弄されて愚策徹底一説8千万人死亡とも言われている”地域”なのである。文明開化wしたのはたかだかこの10年とみても強ち間違いではないと思っている。家庭電話が普及どころか公衆電話もホテルとか管理できる場所にしかないうちに、単に設備が安価だというだけでいきなり携帯電話が普及した場所なのである。映画館も星海公園会展中心には、ゆったりとしたソファァーで鑑賞できるその層向けのがあるのである。レストランも然り。別に高価でなく5元(70円)の麺類メインの店でも、セルフサービススタイルの店に行けば当然回転よくするためにどんどん空いたところを綺麗にするので常時極めて清潔である。しかし夕食とかゆっくり寛いで食べたいときには、回りを気にしないでそれこそ散らかし放題結構ですの店も需要があるから存在してる。そういうことでいいではないかナ。単に今の状況を一部分だけ切り取っただけ。せめて輪切りにしないと面白くないような気がするね。漏れ銀座のクラブも行くし新宿ゴールデン街もたま〜に行くよw 俵満智臨時ママでやってるしネ。一時期二丁目近くのオカマスナック面白かった時もあったしw...疲れるんで止めたケド。

「日本人は...」と極め付けられるのは普通愉快ではない。まして外国人から言われると不愉快でさえある。「菊と刀」の読後感でしょう。同じことはどこの人も多分同じで、そういうところからは腹を割ったような話は入ってこないだろうナ。姿勢が生情報を阻害するんだね。
大連の留学生のblog見ていたら、土曜日の夜8時頃大嵐だったそうだ。全然気が付かなかった。翌日曜日はいい天気だったので、午後3時頃近くのいつものコンビニにインスタント・コーヒーと蜂蜜を買いに行った。わずかの近道の黄河路側の棟との間の内庭を通ってマンションの外にでたら、根元からポッキリ街路樹が折れて倒れているのに気が付いた。その時はあまり風が気にならなかったのでどうしたのか不思議だった。車でもぶつかったか...買い物終えてコンビニ出たら突風が帽子を飛ばしそうになった。それでも、あれ?珍しいな程度で部屋に戻った。暑からず寒からず、いやちょっと寒かったかなくらいでベランダのドアを少し開けておいた。時々やや強風がうるさいとは感じたが、さっきまで実際到木するほどの天気だったとは全くわからなかった。10階建て3棟ヨの字の真中棟6階最奥だからか、死角だったのだろう。天井は高い造りだし、ベランダ面して床から二重ガラスだし、ドアを締めっ切りだと晴れてさえいれば、いくら風が吹こうと-15度だろうと丸っきり穏やかな陽気にしか見えない。防音も完璧であるからなおのことである。ま、そのまんまの、能天気であった。
*********PM11:40(1時間遅れ現地)
典型的な三寒四温なんだな。午前7時-5度晴天。先々週がやたら暖かく感じられたのは、50何年ぶりの異常気温であったらしい。暖気がうっとうしく感じられたのだが、今はあってよかったと思う。朝飯食って例によって応接の東南向きのサンルームの窓を開けて外気触れたら、痛かった。5月1日労働節(メーデー)までは繁華街もひっそりだとか大連経験者のblogにあったが、そのとおりなんだと思う。また三方海に囲まれていて内陸ほど乾燥はきつくないとあるが、それはもっと酷いところとの比較であって、我が家は各室大ぶりの加湿器がフル稼働である。地元生まれ育ちの連中でさえ、喉痛めてから慌てて加湿器を買っていた。日本より遥かに優しくない自然風景であり環境である。荒々しいというのとはまた違う。殺伐...だろ。岩山で木々の緑も心もとない。海の色もいまいち。だがこれが成田からの空からの眺めで思ったのだが、朝鮮半島のほうがさらに「殺伐」とした印象だった。7月初旬から9月初旬まで2往復半したわけだが、しっとりと緑豊かな日本列島を過ぎて日本海を渡り、朝鮮半島上空でその国土の茶色なのに少々驚く。まさに京城(漢城=ソウルともいうネw)上空を通過して、黄海を渡り山東半島青島上空で急角度をとって渤海海峡を大連に向かうコースのようであった。これは往復とも同じようだ。旅順の市街地図を見て初めてわかった。遼東半島東端の老鉄山東にある、東経121度あたりかな、陳家度暇村(Chenjia Holiday Viilla)の先の岬に、「黄渤海分界線」があるようだ。青島あたりから徐々に高度を下げている。黄海に入ったあたりでは小船も窓から見える。大連湾上空から大連港上空経由で空港に入るようであり、なかなか風情がある。港湾設備突ッ端はやはり石油関連設備らしく茶色が広がる。すぐ市内の景色が窓下に広がり、と思うと着陸である。古臭いタイプの旧ソ連製レプリカらしい戦闘機が見える。海上から地面が見えてすぐ着陸。お手軽で結構、が第一印象であった。コジンマリとした滑走路に空港設備、どこか日本の地方空港の感じ。タクシーでわずか15分で市内の我が家。この感じは学生時代の4畳半下宿の気軽さだなwとふと思う。とにかく思い立ったらいつでも帰れる、そんな安心感が、実際何もないwもう5ヶ月にもなってしまった長逗留を可能にしている大きな原因のような気がする。
塾の生徒に2人、丹東出身者がいる。鴨緑江沿いの国境の街である。向いは新義州。引揚物語にはよく出てくる都市名だ。旧安東である。今はイイヤマのディスプレイなどを製造する日本独資の工場がある。お決まりの安い労働力が売りで労働集約型産業を呼び込んでいるようだ。人口は約240万人で大連のおよそ半分。満洲朝鮮国境時代はむしろ日本外地の新義州の方が発展していたのだろう。
http://www.near21.jp/data/statistics/world/china/city/tantou.htm
今や荒れに荒れた北の地は、かつて日本人が真の意味で「地上の楽園」にしようと、それもわずか30年未満で成し遂げていたのだなと改めて思う。
http://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/aboutasahi/history.html
http://www.nobeoka-dotto.com/other_page/nogutiou_prof.html

水俣病・新潟水俣病のチッソの前身なんだけどネ。
創業者の業績とその後輩連の罪とは別。もっと人物方面からも光を当てて近現代史を教えて欲しいものですネ。息子が今春から高3だからなんとかこっちのナニもないところに引き擦り込んでw、夏休みの一ヶ月は最低、留学生大学院生バイトで雇って俄か受験勉強させないともう手遅れwだと、ずぅ〜っと前から思うてわおるのだが...
日曜日午前10時-2度晴天。昨日は記憶にないwくらい久しぶりの雨の日だったネ。4時頃暖気が変に暖かかったけど、朝方暗かったのでバックレて打出した資料読んでいた。天気予報は霧。10時過ぎにPHSが鳴った。来ないんですかぁ、さむそだしなぁ、そうですねぇ雨降ってきましたもん。ん?あらま寒そな雨が降ってますワ。ベランダのドア開けて初めてわかったw。

昨夜電話でビラ2000枚刷ったとか最後に言われて気が萎えいだw。
いくら後で行くったって、周りの連中配ってんのにオレどうすんの?
かといってそんなことやったらアホじゃん。多分11時頃か昼には電話あって、おっとり刀で出て行ってちょうどいいじゃんとか踏んでいた。丁度いいヤ、雨のせいにしてヤンピにした。タバコ持ってきて呉れたらしい。まだ1箱10ヶあるからなぁ。いつでもいいサ。切れたって近くのコンビニで倍だけど14元で買えるんだし。どぉ〜も連中には「謙虚」という言葉の中身を、いちいち態度で示してやらんと通じないようだとわかった。厚かましさ感じたら即実行することにしている。これがわからないようだったら単に言葉ぱくぱくやっても意味ないってこと知らしめないと、いくら時間をかけても無駄なのであると今のところ確信している。

さて人の話である。端的に女性の話である。15日以内だったかのノー・ビザ観光制度で、気軽にある種の目的でやってくるおぢさん連中が増えたらしい。大連事情通さんのブログに書いてあった。アブレ(アプレじゃなくってw)おっさんの嫁さん探しらしい。15日間100万円だそうだ。相手方のほうも借金して入会金支払ってリストに登録して謂わば「チャンス」を買うのだそうだ。重要なことは、このなんとか紹介業はチャイ国内法では違法であると明記されていたことである。現地レベルじゃでかい金額が動くわけであるから、敢えて違法行為をする連中が集まってきてしまうわけである。日本方の仕組方というか構成ミスなんだろうと思う。成人向けの嫁入家庭教育学校を正式に作るとか手段は沢山思いつくと思うのだがナw。そこのイベントとして定期お見合い会wでもやればいいではないかいナ。生の日本文化と接しましょうとかで領事館とか巻き込んじゃってサw。

でも果たしてそんなにいい女がココに思う程沢山wいるのかという肝心の事柄が、まるで自明のことのようにして宣伝されているような気がするのだが、そうか?と思ってしまうノダ...ガネw

不良w留学生や駐在員の書いたものを読むと、「かわいい」「スタイル抜群」等々賛辞に溢れておるが、そこってどこ?もしかしてほとんど夜の世界の話じゃないの?
彼女らは薄暗いところで網張ってw待ってんだゼ。そりゃ綺麗に見せてんだからサ。あんたらは単なる「毛顔の日本人」(福澤諭吉=毛沢東=大枚)なだけでしょニ。
「職業に貴賎なし。貴賎は人にある。」いいでしょ。どうぞw
「カネの切れ目が縁の切れ目」にならんよーに...
チャイでおでぇじんできんのわ円高日本の国力であ〜る。
アンタの力やないでぇ〜。こっちでの万札、あっちでおんなじツカイデあるともうとったらお〜めちげぇだろぉがぁ...

幸か不幸か、ワタシ、まだ普通にそんな美人にお目にかかったことまったくwありません。(キッパリ申します)
例えば空港ネ。普通以上の「美人」はそこそこお見かけ致しますよ。でも同僚の男性にいきなりボールペン引っ手繰られそうになって邪険に振り解こうとする態度仕草wとか、五つ星ホテルでもキチンと制服着てお澄まししても同じような仕草目撃すると、一発で興ざめてしまいますけどネ。ま、いいですよ。美人の基準は人それぞれでありますから。しかし少なくとも成田の着いた時はホットしますよ。立居振舞なんて難しい言葉で書かなくても、自然に私達はそれを醸しだしますからネ。そこいらをよぉ〜くお考えのうえ、ご来連されること願うものでありますです。

長春とか哈爾濱なんかにまで足を伸ばそうとしたら、15日では足りませんからネ。ますます怪しいですw。知らんけど...
チャイナの近未来...なんてことわかる訳ないネ。
不適当にデカ過ぎw 群盲象を撫でる地でいってますね。
司馬遼太郎に「統治するのに適当な大きさ」とか書いてあった。例えで四川省だけでフランスよりでかいんですよと。歴史的例えでは「逆三角形のチャイナ史」という言葉を記憶する。4千年先細り史観w

20代後半から30代中頃の塾に来てる連中が「チュウゴクはですネ」と言う時、決まって「どこ行った?北京は?上海は?シンセン?香港?」と聞くことにしている。100%、ないw 偶々出身のヤツはいる。偶々そこの大學に行ってたヤツはいる。学校のお勉強で振回されていて何等見聞きしていない。極めて狭い交友関係の中でのクチコミだけである。テレビも新聞も書籍も、ちょいと考えれば支離滅裂なコトばかり大真面目で喋り書いている。...ように思えるw

上海住まいの駐在員の書込み。「上海の高層ビルが多い理由。1.地方当局者の見栄(象徴工程)2.開発権を巡り不動産建設業界から賄賂収集に便利3.発展するチャイナを誇示し外資誘き寄せのため4.土地国有だが使用権売買可能なので値上期待5.出稼労働・安普請で建設費安価(10億円くらいで30階建ビルできるw)6.銀行ビル担保で容易に融資する。実際オフィス需要なし、ホテルのみw」だそうだ。
さらに別口。「安いからといって飛びつくと、電話は引けない水漏れはするブラインドは錆びでいて開かないw等内装関係全部遣り直し必要。」(経験者カナw)「だいたい、レンガ積みの低層建築しか建てたことなかったチャイニーズが、いきなり先進国並みにインフラ充実した高層ビル建てられるわけ無い!」ということですネ。

もろ説得的だったのは、「嘘だと思うならどこでもいいから建築中のビルをじっくり見学してみるといいのだ。10年一ジツの如く、足場は竹で組んであるし壁には碌に鉄筋も入れないレンガの素組みだ。こんなんで大丈夫なのか?と聞くと『チュウゴクは地震がないから平気なんだ。』という答えが返ってくる。お前等は平気かもしれないけど...」(コレ、よく聞くw)但し、大連では(香港では目撃したが)足場はしっかりしてる。が、それ以外は当りw。
近くで15階くらいまで建ち上がってる全10棟くらいの団地がある。1階(2階くらいの高さ)がパティオなんだわw。こわ。地震ないって、唐山地震あったじゃんナ。地図見てくれヨw。北京のすぐそばじゃんw。

大連では現在建設ラッシュ。ゲタ履きタイプが目立つネ。下層階がオフィス、上層階がホテル・住居。現在住んでるのはホテル式マンションなのだが、おばちゃん風呂道具もろ出しガウン姿でw近くのサウナにお出かけであります。ゲタ履きのオフィス一緒でもそれやるなきっと。そしてその新築のヤツは、な〜んと66w階建てなのであります。池袋のサンシャインって何階建てでしたっけ?

商社退職なさってココの大學の講師されてる方のHPに出てました。66階あんな建て方でだいじょーぶかなぁ〜、って。それによると天津街にそれ以上のモノ建てる計画があるそうです。長江以北の最大ビルだが売物だそうです。現物見ました。素人目にも柱が心ぼそ。レンガ積んでますネ、壁。枠作ってレンガで蓋してるんですネ。そんで66階。買いません。せいぜい3階建てまででしょう。と言いつつ今住んでるとこは6階/10階です。ま、なんとか無事、カも知れません。

人のことを語りたかったのですが、ついモノの話になってしまいました。
************AM6:45
そういえばマンホールね。毎朝そこから水汲んで路上駐車(コレ月決めで払ろうてマス。集金人徹夜でw見張っチョル)の車洗車してるおじちゃんおばちゃんいるんです。-15度の朝でもしっかりやってますヨ。お店に行くと10元コレ頼むと4〜5元だそうですが、きちゃないタオルでゴシゴシなんで多分塗装メチャメチャでしょうw。でその洗車してるのみたらマンホールの深さが1メートルも無いノネ。あれ?そうすっと地下浸透式なのかな?確かに雨少ないですからそれでもいいんでしょうけど、下水はどうしてるのかなと気になりますw。
************AM9:00
「分譲物件の取引に占めるオフィスビルの割合は、ごくわずかなんだよ。いま高騰しているのは住宅。...(中略)...上海から列車で10分も行ったら、日本の江戸時代の農村がひろがっているよ。上海のイメージを売り込むのも結構だけど、日本人はシナ人とちがって真実を求めているので、ヨロシク。」...大連の場合は車で30分ですネw。ま、方向にもよりますが、遼東半島を空港から北上していってしばらくするとビックリ、できますw。道路沿いではなく、ちょいと外れていただくといいですね。私の生れたところも決して都会じゃありませんし、むしろ車で30分で大都会でもさらさらなかった山の中のど田舎だったはずなのですが、コレにはさすがにビックリしました。「公」の観念がないとかどこかに書いてあったような気がしますが、そうとしか捕らえようがないと思ってしまいます。集落の入口のゴミ溜めがあるなど、どういう感覚なのかと信じられませんでしたネ。インフラがどうのこうのの前の、「公」感覚不在としか把握できないでしょう。他者が入ってくる「玄関」にですよ...

あ!「江戸時代の農村」には反対ネ。リサイクル行き届いた「箱庭のような、桃源郷とはここのことか。」とか当時の庄内を旅したイザベラ・バードが書いているはず。日本奥地紀行だったかな。東洋のアルカディア。ご出身渡部昇一せんせ書いてたナw 外地なんで本がない。
新聞ウェブ版読んでいたら、こんな記事に目が留まった。

「大慶油田 対日輸出停止、取引の終結も/需要増背景に常識外れの値上げ/電力各社調達先は多様化...影響なし」

2度目のチャイ行きは、ココが主要目標だったなと思い出した。陶器メーカーと同じ名前の油絞機メーカーご指名の上での、新規機械のご注文であった。
既に1年ほど、ここで使用していた自動クレーンの定期部品調達で実績を積んでいたので、本体の注文がやって来たというわけだった。最初のクレーン車の部品調達に関してもエピソードは尽きない。法律職などと、全く畑違いの分野の人間が、いきなり正式な注文書持って会社に乗り込まれた品川の加○製○所(K○T○)の部品担当者も呆れていたが、こちらの方が実はもっと呆れていたのであった。何せえらい畑違いの仕事なので、多少手加減してくれるカナと思っていたのだが、最初から300点以上のそれもクレーン車の消耗部品の注文であったからである。当然定時注文受けている商社は、注文見越して見積依頼しているわけで、メーカーとしてはそこから1ヶ月以内に正式注文なければこちらに見積書出すとか言われて、最初の仕事はとにかく見積書取るだけでも1ヶ月以上かかってしまったのだった。おまけに本業が忙しくて細かい仕事やってられなかったので、同じビルにたまたま入っていた中堅商社タイ支社長最後で退職した一匹狼みたいなのを「貿易コンサルタント」なるもので雇ってしまったので、結局最初の仕事は儲けのうち250万円ほどそいつに支払うハメになってしまったのであった。私とニョウボとしてはw、最初の仕事をとにかく纏めて実績作るのが第一目標だったからかまわなかったのだが、所詮小ガネモチに過ぎない本職がブ~ブ~いって実際参った。
しかしメーカーも担当者など所詮自分の仕事がスムーズに運べば(入金確実早ければ)良いわけで、2度目からは見積もえらい早くなったしまたこちらが前金で口座に入金されている事情がわかってからはそれこそ向こうから営業してきたものであった。こっちも本業の閑を見つけては両国の同業他社東京本社へと出向いたりしていたから、その噂は早いもんである。ここはチャイ後発組だったからか、ホントに扱いが丁重で気持ちよくいい仕事ができた。今でも、ロシア担当になっているらしいがその人間達とは付き合いがるということだ。反して加○の方は、その若い担当者が90年に入って自社クレーンがマイナーチェンジしてるの失念して古い型の部品それも350キロのでかい部品を送ってしまって泣きついてきたことがあったわw。たまたま前の商社の扱いでそれでもこっちに泣きついてきたものな、ニョウボの人徳でしょうw。結局北京行きのジャyンボ・カーゴみっけて無理やりのっけ、そっからトラック輸送(北京→大慶w)して損害賠償はご勘弁願った次第。当然前に送付したヤツはてきとーに使ってネ、ですよ。高いんでなんとか逆送してもらえませんかぁとか言ってきたらしいが、さすがにニョウボどなってましたワ。他の会社の仕事の尻拭いタダでやってアゲテ、また損賠払わなきゃならんのパスできたのに、コレ以上ナニよぉ〜ってネw。この頃はもう、実質社長でしたね。後は、銀座の三○銀行に仕事行ったついでに日○本社に行かされたりw、よくコキツカワレまひたですた。
*********PM7:50
ホントは、日窒コンツェルンの野口遵について書いて、もし彼が満洲でコノ油田発見して開発していたら、蘭領東インド(インドネシア)に南進することもなかったかもしれなく、「太平洋戦争」も無かったかもしれない、なんてな妄想を書きたかったのだが...チャイ戦線は連戦連勝だったので、当然赤軍なんてもんは存立の余地無く、蒋介石なんぞも靡いてて「満洲合衆国」は大発展。...ってなこと小説したかったなぁ〜とか、でもおぢいさんwは、もう眠いんですた。...そろそそ夜あすびおぼえんと、ホントにぢいさんになっちまいソダ
89年6月4日天安門事件。当時はあまり意識してなかったような気がしますネ。あ〜ぁ胡散臭いところがまた胡散臭いことやってるな程度の印象でしたでしょうか。それよりもバブル経済真っ盛りで、寝る時間がなかったですね。住金がらみの仕事で徹夜の連続、冗談で前の晩飲みながら朝7時に連絡つきますよと銀行員に言ったら、ホントに問合せの電話で叩き起こされたっけ。それも事務所のソファーで仮眠してる時にw。住専作って効率悪い住宅金融押付けたのに、企業が直接金融にシフトしたら親が子の仕事とっちまいやがんノ。当然貸主が直接貸そうとするわけだから借換需要が湧いて出たネ。住専潰れるの当たり前じゃん。全くS財閥お抱えのような立場になってしまってたからな。S銀行凄かったワ。紳士たるべきバンカートップが「多少のスネ傷仕方ない」とかいっちゃうんだもんなぁw。まだ私30そこそこだったけど支店長融資課長揃い踏み接待受けちゃって、ま多分予定のが流れたからだろけどw、課長同期がたまに家庭サービスせにゃならんと無理してオアカーチャンのうえで寝ちゃって離婚騒動起きたwとかの話出て、笑えん冗談だなってみんなで一瞬シュンとなったっけ。ま、その後性懲りも無く支店長ご贔屓の女のいる店に繰り出したんだが。そこでも凄かったのは、当時S行はブランドラベル変えてイメチェンしたばっかのビール会社に社長送り込んでたんだが、その辛口ビールが出てこないってんですぐ買いにやらせたもんなぁ。「今夜からコレにせいよっ!」ってブリブリいわせてたわ。こっちも付き合いでまた関連会社のルーチェセダン買わされてネ。ちょうど物品税から消費税に変わるときでサ、ん十万円損こいてしもた。それいうたら仕事でカバーしますってさ。ごもっとも。しこたま稼がせていただきましたです。このしと翌年ランク上の支店長なって、そこ2年で東京営業部の平取になってもうたもんナァ。ま、典型的仕事人間で都内にワンルーム持っててそこからご出勤ご帰宅遊ばれていたよし。後で課長が囁いてくれたワ。さすがタフですね、っていったらいやねってな感じでね。だってその時だって当時府中の我が家までハイヤーで送ってくれたんだもんなぁ、2時過ぎに。そんで翌朝7時から朝礼やるってぇんだからサ。で支店長お住まいわっていったら茅ヶ崎ですってんで、えぇ〜遠いですねぇと言ったのでしたが...。
でその財閥系にお付合いさせていただいていると、いろいろ面白いことにも出会ったわけです。まず、ご当家資産管理専門会社それも合名とか合資とかアナクロちっくな形態で運営してるしサ。他人介入させたくないからですけどね。そしてちょいと微笑んだのはあそこって代々当主の名前継いでんのネ。そんなに大手からご贔屓いただいたのは、当時はあれだけレスポンス良くやる同業なかったからだけのことでしたネ。皺寄せは全てこちらに来ましたが。結構業界wじゃ評判になってN証券グループもきたし、石橋さんwとこもやらせていただきました。25年間後輩連中に言い続けてきたこと、「あたしゃ上役最低ばっかだけんど、客先にゃ恵まれたなぁ」で決まりだネw。ま、年齢的にも時代的にも、ついてた。
90年に証券はじけ91年に不動産はじけたね。でも近郊農協押さえてたからそっちが稼動したサ。変なの。あそこ大蔵管轄じゃないからじゃぶじゃぶ底抜けw。そんな片手落ちやらかした銀行局長、現東京証券取引所の土田正顕(渡部昇一せんせ、がんがん名指しで批判してたナ)さん、つい先日お亡くなり。この人、ピース缶爆弾で奥さん亡くした土田警視総監の弟さんだったんだネ。...なんか変な話になってきてしまいましたが、ちょいとお休みいたします。 タイトルみすったネw
*******AM6:30/21/02
んでもう今日は、星海会展中心というでかい会場で、1万人!とかいわれている新卒既卒転職希望者集めての合同会社(企業)説明会があるといので、誘われて行ってまいります。8時会場なのに入場券10元求めて6時からナランデいるらしいです。7時半にお迎え行きますって言われたけど、遠慮しました。適当な時間にタクシーで行って見ましょう。...会社説明会に入場料取るってぇことは、買手市場だってことでしょうね。現場の工員とかの募集じゃないはずなんだが。開発区のメーカーとか新しくできた軟件園(ソフトパーク)のソフト会社が主体で大学生目当てだと思うのだが、それでも買手市場なんでしょうかね。その場で面接もして即採用とかやるみたいだし、とにかく興味ありますね。
http://www.sankei.co.jp/news/040219/sha092.htm

北海道オホーツク海沿岸も流氷が最盛期のようです。
この流氷はアムール川(黒龍江=ヘイロンジャン)からのものなのですね。河口は樺太北の間宮海峡向かいのノコラエフスク・ナ・アムーレですか。尼港(ニコラエフスク=にこう)事件のあったところですかね。そしてこの流氷が、樺太と千島列島の間のオホーツク海を南下して、北海道沿岸に辿り着くというわけですね。

地図を見てると飽きないです。特にこの辺りですね。旧満洲国と、旧露西亜帝国に旧ソ連邦と、旧モンゴル人民共和国(でしたっけ)です。そのアムール川の河口ニコラエフスクから遡行すると、ハバロフスクですね。ここでウスリー川が分岐するのかな。ウスリー川の河口は日本海のウラジオストークですか。これ、ウラジ・ヴォストーク(東方を占領せよ!)でしたっけ。それでそのハバロフスクからアムール川(チャイ名が黒龍江)の上流にスンガリー(松花江)合流点があるのかな。そしてスンガリーを遡行するとハルビン(哈爾濱)に至るわけですネ。戻ってさらにアムール川を遡ると、チャイ側が黒河(ヘイホー)でロシア側がブラゴベシチェンスクです。でかい橋が架かっていて国境貿易が盛んであると聞いてますね。冬期間は川が凍結して重い荷を積んだ馬車(今は車でしょう)が行き来してるらしいです。更に遡行すると、シルカ川とアルグン川との合流点が漠河(モンホー)で、ここ2川が合流してアムール川になるように地図では見えますネ。
チャイ側は大興安嶺山脈が聳え立っておりますです。

留学生の若い知人が、冬休み最後の1週間でこの辺りを旅行してくるらしいのです。海拉爾(ハイラル)→満州里(マンチョウリ)→漠河(モンホー)→黒河(ヘイホー)...なんて地名を聞いただけで、ボゥ~っとしてしまいます。映画「203高地」の冒頭のシーンですね。ハルビン郊外で日本人密偵が銃殺されるシーンです。これと石光真清の手記(中公文庫4部作)ですね。個人と国家が捨て身になってですね、それも女郎もですね、満洲馬賊の妾に身を落としても、お国のために尽くすわけですわ。最初コレ読んだ時は、な〜んかなぁとか思ったんですけど、まさに衒いなく淡々と書いてありましてですね。
ちょいとホントかいなと思ったのは、満洲に流れてきたと思しき乞食坊主が日露戦争開戦するやいなや凛々しい陸軍服を纏い馬上の指揮官となって主人公の前に姿を現すんですねw。何か劇画タッチなんで、ふ〜ん、昔怪傑ハリマオとか似た感じで見たねぇwとか思ってたのです。しかしその後、独眼竜政宗の子孫が満洲馬賊の頭領になった話やら、おらが大将田中義一首相が馬賊張作霖を助命して挙句満洲軍閥の大元帥になったとかの話を読んだりすると、明治人のスケールをケチナ戦後民主主義ドップリのチンケな物差で計ろうとすること自体無理なのかも、とか思ったりもしていたのでした。

1991年でしたっけかしら、ニッパチの閑利用してニョウボの仕事始めのテコ入れ兼ねて生れて初めてチャイナに行きました。当時は成田から朝鮮半島上空直行できなかったので、一旦上海上空へ出て北京に向かうのでした。4時間ちょいかかったのではなかったでしょうか。夏休みの観光も兼ねていましたので、北京には2・3日逗留したと思います。タクシー一日借り切ってフートンとか見て回りましたネ。北京空港から市内までの柳のトンネルの道が印象的でした。道路沿いは小さな川が流れてましてネ。確か未舗装のうえ上下1車線づつで、対向車とすれ違うときははらはらした記憶ですね。もっとも交通量が少なかったし、それ以外はのんびり結構長い時間走った記憶です。

国内便で朝方ハルビンに向かいました。低空を飛行したので万里の長城もよく見えて景色を見ているうちにすぐ着いてしまいましたね。小さな空港でしたが、ロシア行きの特徴のあるアエロフロートが沢山あったのが印象的でしたです。ロビーにはでかい買出荷物を抱えたロシア人が沢山いましたです。まだ新潟との便など無いときでした。国際便はロシア向けだけでしたですね。
***********PM9:45

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