一つの「流れ」だろうけど、最悪の方向。目的は「復興利権」?
2004年10月2日(1)(日経)
対北朝鮮政策で路線対立再燃の兆し、外務省に戸惑いも
日本人拉致問題の進展がない中、北朝鮮政策を巡って、路線対立再燃の兆しが出てきた。
町村信孝外相が就任早々、経済制裁の検討もちらつかせ「圧力」をかける姿勢を前面に出しているのに対し、首相官邸側は「対話」を重視し制裁論が高まることに慎重な構えを崩していない。官邸主導外交に歩調を合わせてきた外務省内には、外相発言に戸惑いの声も上がっている。
「経済制裁という選択肢を捨てるのは個人的にはどうかと思っている」。27日夜、就任したばかりの外相は幹部との初顔合わせとなった臨時省議で言い切った。
29日のNHK番組でも、日朝実務者協議が進展なく終わったことに「我々も伝家の宝刀を抜くかもしれないという、はっきりとした意思が伝わるようなアプローチをすべきだ」と述べ、北朝鮮が対応を改めなければ経済制裁も辞さない考えを強調した。 (07:02)
(2)(産経新聞)2004年10月01日(金)
対北経済制裁 町村外相「言及を」 官邸慎重、外務省は困惑
九月下旬に北京で行われた日朝実務者協議で、拉致された日本人の安否に直結する情報など目立った成果が得られなかったことから、政府内に北朝鮮への経済制裁を求める声があがっている。だが、首相官邸は慎重姿勢を崩しておらず、引き続き協議を継続する中で北に誠実な対応を求めていく方針だ。
小泉純一郎首相は三十日、北朝鮮による日本人拉致問題に関連、町村信孝外相が北朝鮮への経済制裁に言及していることについて「日朝平壌宣言を誠実に履行するという基本方針に変わりない」と述べ、制裁に慎重な姿勢を示した。
首相は外務省に交渉方法の見直しを指示しており、同省は交渉担当者の局長級への格上げや平壌での開催、計二十五万トンのうち残り十二万五千トンの食糧支援の見送りを検討中だ。
町村外相の発言は就任直後の二十九日、NHKの番組に出演した際のこと。外相は「北朝鮮が今のようなペースなら、タイムリミットを設けるなどの条件をつけ、『伝家の宝刀を抜くかもしれない』とはっきり(日本の)意思が伝わるような交渉をすべきだ」と明言し、安否不明の十人に関する再調査で前進がなければ、経済制裁も辞さないとの姿勢を鮮明にすべきだとの考えを示した。
川口順子前外相が首相官邸と歩調を合わせ、経済制裁に慎重な姿勢をとり続けたのとは対照的。
外務省はこれまでより踏み込んだ外相発言に「制裁を求める世論をみて、政治家として発言したのではないか」と困惑気味だ。しかし、与党側は「実際に経済制裁を発動するかどうかは別にして、北が誠意を見せない以上、交渉カードとして言及するのは当たり前」(自民党幹部)と同調する声も少なくない。
拉致問題をめぐっては、官房副長官時代から一貫して強い姿勢を示してきた自民党の安倍晋三前幹事長が同代理に「降格」。拉致被害者家族の信頼が厚かった中山恭子内閣官房参与が辞任するなど、対北政策の変更を懸念する向きもある。
(3)(TBS)
外務省斎木審議官、米公使に転出へ
拉致被害者や 家族からの信頼が厚く、北朝鮮との 実務者協議を 担当してきた 外務省の斎木審議官の アメリカ公使転出が内定したことが、JNNの取材で わかりました。
斎木審議官はおととし10月、 拉致被害者が 日本に帰国して以来、一貫して 拉致問題に関する 北朝鮮との交渉の キーパーソンでした。
先月も日朝実務者協議で北朝鮮のソン・イルホ副局長と 協議したばかりですが、JNNの取材によりますと、外務省は 斎木氏のアメリカ公使への 転出を内定したと いうことです。
斎木氏は 拉致被害者や家族会からの 信頼が厚く、中山恭子 前内閣官房参与に続く交代は、北朝鮮政策の変更との 印象も与えかねず、家族会などからの 反発も予想されます。(1日 15:29 )
(西村幸祐 酔夢ing voice)
■2004/10/01 (金) 北朝鮮外交のシナリオはどう動く?
今日のチャンネル桜の「報道ワイド日本、ザ・クリティーク」でも言及したが、町村外務大臣と外務官僚の路線対立が表面化して来た。
日経(1)は対北朝鮮政策で路線対立再燃の兆し、外務省に戸惑いもという記事で「官邸主導外交に歩調を合わせてきた外務省内には、外相発言に戸惑いの声も上がっている」と報じている。産経(2)も対北経済制裁 町村外相「言及を」 官邸慎重、外務省は困惑と報じている。
こんな反応が出てくること自体、外務官僚が官邸の対北朝鮮融和政策に慣れ切っている事と、経済制裁を行う意思が全く無い事を証明したようなものだ。
せっかくまともな外務大臣が就任したのに、こんな反応が報じられるのは、敢えて事を構えない、直近の問題を先送りにする腐りきった外務省の体質が浮き彫りにされたという事だ。
つまり、簡単に言えば、外務省は拉致被害者の救出に限りなく消極的で、北朝鮮との国交正常化にしか関心が無い。そして、それを助長するのが小泉首相と官邸の動きである。
考えてみれば、これは2年前の9.17時点の小泉政権と外務省のスタンスをそのまま継承したものに過ぎない。
さらに悪いニュースも飛び込んできた。斉木審議官が北朝鮮問題から離れるという噂は、先週から関係者の間を駆け巡っていた。このTBSの報道(3)が正しければ、外務省は斎木氏のアメリカ公使への転出を内定したという事になる。
中山参与辞任からの一連の流れから、最良のシナリオを考えてもこうしかならない。
中山参与、斉木審議官という拉致被害者家族、救う会、国民の信頼の厚い拉致問題の最重要人物を外すのは、拉致問題が最悪の結末になる事を官邸と外務省が想定し、制裁から安保理上程へ突き進む覚悟ができたというシナリオだ。
ただ、官邸の動きを見るとこの可能性は低い。資源問題でも北朝鮮制裁でも、経産省は機能するが、外務省は日本の足を引っ張る事しかしていない。
この最良のシナリオ以外はどんな場合でも最悪のケースになる。
そうさせないためには、現在の民主党以外の機能が政権転換をするしかない。
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この感想には、大いに共感する。
2004年10月1日(多事X論)
■平成16年9月30日(木)拉致問題〜ネット評論家の思い上がり〜
保守系サイトを哨戒(w。「巡回」とかじゃなくって、敵を探してますネw)すると、どこのサイトも拉致問題の話題で持ちきりのようだ。
まさに一億総評論家といった様相だが、別に己の信念に基づいて意思表示する事自体は結構だけど、どうも勘違いしているとしか思えない論評が実に多い。その最たる例が家族会の方々が切実に訴えている経済制裁に疑義を呈する論評なのだが、このような論評をする者は一体何者なのだろう。
経済制裁に疑義を呈するということは暗に家族会を否定する事になるのだが、それではこのような論評をする人物は家族会の方々より優れた判断能力なり感性の持ち主なのか?そして、家族会の方々以上に北や日本政府の本質を熟知しているとでも言うのか?断じてそんな馬鹿なことはあり得ないだろう。
ネット評論家なんて所詮は仕事や学業の傍ら片手間でやっているに過ぎず、思想的には多少左右にぶれてはいるが、皆戦後民主主義の温室の中でなんの苦労もなく生きてきた人間だ。(自戒を込めて・・・)
しかし、家族会の方々は20年以上もの途方もない長期に渡り、最愛の肉親を救出する為に全身全霊で闘ってこられた方々であり、まさに戦後民主主義の全ての負債が家族会の方々に圧し掛かっていると言っても過言ではない。
横田早紀江さんはよく『生き地獄』と表現されるが、想像を絶する環境の中で培われた判断能力なり感性を我々凡人のそれと比較する事自体全くナンセンスだろう。初めから土俵が違うのである。
社会人の方は御存知だと思うが、『現場主義』とか『現場重視』という言葉をよく耳にする。これは現場を知らない、若しくは現場の意見を尊重しない者は往々にして大所高所からものを言うだけで、企業にとってはなんら役に立たないと言われるものだ。
(「書生っぽい議論」とかよく言われるネ)
これは拉致問題を論評する評論家にも当てはまるのではないか?
士官学校出の士官が戦場にきても、歴戦の兵士には到底敵わないとよく言われるが、なんの苦労もなく温室でヌクヌク育ってきただけ人間が、日本再生戦争の最前線中の最前線で闘っておられる家族会の方々の主張は否定するなんて思い上がりも甚だしい。
別に『ど素人は黙っとれ!』と言うつもりもないが、自分が知らない世界の事は謙虚に現場の方の意見に耳を傾けるべきだろう。
(これは、「救う会」すなわち「現代コリア」グループへの、いろんな拉致関連以外の「経緯」からの反発もあるように思われるのだが、それへの反発にも言えることだと思う。
岡崎久彦先生が言われるように「地域研究者」はやはり「その地域のあらゆる分野を総合した専門家」なのであって、政治学一般の「政治学教授」とかがいくら引っ繰り返ってもそもそも太刀打ちできないと思う。まして、彼らはその「地域研究者としての学識に拉致問題という実際の応用問題に自ら当たって実際に援護してる」のだから、その各具体的問題に対する彼らの出した処方には、相応の重みをまず感じて対応する必要があると思う。
半島はとにかく「特殊な歴史・経緯、それによる全く異種の思考態度と思考経過をする」集団の散在するところのようで、そんな単に書籍それも西洋主流の考えでの分析などでは、いくらやったとしても、こと半島には通じないと思われる。だからよく「斜め上思考」とか「全て反対の受取が有効」とか極端な感想が出てくるのだと思ってる)
最後に、4月に神奈川県藤沢市で開かれた有本恵子さんご両親の講演で、救う会兵庫の方が実に考えさせられる挨拶をされていたので紹介したい。
『私達は有本さん夫妻を支えていると言われますが、それは違います。私達こそお二人から本当に色々な事を教わりました。国家とは何か?その事を教えて貰ったのです。』
全くその通りではないか。
家族会の方々はまさに日本人としてのあるべき姿であり、戦後我々の頭からすっぽりと抜け落ちてしまった『国家とは何か?』・『家族とは何か?』を国民に語ってくださっていると思う。
ま、一言、いいとこ取りだけしようと思ってもそりゃ無理だわ。相手も、死にもの狂いだろしな。
こっちは、相手の手の内貴重なやられた経験とおして読んで、的確な対応とらないと。まず綺麗ごとだけじゃダメだよね。
だいたいが、国家機関にさえ「外交機密費」あるのにさ、それを私服して「なんとかマユミ」なんてな馬に化けたケースで表面化したのが不幸なだけであってネ。
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ほぉ、経済産業省。なかなかやるじゃん。
2004年10月1日<中国ガス田開発>メジャー撤退 日本政府が働きかけ
東シナ海で中国が進めている天然ガス田開発プロジェクトから欧米メジャー2社が撤退を決めた背景に、日本政府の水面下の働きかけがあったことが30日、明らかになった。
米国政府などを通じて、国連海洋法条約上、開発区域の権利関係が確定していないことを説明、投資リスクがあることを間接的に両社に伝えたとみられる。
(毎日新聞) - 10月1日3時3分更新
(以上の続き記事?)
両社は03年8月、中国側と、探鉱から開発、生産、販売までを含む共同探鉱開発契約を締結したが、1年後に契約を見直す項目も含まれていた。
日本側は、資源埋蔵データの提供に応じない中国側への対抗策として、今年7月から独自の海洋資源調査を始める一方、「見直し時点での契約終了」を視野に、米国政府などを通じて働きかけた。
両社は契約時、中国側に各1000万ドルを支払ったとされるが、東シナ海をめぐる日中間の摩擦が今後も尾を引くと予想されることから「今後のリスクも総合的に考え、撤退がプラスと判断したのではないか」(外交筋)とみられる。
中国側は新たな出資者を探すことも予想されるが、「別のメジャーが参画するとは考えられない」(石油業界幹部)とみられる。
一方、日本政府が今年7月7日から、調査費30億円をかけて排他的経済水域(EEZ)付近の幅約30キロの水域で物理探査を実施している。
探査終了は台風の影響などで11月ごろまでずれ込む見通し。
その後、データを分析・解析し、年内に結果をまとめ、中国側との交渉の際の基礎データにしたい考えだ。【須佐美玲子】
★すっげー!!!!
意外にやるな日本政府!
経済産業省GJ!!
外務省 うごきわりーな
★経済産業省は通産省のころから外務省よりもGJをしている。
同じ官僚でも通産官僚だけは国益優先の考え方を持っており、違っていた。
★逆説的に言うなら、中国はそのあたりの事情・リスクを2社に対し伏せていたか、随分と都合のいい情報のみを提供していたかのどちらかであるというわけだが。
★風雲急を告げてますね、、、いよいよですか?
支那畜退治、、、
★小泉政権になってから3バカ国家に連戦連勝。
笑いが止まらんな。
★日本が働きかけたからと言うよりか、ちょうど石油が高騰してて今回経済サミットで中国が初参加する前の最高のタイミングで
エネルギー問題で脅して、中国に為替とかの譲歩を引き出す先進国側の協調路線だと思われる。
★メジャーもそこまでアフォではない。日本の抗議があったとしても、圧力かければ潰せると読んでいたのだろう。5年前の状況ならその読みも正しかったかもしれない。日米の政権交代で状況が大きく変わったということ。
★今日 G7の特別会合だよ。中国の人民元切り上げ加速必須。
さっさと切り上げて、さっさと撤退してインド行こうよ。
★> 中川昭一経済産業相は「(欧米メジャーは)ビジネスとしてペイしないという判断を下したと聞いている。
毎日新聞は中国が非難せざるを得ない状況にするために報じたのだろうか。ってか、また馬鹿な記者が中国外務省の会見の時に、
「日本政府が欧米メジャーに働きかけたと一部で報道されているがどう思うか」とか質問して問題を大きくしようとする気じゃ・・・考えすぎかなぁ。
★しかし、それで日本を非難する声明出したら、中国アホすぎだが。
★尖閣不法上陸した中国人を逮捕したら、中国外務省は日本政府は中国人を拉致したとか平気で言ってたからなぁ。
何を言っても不思議じゃないなぁ。
★これは日本の陰謀アル!謝罪と賠償とODA増額を求めるアル!とか来ないかな?
★経産省GJ!!!!!!!!!
★反日を煽って中国が勝てば良いが、今回も負けなんだから、その不満が中国政府に向かうわな。
★小泉が親米派なんだから、外務省も親米勢力が強くなるわな。
親中勢力は北朝鮮問題や尖閣問題、常任理事国入り等で失点ばかりだし。
★ああ・・・。今回撤退した各社が日本の尖閣に回ってくるわけか・・・・。中国ファビョるぞw。
(つまり、各種資料持参、でな)
★焚きつけても駄目でねーの?「メジャーが撤退しても無問題アル」って声明出しちゃったし。
ここでプリプリ怒ったら、「ああ、やっぱ単独じゃ無理なんだね( ´,_ゝ`)」となり、恥の上塗りになる。日中共同開発が彼らの最善の落とし所になりつつあるから。
(あれ?その声明だしたのは、政府だっけ?)
★少しは日本を見直した
あとは馬鹿すぎる日本のクソマスコミを一掃できれば
尚よし
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10月1日新幹線開業40周年記念日。ほぇ〜、そんな歴史が、あったのネェw
2004年10月1日■亜細亜大陸への「ひかり」の時代
「ひかり」という列車愛称を辿ってゆくと、なんと戦前までさかのぼることが出来ます。
(列車の愛称は、)第二次世界大戦前の省線(国鉄)では、一部の特急列車にしか与えられていなかった。
「富士」「櫻」「燕」「鴎」の東海道、山陽路を走る四種の特急だけである。
この特急「富士」と接続する急行列車として「ひかり」は生まれた。接続すると言っても、ホームが隣り合わせだったりするわけではない。
というのも、ご存知だろうか、日露戦争(1905年)、朝鮮併合(1910年)によって、日本が所有また敷設権を獲得した鉄道を……。そう、まず、日露戦争勝利後、日本はロシアが中国から獲得した南満州鉄道の敷設権を獲得した。
1910年、日韓併合条約で朝鮮併合を行い、日本の下関と釜山を経由して南満州鉄道の奉天(現在の遼寧省の省都瀋陽)を結ぶ朝鮮鉄道を建設した。
これらの鉄道と、当時のロシア帝国のシベリア鉄道を横断すれば、ヨーロッパまで到達することが出来る。
1912年からは、東京からロンドンまでの切符が発売されていた。
新幹線の原型となる型破りな高速車両もこの頃誕生した。ご存知の方も多いと思うが、南満州鉄道(満洲の平野)を駆け抜けた特急「あじあ」である。
この列車は、「パシナ」と呼ばれる専用の流線型蒸気機関車に牽引された、冷暖房完全装備で、当時としては超豪華な特急だった。
(最後尾のサロン列車なんて、豪華もいいとこ)
新幹線と同じく標準軌を採用した南満州鉄道を走る蒸気機関車「パシナ」は、動輪の直径が2mもあり、最高速度は120km/hにも達した。
当時としては並外れた性能をもった蒸気機関車であった。このことは、当時の国語の教科書に13ページに渡って紹介されていたという。
そして、東京からの「富士」の旅客を、南満州鉄道の特急「あじあ」に橋渡しをする使命を受けて、1933年、朝鮮鉄道の釜山〜奉天間に、第一・第二急行「ひかり」が誕生した。
ファシズムが台頭し、世界大戦が始まった直後の(ってな、余計な修飾はなぜつけたのw)1942年には、「ひかり」は釜山〜ハルピンまで延長されて運転された。
(だから哈尓濱はヨーロッパと東アジアの接点の都市だったのネ。ハルビンも大連=ダーリニィも元々ロシア語名だもの。「哈尓濱」「大連」はその音に漢字を当てただけ。高爾基=ゴーリーキーとかね)
(第一特急「富士」)東京15:00→下関9:35→下関(国鉄関釜連絡船)10:30→釜山18:00→釜山(第一特急「ひかり」)19:20→大邸着21:33→京城着3:05→平壤着7:33→奉天着16:20
(東京・瀋陽間が車中2泊3日、か。今は成田から2時間40分くらいかな?)
しかし、軍事輸送が拡大するにつれ、満鉄の「あじあ」が廃止されるなど、次第に旅客列車を圧迫していった。それでも、最後まで「ひかり」は残った。
■日本に上陸した「ひかり」
大陸の「ひかり」が戦争の敗北によって消え去ってから十数年、「ひかり」は再び走り始めた。
場所は北九州、博多から小倉を経由して大分と熊本を結ぶ、国鉄初の定期気動車急行列車だった。
(気動車:内燃機関をもつ客車。
機関車がそれ自体は動力を持たない客車を引っ張るってな通常のシステムと違うのかな?普通の都内走ってる電車みたいなもんか)
電車急行よりも早く走り始めたが、使われたキハ55系の設備があまり良くなかったので、すぐに準急に格下げされた。しかしながら、列車としては好評を得ていたので、行先を異にする編成を分割・併合する列車として発展していった。
2年後には第一「ひかり」、第二「ひかり」の二本が設定され、複雑な経路で運転された。ややこしいのでここでは省略しますが、この二本の列車は似ているようで似ていないので誤乗が多く、後者はのちに「ひまわり」と改称された。この「ひまわり」は、新幹線博多開業まで残った。
再び一本体制に戻った準急「ひかり」は、キハ58系で運転されるようになると、1962年に再び急行「ひかり」として走り出した。そして2年後、新幹線が開業すると、鹿児島本線のルートと豊肥本線のルートに分割され、前者を「にちりん」、後者を「阿蘇」の原型となる「くさせんり」として運転されるようになった。
■新幹線として大躍進した「ひかり」
当初、新幹線には愛称を設定しない予定であった。航空機のように「○○列車」と呼ぶ予定だったのである。
(ああ、321「便」とかの代わりに、231「列車」というわけ)
しかしながら、国民の間には、今までの特急には愛称があったので、「超特急」を冠する新幹線には当然愛称があるものだという考えが強く、愛称が公募されることとなった。
そして、公募が行われた。集まった葉書はなんと56万通にもなった。東海道本線のビジネス特急「こだま」は9万3000通、後の東北上越新幹線は16万通であるから、いかにたくさんの応募があったかがわかる。
そして、応募のあった愛称の中で、一番多かったものが「ひかり」であった。
なぜ「ひかり」が多く、2万票も集めたか。
それは超高速という文字を超光速と書いてみたり、実験段階での取材でも「光のように速い」という形容詞がよく使われていたことがある。
これらのことから、この決定に対して、異議は全く無かった。もちろん、東京から遠く離れた九州では急行「ひかり」が走っていたことなど、一般の人々は知る由も無かっただろう。
1964年10月1日、国鉄の最高技術を結集した0系新幹線電車によって、夢の超特急「ひかり」は走りはじめました。
(しかしなんでかな。航空機には決してこんな感情、というか思い入れは持たないのに。レシプロ機とジェット機は全く別物という感じだけど、蒸気機関車と超特急は親戚、というか連続性が感じられるからかな?)
建設段階では、国内ではバカ事業と揶揄され、航空機が発達した欧米からは、「衰退する鉄道を建設するなど愚かだ」と切り捨てられたが、いざ走りはじめたらこのような陰口は全く聞かれなくなり、欧米は東アジアの小国で起きた鉄道革命に衝撃を受け、結局のところ鉄道の可能性を再認識せざるを得なくなった。それだけ、この0系が世界に与えた影響は大きかったのです。
(「プロジェクトX」の世界、だよなぁ)
「ひかり」は順調に走りつづけ、最初は12両編成、大阪万博にあわせて16両編成、本数も一時間に1本から、最盛期は7本に増えた。
(8.5分に一本だね。時間厳守の習慣ない民族にゃムリポw)
JRに移行してからは、航空機と熾烈な争いを強いられたJR西日本が「ウエストひかり」「シャトルひかり」「ファミリーひかり」と、利用者獲得のために国鉄の枠を完全に脱した「ひかり」を作り出した。
一方のJR東海では、100系の「ひかり」によるイベントが好評で、0系の「ひかり」を次々と置き換えていった。
それに続けと、JR西日本は自社の100系を製造し「グランドひかり」を投入し、300系「のぞみ」の登場まで、「ひかり」の天下は続きました。
「のぞみ」の登場後は、速度の遅い「ひかり」は、衰退すると思われましたが、予想に反して0系、100系が早く現役を退くことになったため、300系が「ひかり」に投入されて来ました。
東海道区間では、2003年10月1日のダイヤ改正で「のぞみ」に主役を譲りました。
しかしながら、0系の「ウエストひかり」に代わる新しい700系の「ひかりレールスター」の活躍で、「ひかり」は今でも山陽新幹線の主力列車に君臨しています。
ここで満洲が出てくるとわなぁw
しかし、1912年すなわち大…
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この講座、出たかったんだよなぁ。
2004年10月1日コメント (43)(宮崎正弘氏のメルマガから)
(略)
<<宮崎正弘の近況>>
(某月某日)拓殖大学茗荷谷キャンパスで開催された「教育と歴史」のシンポジウムに参加した。
この日の司会は同大学日本文化研究所の井尻千男・所長、パネラーは呉善花、黄文雄、高森明勅、藤岡信勝の四氏。
(みなさん、拓大の客員教授でしたっけ?)
要するに主権国家の「聖域」たる教育内容の策定に土足でガヤガヤとあがりこんで我が国の歴史教育を滅茶苦茶にしたGHQと、そのごの「近隣諸国の陰謀」とそれに同調する国内の左翼残党の弊害について。
小生は、このシンポジウムで出番がないが、そのあと大事な打ち合わせがある。そのためシンポジウムにも最初から顔を出した。三時間のロングランだ。
(えぇなぁ)
10月5日から開講になる「新・日本学公開講座」(全20回、毎週火曜日)の講師あい揃い、シリーズの整合性をもたせる目的の打ち合わせを行うのである。
シンポジウムの会場にはロマノ・ビルピッタ、小堀桂一郎、遠藤浩一、藤井厳喜、高坂節三ら各氏の顔も見える。ペマ・ギャルポ氏は欠席の模様だ。
事務局によれば、すでに申し込みは殺到、満員で定員以外のひとにはお断りをしている、と嬉しい悲鳴。このシンポジウムも土曜の午後なのに、満員に近い。
(うわぉ、退化中の政治家官僚らを尻目に、国民大衆のこの面の進歩たるや凄い。あさはかぴ〜カルチャーセンターなんぞとわ、次元が違う)
さて懇親会に移って黄文雄氏が「次回作は“華禍論”ですよ」と言い出してビックリ。なるほど、先取りされてしまったぁ。
黄禍(災い・危険=peril)(イエロー・ペリル)のつぎは中国禍。世界経済全体を巻き込んだ「チャイナ・ペリル(華禍論)」とは題名が良いなぁ。
ついで藤井厳喜さんが面白いことを言った。そもそもシンポジウムというのは古代ローマで「のみながら議論しよう」ということから始まったという。だとすれば、小生らは「毎晩、シンポジウムを開催している」ことになる(苦笑)。
さてシンポジウム会場の売店で遅ればせながら購なった『日本文化』(2004年夏号)にも、藤井厳喜氏が寄稿しており、「イスラエル化した世界」と題された力作がある。
要点は、「911テロ事件以降、世界的規模で先進国の安全保障が、“イスラエル化”した」。
こういう視点は珍しい。というより世界中のメディアでも、まだお目にかかったことがない。
文明史観的見地から、これを論じる藤井さんは米国生活が長いだけに非常にユニークな情報源があるようで、
「アルビン・トフラーたちのいう情報化社会論議は、じつはユダヤの隠された意図があり、ダニエル・ベルの脱工業化社会論とならんでユダヤ人の世論誘導だ」
というのだ!
(ん?またユダヤ陰謀説=とんでも説代表、でつか)
「エネルギー消費と経済成長は正比例しない。
石油危機以降、アラブの政治的発言の増大とオイルマネーに世界は振り回されてきた。しかし工業化社会を前提とする限り、多くの原油の消費増大を回避できない。
この悪循環を解消するのがコンピュータと情報伝達のテレコミュニケーション革命であり、これによる経済成長が実現すれば、さきの悪循環は断ち切れる。
アラブ・イスラムの政治経済力を強めることなく、イスラエルの安全保障も高まる」(要旨)。
ともかく未来予測に関して言えばハーマン・カーン、ダニエル・ベル、アルビン・トフラーらはおしなべてユダヤ人である。
経済学方面でも新説を唱える世界的学者の多くがユダヤ系であることには小生も注目してきた(拙著『ユダヤ人の超発想法』、総合法令出版刊を参照)。
「ペギン首相が恐れたのは“平和”だった。
イスラエルにとってPLOやパレスチナ蜂起の軍事力なぞは真の相手ではない。
もし無原則的な平和がくるとアラブの石油ビジネスにユダヤ人が殺到するだろう。そうすると国家としてのイスラエルは忽ちのうちに溶解してしまうだろう。
(イスラエルは、産油国じゃないからネ)
ペギン率いるリクドの懼れは、そこにあった」。だから強硬な軍事突破作戦にでたのだ。
この路線がネタニヤフ、シャロン政権に引き継がれた。
反対派がジョージ・ソロスに代弁される国際派金融勢力である。グローバル・マーケットが重要だ、などと、NYや巴里にいて「安全な高見からイスラエルを云々するユダヤ貴族」に「イスラエル国民としての義務を果たせ」と呼びかけるシャロンは、ソロスらを愚か者と決めつける。
国際融和はユダヤの団結を溶解させ、再び三度のホロコーストを招来させる危険性があるからだ、と。
(最後の理由付けらしきものの意味が、わからない)
こうした強硬路線をとるシャロンらを、藤井さんは「修正シオニズム」と定義され、現在の米国のネオコンとシャロンらの修正シオニズムとは決して一体ではない、と結論している。
(略)
「写真」と「指紋」。そりゃそうでしょ。
2004年10月1日邦人観光客にも適用=米入国時に顔写真と指紋採取
【ニューヨーク30日時事】米政府は30日から、ビザ(査証)なしで米国を訪れる短期滞在者に対しても、入国時に顔写真の撮影と指紋の採取を義務付ける制度を導入した。
ビザを保有する長期滞在者には既に同制度が導入されているが、これをすべての入国者に拡大する措置で、日本人観光客も対象となる。
国土安全保障省によると、制度は全米115カ所の空港と14カ所の港で実施されており、入国審査時に旅行者が両手の人さし指をスキャナーに載せ、指紋を採取。また、デジタルカメラで顔写真を撮影する。手続きにかかる時間は15秒以下としている。
(時事通信) - 9月30日15時1分更新
こんなに簡単になったんだから、日本ならなおさら、即時導入しなきゃならんでしょ。
特に、韓国(スリという)強盗団に支那ピッキング団に不法滞在予備軍団、という豚でもない隣国を抱えてるんだからさ。
連中、特に「韓国強盗団」は、一仕事終えたらすぐ出国してほとぼり冷めてからまた、ってな繰り返しじゃないか。
できるんだから、さっさとやりましょう。
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いちおう滑稽節、もとい「国慶節」なので。
2004年10月1日(極東ブログ by finalvent 2003/10/10の記事)
(略)
台北駐日経済文化代表處のホームページを見ると「双十国慶記念日」とあった。そういう表記もなるほどねとは思う。
他では中共に配慮して双十国慶節として際だたせる表記もある(雙十節というのは10月10日だから)。でも、国慶節の本義を考えれば単に国慶節でもいいだろう。
今年は(注:2003年)中華民国建国九十二周年になる。常識なので言うも恥ずかしいがインターネット馬鹿曠野に戸惑うこともあるので書くと、民国建国は1912年、つまり大正元年と同じだ。今年は大正92年なのである。
大正年を思えば明治は遠くなりにけりともいえるが、祖父母が明治年の生まれであることを思えば、民国成立の時代はそう遠いものでもない。夏目漱石の「心」にもまだ共感できる。
現代が始まった時代だともいえる。
1914年に第一次大戦が終わり、1917年に脳天気なレーニンの勘違いで始まったクーデターがひょんなことでロシア革命になった。
民国成立について台北駐日経済文化代表處のページには、86年の李登輝の祝辞も残っていた(参照)。ちと長いが国慶節というものの説明のために引用させてもらう。
およそ一世紀前、孫中山先生は中華民国創建のため民主・自由・ 均富による発展の青写真を打ち出しました。爾来八十六年間、 わが中華民国は波濤逆巻く歴史の奔流のなかにおいて、幾度も挫折に 遭遇してまいりましたが、最後において確たる不動の立場を打ち立てることは、 民主に対する強い精神の具現であり、また歴史に対する責任でもあります。 今日ここに、われわれは誇りを持って台湾・澎湖・金門・馬祖地区における 中華民国は、すでに孫中山先生の理想を実現し、政治の民主化、社会の開放、 経済の繁栄、民生の充実といった輝かしい成果をあげ、中華民族の新たな歴史の一頁を開いたと言うことができます。
精神を継承するところに歴史的意義があり、引き続き開拓して行くところに 歴史的価値があります。われわれが獲得したすべての成果は、 無数の先覚諸烈士の犠牲的努力のたまものであり、基礎が築かれたから であります。われわれは国家発展の新たな高峰を築いた今日、 さらに努力をつづけ、民主と自由の理念を堅持し、次世代のためにさらに 安全でさらに安定し、さらに尊厳ある環境を構築し、二十一世紀の激しい 競争のなかにおける新たな挑戦を克服し、新たな局面を開拓して 行かねばなりません。
台湾独立を明言できるようになった現在の李登輝を思えば皮肉な感じもする。また、孫文についても歴史研究が進むにつれ、虚飾がはがれていく。それでも今でも「中華民族の新たな歴史の一頁」とは民主化を意味すると考えて大過はない。
ただ、「中華民族」の民主化とは、偽装された皇帝世界から各民族を解放することではなくてはならない。台湾が台湾となり、チベットがチベットなること。
だが、そういう理想は、現代という新しい流れのなかで次第に色あせているのも現実だ。台湾は台湾になれず、チベットがチベットになることはない。ダライラマがポータラカに戻るとき実はチベットは終わっている。
(ちょいと意味不明...)
中共が出す民族地図を見て満人という区分がないことに呆れたことがあるが、しかし、それが新しい現代でもある。
(略)
今日10月1日は、新幹線開業40周年記念日だそうです。
1964(昭和39)年10月1日、夢の趙特急「ひかり1号」発車。はるかに目出度い記念日です。
そして同年10月10日は、東京オリンピック開会式。
まためでたい記念日ですね。そして、世界史的?にも、本題の事項事実の惹起した日付としてよりは、はるかに有意義な記念美wだと思いますがネ。
体育の日は、元に戻したほうがいいですね。
中山恭子内閣官房参与辞任について。
2004年10月1日(産経新聞)
■【主張】中山参与辞任 日朝国交正常化は慎重に
拉致被害者と家族の支援にあたってきた中山恭子内閣官房参与が辞任した。北朝鮮に対して強い姿勢で臨んできた数少ない幹部が官邸を去るのは、誠に残念である。
中山氏が内閣官房参与に就任したのは、金正日総書記が拉致を認めて謝罪した一昨年九月の日朝首脳会談の直後だ。常に被害者や家族の立場に立って発言し、行動してきた。
(「数少ない」「立場に立って」。いかに異常だったかがわかる)
蓮池薫さんら五人の被害者が帰国した一昨年十月、中山氏は五人をいったん北に戻すべきだとする田中均外務審議官らの意見を抑え、五人の永住帰国が実現した。今夏、曽我ひとみさんと夫のジェンキンス氏ら父子との再会場所をめぐっても、中山氏は北朝鮮に近い北京での再会を恐れる曽我さんの意向を尊重し、一家はインドネシアでの再会と日本への帰国を果たした。
官邸や外務省はこれからも、家族重視の姿勢を崩してはなるまい。
中山氏の辞任により、小泉純一郎内閣が北朝鮮との国交正常化に前のめりにならないかという不安が残る。
小泉首相は今夏の参院選で、一、二年以内の日朝国交正常化に意欲を示した。九月の内閣改造でも、北朝鮮とパイプを持つ山崎拓前自民党副総裁と首相の意を受けた川口順子前外相が首相補佐官に起用された。国交正常化に向けた布陣ともみられる。
これに対し、中山氏は「北朝鮮への経済制裁という選択肢を排除すべきでない」と主張し、早期国交正常化論へのブレーキ役を果たしてきたが、最近は、官邸で孤立感を深めていたともいわれる。
中山氏は、北から名指しで非難された三人の幹部の一人だ。その意見を封じ込めようという動きが首相周辺にあったとすれば、危険である。
日朝国交正常化は、戦後処理の中で残された最大の外交案件とされる。昭和四十(一九六五)年の日韓国交正常化(有償、無償合わせて五億ドルの経済協力)を踏まえ、北は現在の価値で百億ドル(一兆一千億円)の経済協力を非公式に要求しているともいわれる。協力方式によっては、ゼネコンや一部政治家の利権につながりかねない。
北への圧力を強調した中山氏が官邸にいなくなったからといっても、国民の厳しい目は光っている。拉致事件の全面解決と核、ミサイルの完全廃棄が先決である。
(クライン孝子の日記)
■2004/10/01 (金) 中山さん、今後も個人の資格で支援するって
今、朝日ネットをクリックしたら、中山恭子参与が<「個人の資格で支援続ける」 参与辞任の中山氏強調中山氏は辞任後、記者団に「ポストはなくなるが、いろんなご相談をしたり、それを(政府に)つないだりする役割は個人の資格でずっと続けていきたい」>と今後も拉致被害者支援に取り組む考えを強調されたって。
しかも誰も傷つけないように<中山氏は「家族が政府を信頼し、(支援態勢が)動き出したで任務は終わった。どこかで(辞めよう)と思い始めたのは昨年春でした」と語り、山崎拓・前自民党副総裁や川口前外相の首相補佐官就任や夫の成彬氏の入閣が辞任を決断させたとの見方については「考えを決めたのは、その前だ」>と否定なさったという。
私が中山さんと初めてお会いしたのはフランクフルトでした。
(あの時はジュネーブから日本帰国の途で、横田早紀江さん、拓也くん、有本さん、飯塚氏、斎木さん、その他の方々もご一緒でした)あれ以来何度も東京では、中山さん、斎木審議官と三人、
外国人特派員協会で会食しました。
とにかく慈母みたいな方で、家族会から全信頼を受けておられることがじかに伝わったものです。
辞任されて残念ですが、きっと、実力を充分に備えておられる素敵な中山さんですから、家族会のために政府との間で橋渡し役をなさるものと思います。
(略)
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中山参与をヤマタフと交代するなんて...それに、無感覚のボン子。
2004年9月30日■中山参与辞任
「対北推進」山崎氏官邸入り “役割”困難と判断?
北朝鮮による拉致被害者支援を担当してきた中山恭子内閣官房参与が二十九日、首相官邸で小泉純一郎首相、細田博之官房長官に辞意を伝え、了承された。中山氏はソフトな物腰とは裏腹にタフ・ネゴシエーターとして北朝鮮に対峙(たいじ)、被害者や家族の信望も厚かっただけに、突然の辞任は大きな波紋を広げている。
(波紋を広げるどころか、小鼠政権命取りだわ)
「与えられた任務はだいぶ前に終わっていたと思う」。中山氏はこの日記者団にこう語った。周辺には「私の役割は政府と被害者家族とのパイプを作ること。これは去年の春ごろには終わっていた」と漏らしている。
しかし、実際には中山氏はそれ以上の役割を果たし、北朝鮮への政府対応に大きな影響を及ぼしてきた。
その中山氏が辞任を決意したきっかけは、内閣改造で山崎拓前自民党副総裁と川口順子前外相が首相補佐官に起用されたことにある。
今年四月、中国・大連で北朝鮮当局者と接触して被害者家族らから「二元外交」との批判を浴びた山崎氏や、川口氏が日朝交渉に意欲を示していることから、拉致被害者を「救う会」幹部は「これまでの役割を果たす見込みがなくなったと判断したのだろう」と推測する。首相はこの日、中山氏を慰留しようとはしなかった。
(ヤマタフ、ボン子なんて、対北のど素人以下、だろ)
「北朝鮮への経済制裁という選択肢を排除すべきではない」との中山氏の主張に、官邸側(飯嶋勲だろ)が「不快感を示すようになった」(政府関係者)。
「辞任は北朝鮮の思うつぼというより、官邸が北朝鮮のいいなりになっているのでは」(別の政府関係者)との見方すらある。
(さぁて、明日からの動きがたいへんなことになるかもな)
自民党の安倍晋三幹事長代理(!)は二十九日、記者団に「まだ十人の安否確認もあるし、日朝交渉をどういう姿勢で進めていくかという問題もある」と述べ、中山氏の辞任を惜しんだ。
中山氏は、首相が最初の訪朝を行った平成十四年九月、福田康夫官房長官(当時)に請われて参与に就任。翌十月に被害者五人が帰国した際、五人をいったん北朝鮮に戻すことを主張した外務省の田中均外務審議官に「そんなのは交渉とは言いません」と突っぱね、永住帰国に道を開いた。
昨年の統一地方選では、中山氏の「私以上に被害者家族寄り」(安倍氏)の姿勢や、外務省の方針に公然と異を唱えるやり方を煙たがった政府高官が群馬県知事選出馬を打診したが、断って参与にとどまっていた。
対北朝鮮「強硬派」として存在感を示してきた中山氏が表舞台を去ることで、拉致事件が“中ぶらりん”にされたまま、首相が日朝国交正常化を加速させる可能性もある。
(阿比留瑠比、田北真樹子)(09/30)
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おおもの。大人(たいじん)。豪傑。
2004年9月30日コメント (47)大記録目前でも自然体 重圧とは無縁のイチロー
イチローが今季、複数安打をマークしたのは、実に78試合もある。米大リーグでは当然、断然トップ。それが30日の一戦で出ると、快挙がなる。
それが実現しないと、シアトルでの今季最後の3連戦までお預けとなる。「地元で達成したいという気持ちは」と問われると「そんなことは全く考えていない。回ってくる打席で(の気持ち)は、いつもと変わらない。(常に打ちたいという)欲はある」。
ただ、プレーオフ進出がかかっているチームと対戦する方が、気持ちがかき立てられるという。「こっちの方が面白い。野球選手としての本能が出てくる」と、独特の言い回しで認めた。
日本で初めて年間200安打を突破するなど数々の記録を打ち立ててきただけに、緊張したり、神経過敏になっている様子はまるでない。
第4打席で13球にわたる勝負を繰り広げた若き速球派、ハーデンについては「ハドソン(アスレチックスのエース)と比較したら、ハドソンに失礼。でも、いいんじゃないですか、元気で」と余裕たっぷり。マリナーズ内では、第5打席の死球を「報復」ととらえる向きもあったが、イチロー自身は「忘れていた。それぐらい痛くなかった」と涼しい顔で言った。
このまま、プレッシャーとか重圧とは無縁の状態で、新記録を樹立してしまいそうな、そんな予感が大いにする。(オークランド共同)
(了)
[ 共同通信社 2004年9月30日 16:52 ]
王手だ! イチロー 最多記録にあと「1」
アスレチックス戦の3回、イチローの256本目の安打に大喜びのファン=9月30日、ネットワーク・アソシエーツ・コロシアム(共同)
アスレチックス戦の3回、今季256本目の安打を放ち、大リーグ記録へあと1本と迫ったマリナーズのイチロー=9月30日、ネットワーク・アソシエーツ・コロシアム(共同)
米大リーグのシーズン最多安打記録に挑むマリナーズのイチロー外野手は30日、オークランド(米カリフォルニア州)でのアスレチックス戦に「1番・右翼」で出場。三回の第2打席で先制の右前適時打を放って256安打とし、ジョージ・シスラーが1920年につくった最多257安打にあと「1」と迫った。
その後は五回が空振り三振、七回は左飛、九回も空振り三振に終わり足踏み。本拠地シアトルに帰り1日からのレンジャーズとの今季最終3連戦で大記録への挑戦が続く。
一回の打席は一ゴロで5打数1安打。打率は3割7分1厘。試合はアスレチックスが3−2でサヨナラ勝ちした。
イチローは連続4季での通算安打数でもビル・テリーの918(1929−32年)の大リーグ記録に並んだ。(共同)
(10/01 07:24)
あら?そんなことも未決定だったの。しょうがねぇなぁ。ヘタレw
2004年9月30日(産経新聞)
県で「竹島の日」制定を 島根県知事
島根県の澄田信義知事は30日、日韓で領有権を主張している竹島について「『竹島の日』の制定を10月の重点要望で国に制定を求めるが、難しければ県で決めたい」と話した。
同日、県庁を訪れた「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の松原仁衆院議員と意見交換する中で話した。
島根県議会は今年3月、「竹島の日」の制定などを国に求める意見書を可決している。
(09/30 19:19)
(外務省HP)
韓国の不法占拠の状況
(1)韓国は、昭和29(1954)年7月から現在に至るまで、竹島に警備隊員(警察)を常駐(昭和29年)させるとともに、宿舎、灯台、監視所、アンテナ等を設置、年々強化されている模様である。
(2)平成9(1997)年11月、我が方からの累次にわたる抗議にも関わらず、500t級船舶が利用できる接岸施設を完工させた。更に、平成10(1998)年12月には有人灯台を完工させた。
(「帰れ竹島」HP)
昭和27年1月18日韓国の李承晩大統領が一方的に海洋主権宣言(いわゆる李ライン宣言)を発し、竹島もこの李ラインの中に含まれると主張しました。
その後日韓両国は互いに領土権の主張をくり返し、双方の調査団の派遣、わが国巡視船に対する韓国側の発砲など緊張した状態が続いていましたが、昭和53年4月30日韓国は領海12カイリを実施し、以後竹島周辺12カイリからわが国の漁船を締め出しました。
現在竹島は、韓国が灯台、見張場、兵舎等を築き、警備員を常駐させて不法占拠を続けています。このためわが国の主権が行使できない状態となっています。
わが国はあくまで平和的手段により解決するとの基本方針に立ち、あらゆる機会をとらえて粘り強く交渉を続けていますが、いまだ解決をみるに至っていません。
こうした状況の中で、1日も早く竹島の領土権を確立し、漁業の安全操業を確保するためには、私たち一人ひとりが竹島問題を正しく理解し、国民的世論を盛り上げていくことが必要です。
1951年09月08日 サンフランシスコ講和条約に調印。(韓国の領土に竹島は含まれず)
1952年01月18日 李承晩大統領の海洋主権宣言
1952年01月28日 日本による抗議
1952年04月28日 サンフランシスコ講和条約発効。
1953年02月04日 第一大邦丸事件
1953年02月27日 アメリカが米軍の演習地区から除くと発表
1953年04月20日 独島義勇兵を結成した韓国の青年が竹島に上陸
1953年06月19日 島根県が県漁民に対し、竹島に関する漁業許可権を下す
1953年06月26日 日本側が竹島に「日本島根県隠岐郡五箇村」の標識を立てる
1953年07月12日 韓国の獨島守備隊が日本の海保庁巡視船に発砲
1953年07月27日 朝鮮戦争終結
1953年10月17日 日本の国会議員が海上から竹島を調査
1953年10月21日 島根県水産試験船・島根丸の船員と記者が竹島に上陸
1953年10月23日 海上保安庁の巡視船2隻が竹島に近付いて韓国の領土標識を撤去し、日本の領土表示を設置
(1954年7月に、実効支配って具体的に「何を韓国がやった?」)
1954年09月25日 国際司法裁判所提訴についての口上書
もう一つ、別口の年表。
竹島年表
1849(嘉永2年)
フランスの捕鯨船リアンクール号竹島を発見
1904.9.29(明治37年)
中井養三郎、内務・外務・農商務省に「りゃんこ島(竹島)領土編入並に貸下願」を提出
1905.1.28(明治38年)
閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする
2.22
島根県知事、島根県告示第40号で竹島の名称とともにその所属所管を明らかにする
5.17
島根県、竹島を隠岐国四郡の官有地台帳に登録
6.5
島根県知事、中井養三郎外3名に対しアシカ漁業の許可をする
7.22
海軍人夫38名竹島に上陸し、仮設望標を建てる
8.19
島根県知事松永武吉、随員3名とともに海軍用船京都丸にて竹島視察
1906.3 (明治39年)
島根県第3部長神西由太郎外43名、竹島の実態を調査
1939.4.24(昭和14年)
島根県隠岐郡五箇村議会、竹島を五箇村の区域に編入することを議決
1940.8.17(昭和15年)
島根県、竹島の公用を廃し、海軍用地として舞鶴鎮守府に引き継ぐ
1945.11. 1(昭和20年)
海軍省消滅に伴い、竹島は大蔵省所管になる
1952.1.18(昭和27年)
韓国大統領李承晩、海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)により竹島の領有を主張
1953.6.27(昭和28年)
島根県、海上保安庁共同で竹島を調査し、韓国人6名に対し退去命令をし、領土標識(木柱)を建てる
1954.9.25(昭和29年)
日本政府竹島問題の国際司法裁判所への付託を韓国に提議
1965.6.22(昭和40年)
日韓基本条約調印、竹島問題は紛争処理事項とされる
1965〜1976 (昭和40年〜昭和51年)
島根県知事、県議会議長連名で国に対して竹島の領土権確保を要望
1977.3.19(昭和52年)
島根県議会、竹島の領土権確立及び安全操業の確保について決議
4.27
島根県竹島問題解決促進協議会(促進協)設立
1977〜1995 (昭和52年〜平成 7 年)
促進協、国に対して竹島の領土権の確立及び安全操業の確保を要望
1987.3.11(昭和62年)
竹島・北方領土返還要求運動島根県民会議設立
李承晩ライン
1952(昭和27)年大韓民国大統領李承晩が1952(昭和27)年に発した海洋主権宣言において設定された漁船立入禁止線
このため、済州島付近から対馬海峡にわたる漁場での日本漁船の操業が禁止された
1965(昭和40)年 日韓漁業協定の成立で撤廃
イ,スンマン
李 承晩
1875(明治8)年3月26日生
1965(昭和40)年7月19日没
黄海道平山出身
韓国の政治家
黄海道の貴族出身(両班ヤンバン)
青年時代から朝鮮独立運動に参加
1904(明治37)年 渡米後
1905(明治38)年 ワシントン大学卒
1919(大正8)年 上海で結成された大韓民国臨時政府国務総理、次いで大統領に推されるが派閥抗争で失脚
ハワイで朝鮮独立運動を継続(魔都上海に逃げても細々と「抗争」やってたダケw。それにも負けてハワイに逃げたと)
1945(昭和20)年 帰国
1948(昭和23)年 大韓民国成立 初代大統領に就任
以後、アメリカの支援を背景に右派の巨頭として大統領に4選される(傀儡利権のボス)
1952(昭和27)年 海洋主権宣言 李承晩ラインを設定
1960(昭和35)年3月 大統領に4選
1960(昭和35)年 四月革命 不正選挙を糾弾されハワイに【亡命】
1965(昭和40)年7月19日 ハワイで客死(憎まれっ子世に憚って90歳)
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イチロー、きょうにも快挙 あと「3」でアスレチックス戦
米大リーグのシーズン最多安打記録に挑戦しているマリナーズのイチロー外野手(30)は29日(日本時間30日)、オークランドでのアスレチックス戦に臨む。
イチローは28日の試合で今季の安打を254に伸ばして歴代2位タイとなり、1920年にジョージ・シスラー(ブラウンズ)がマークした257安打まで「3」と迫っている。
100年以上の歴史を誇る大リーグで「最古」といわれる不滅の記録に並び、追い抜くか期待は膨らむ。
(共同)
すげぇ〜よ、なぁ。
イチロー、第4打席までに1安打 記録へあと「2」
米大リーグのシーズン最多安打記録に挑戦しているマリナーズのイチロー外野手(30)は29日(日本時間30日)、オークランドでのアスレチックス戦に「1番・右翼」で出場し第3打席にショートへの内野安打を放ち、今季の安打を255とした。第1打席は四球、第2打席は空振り三振、第4打席は二ゴロで、9回の第5打席は死球だった。。
1920年にジョージ・シスラー(ブラウンズ)がマークした257安打まで「2」と迫った。(共同)
(09/30 13:39)
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2ヶ月以上も前の論文らしいんですけど。
2004年9月30日(2004/07/26)
【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 戦後日本をリセットする首相出でよ
占領行政下で制定の憲法は無効
≪版権者まで徹底して消去≫
アレキシス・カレルの『人間−この未知なるもの』が天下の名著であることを否定する人はまずいないと思う。私も大学の倫理学の授業で、「試験のためには、これ一冊読めばよい」と言われて精読した。それで自分が教壇に立つようになってからも、学生たちには機会あるごとに、この本を薦めた。
ところが、そのうち「その本は見つかりません」という学生が何人も出てきた。絶版になっているらしい。そんなら自分が新訳を出してもよいと思っていたら、そういう出版社が出てきた。「フランスの版権の方をきっちりしてください」と念を押して、いろいろ調べてもらったら、どうしても版権所有者がわからないという。「こんな名著がどうして」と不思議に思っていたら、だんだん事情が明らかになってきた。
それはカレルがあっさりドイツに負けたフランス人の弱体化を憂い、その弊害をあらため、昔の強健なフランス人をつくるための研究施設をビシー政権に作ってもらったことによるものらしかった。
しかしドイツが連合軍に敗れたあと、ビシー政権に関係したフランス人たちはコラボラテューア(対独協力者)として反逆者扱いにされた。
カレルは愛国心・民族愛からやろうとした研究施設を計画したのだったが、コラボラテューアに分類され、著書の版権者まで消えてしまった。
(そりゃ、単なるヒステリーなんではないですか?)
ところで、ドイツ軍がパリにいた間の約五年間、ビシー政権の下でもいろいろの法律が出されている。これはどうなったか。
(えぇ〜っと、版権者なしがわかったから、翻訳は誰でも自由にできるようになっていた、という結論でしょうか。そして、ついでにその被占領下のビシー政権の制定した法律の運命に関心が向いたのだと...)
≪フランスと日本との違い≫
ロンドンに逃げていたドゴールが帰国すると、ビシー政権はなかったこととなり、その政府の出した法律もなかったことになったそうである。
(「無効宣言」な何かを遡及させたんですか?
なんか、火病=ふぁびょ〜んのうりならペプシ国並みですねぇw)
では日本ではどうだったのか。フランスがドイツ軍に制圧されていたのは約五年間。日本が連合国の占領下に置かれていたのは約七年間。大した違いはない。
それなのにフランスと日本の被占領下の時代に対する相違の大きさはどこからきたのであろうか。
条件の違いはいろいろある。フランスは白人国でアメリカの先進国でもあった、実態はなくともドゴールがロンドンで気炎(毎晩放送でクダ巻いてたw)を上げ続けていた、等々。
しかし最重要点ではフランスも日本も同じである。フランスは五年間ナチス・ドイツの支配を受けた政府の下にあったことである。ビシー政権は本当の主権のない政府であった。占領下にあった日本政府のように。
(仏領インドシナ進駐って、ビシー政権との合意でやったんじゃなかったでしたっけ?
承諾権ないとこと合意して進駐したら、今度は「こっち」が「侵略」になっちゃいません?)
日本の政府だって占領下の七年間は主権がなかったのではないか。ビシー政権よりもずっと完全に主権を奪われていたのではないか。
(「主権」て使っちゃうと、定義「唯一絶対不可分」的に「あるかないか」のような印象なのですけど)
このことは当然、国家主権の発動の印である憲法の制定が、日本では主権がなかった時代に行われたことを意味する。
占領下の日本(国)の主権が日本国憲法(新憲法)を持つ日本にはなく、占領軍にあったことは、東京裁判による死刑が日本国内で行われたことで明らかである。つまり日本の主権の上にさらに高い権力(それは何でしょうって、軍事力ですよね。それが「占領」で日本は間接占領下=占領軍が直接被占領下の国民に指令するよるも、日本政府に指示<示唆とか「あっち系」は言ったり>にして統治させる)があったことになる。
この最高権力(=他国の軍事力・軍政)から見れば、憲法を含めてすべての占領下の日本の法律・政令などは、占領行政にすぎなかったことになる。
(ま、平たくは「仕返し」防止のための手段だったかな?)
≪新憲法による改正も疑問≫
独立回復をしたときに(1952年4月28日)日本政府は、占領下におけるすべての法律・政令などは、憲法も含めて「本質的に無効である」と宣言すべきであった。
(1)だからといってすぐに【無法国家】(!?w)になるのではなく、憲法はじめ作り直しが済むまでは現行のままでよいとすべきであろう。本当は占領以前の法律に戻るべきであるが、占領下七年間の変化は、それをやるにはすでに大きすぎたと思う。
(2)現在の憲法改正運動の趣旨には賛同するが、新憲法の改正手段を憲法第九六条の改正手続きによることは、やはりマッカーサーの掌上でダンスをすることになるのではないか。
(1の論理は、2にはもっと適用されませんか?
占領期7年間どころか、独立回復時からもう52年間も経ってますけど。
つまり、「改正手続が硬直的過ぎる!」と仰りたいわけでしょ?
その大前提には、改正「手続の条文」を改正することも、憲法の改正手続によらねばならぬ!ということがあるわけで...
よく論者が勝手に「これが憲法の原理だ」としたものを、いくら改正手続によっても改正できないのだ、やったとしたらそれは憲法破棄だ、「同一性が認められない」新憲法の制定すなわち「革命」だ、とか仰るときの論調と似てるような気がしないでもないカモ)
主権なき占領下に作られた憲法は本質的に無効であることを宣言してから取りかかるべきではないだろうか。
第一、憲法が作られるときには、それに対して批判することや反対論を公然と主張することは占領軍に厳重に禁じられていたはずである。
(ここいらは江藤淳氏の3部作で論証済みですよね)
占領下七年の法律は、すべて「進駐軍の命によって」あるいは、その許可、黙認によって成立したものであるから、本質的に無効だ、と断言してくれる首相は出ないものだろうか。議会の過半数があれば有効な決議ができると思うのだが。
(ちぃと飛躍、無茶苦茶、仰ってません?w)
これは今の日本にドゴールのような人物(欧州版中華思想の権化ような、から威張りの横柄なでかいだけのおやぢ、てな印象しかないんですけどw)がいないためなのか、
それとも私の考え方が間違っているのか、教えてくれる方があったらありがたいと思っている。(わたなべ しょういち)
渡部昇一教授ったら、孤軍奮闘で、誰もが長きに捲かれてたとき言論活動やってらっしゃった先達ですもんね。「人生論」以外の歴史関連著作は今でも好きです、が、...
「この先」が、お聞きしたいところなのですけど...w
でも、フランスのように「全否定」…
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仕方なしの擦寄りか。
2004年9月30日(時事通信)2004/09/29-14:45
日中エネルギー協力を提案へ=摩擦解消へ首脳協議も−中国政府
【北京29日時事】中国政府が、日本とのエネルギー協力を日本側に提案する検討を進めていることが29日までに分かっった。
東シナ海の天然ガス開発や東シベリアからの石油パイプライン敷設計画などで両国間の摩擦が深まる中、中国側は協力に関する基本方針を打ち出したい意向で、中国外交筋は「10〜11月にかけて国際会議を利用して行われる日中首脳会談のテーマになる可能性が高い」としている。
協力提案じゃなくって、「救援要請」だろ。
「中華思想」は、こんなとこにも顔出してるようだな。
★日本側の主張は
(1)尖閣を日本領だと公式に認める。
(2)日中の境界は、日本主張ラインだと公式に認める。
まあ、話はそれからだ。
それにしても、メジャーに逃げられてから、こういう話になるってことは、相当困っているな・・。尖閣には資源がなかったか、コストが高すぎたかのいずれかだろう。
きちんと主張したからこそ、中国側から協力の申込があった。まだ、内容を見ないと安心できないが、対中国では、今後の模範となる出来事。
2chはますます重要な外交機関となる・・・・・・・?
★欧米2社に逃げられて速攻かよ。ある意味鮮やかな気もする。
どこのだれだ、中国は面子を非常に大切にするっつったのはw
(背に腹は代えられぬw。格言大好き民族)
★あははははは
石油メジャーに逃げられて日本に集(たか)ろうってか。
舐めるな。日本政府は拒否しろ。
都合のいい女じゃねーんだってな
(比喩がなぁw)
★摩擦解消?
自分で摩擦の種をまいといて、都合が悪くなると摩擦解消?
周りの迷惑を考えない、あいかわらず はた迷惑な行動だ。
しかし、この提案に外務省や一部(殆ど?)のマスコミは
喜んで飛びつくんだろうな・・・。
まず、中国の提案や行動は周辺国に害を及ぼす事が目的である
事を前提(性悪説)に考え、それに対処する事を考えるべき。
(例外はないだろう。)
外務省も同じではあるが。(外務省の存在意義とは何だろう?)
日本へ害をなす中国へのODA供与と同じくらい、あるいはそれ
以上の害をなす国税と実権を与えての外務省存在の意味は?
なんで外務省は存在できるのか?
いつも考えさせられ、眠れない。だれか教えてくれ。
★やっぱ、極東3バカに、妥協とかお互いに譲るとかはあり得ねーな。骨の髄まで事大な連中だから。
中川経産大臣留任はひじょーによかった。
もともと理は日本にある。 ちゃんと押すべきは押さねば。
(もうそういいう認識が常識になってるかな)
★支那は日本に対してやたら「協力」という言葉を使うが、これは正しいのか?
「協力」とは互いの利益になるために互いに力を出し合う事を言うのだろう?(そ、ねw)
★まずよ。本当に困ってるから助けてくれ。といって日本が断るか?中国は、なぜ無茶な事したか反省しろ。
(まず、「えざわの15年」の総括・排斥だな)
それから北朝鮮を責任持って保護国にするとか併合するとかしろ。
(ま、これが最低のバーターだろな)
★やつらの言う協力ってのは「相互に協力」じゃなしに「協力しろ」の意味があるからねえ。乞食の分際ででかい口叩くなっての。
(ホント、最近の若い連中の認識たるや、隔日の感。田中角栄以降官僚政治家が、この2ちゃん程度の認識あったらなぁw)
★自国の燃料逼迫で、木炭輸出もストップだもんな。
シナ公が自然環境が悪化してるから木炭輸出禁止なんてするわけがなかろう。
★(1)2002年日韓ワールドカップで、スタジアムを作る資金が無い韓国のために7000億円もの日本の資金が使われた事を。(2)韓国の経済危機の時にIMF経由で日本が多額の資金を出し韓国を救った事を。
(実力ねぇカラ元気連中の尻拭いばっか「協力提案」されてサw)
★摩擦解消へ...って誰の言葉かよくわからんけど、中国の口から出るとしたら、ようは「技術が無い、援助汁!」ってことだよね?手札は焦らずじっくり切らんとな。
(いつもの「本末転倒の術」ですよw)
★日本に対して散々不誠実な対応しといてこれかよ。
(面の皮=踵の...)
★まず常任理事国入りを賛成してもらわないとw
(いぃぃぃねぇぇぇ〜w)
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反日マインチも、「概ね」まぁいい記事、あるじゃん。この調子で頑張ってネw
2004年9月30日現場発:
米大リーグ マリナーズ・イチローに沸く米国人の心(その1)
◇強い者こそ価値がある
【オークランド國枝すみれ】米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が、人々の思いを紡ぐ。シーズン最多安打という84年間破られなかった記録への挑戦。人種、信条を異にする米国人たちが、それぞれの思いで声援を送る。鮮やかなヒットでこの日も応えた30歳の日本人は、米国の人たちの心をとらえている。
気温15度。27日、ナイターで地元アスレチックス戦が行われたオークランドの球場は、試合途中で小雨が降り始めた。1万7200人の観客のほとんどが、アスレチックスファンだ。イチロー選手も打席に入る度にブーイングに迎えられたが、七回にシーズン252本目のヒットを打った時は称賛の拍手が沸いた。
熱中するのは、若い世代ばかりではない。
マリナーズの地元ワシントン州の農村から駆けつけたシド・マーシャルさん(59)とシェリーさん(57)夫妻。30年間、牧草をつくってきたが、4人の子どもは町へ出てアナウンサーや教師になった。後継者はいない。「潮時だ」と、年末に140ヘクタールの農地を売却して引退する決意をした。
やはりワシントン州からイチロー選手を追って移動するモナ・ビービィさんら53〜66歳の女性5人は、夫たちに留守を任せ、連日、球場で声をからす。野球のないシーズンオフのことを思うと、落ち込んでしまうという。
彼ら、彼女らが、イチロー選手に共感し、夢見るものは何か。
記録を持つジョージ・シスラー選手の孫、ボー・ドロケルマンさん(58)は27日、語った。「懸命に努力し結果を出せば、評価される。私たちが信じていたアメリカ本来の価値観が実現されているようだ」
記者は、日本人がメジャー記録を破ることについて、反発があるのではないかと思っていた。しかし、イチロー選手は愛されていた。米国人は、誰も日本人が記録を破ることを気にしていなかった。
大柄のメジャーリーガーの中で、きゃしゃに映るイチロー選手。打ったとき、球場全体に沸き上がるような歓声。
強い者が好き。強い者こそ価値がある。今の米国の空気が感じられた。
ビービィさんは言う。「毎回、驚かせてくれる。必ずエンターテインメントを提供してくれる」。米国人は、それがどれだけ大変なことであるかを知っている。
シスラー選手の記録は、第一次大戦直後の1920年。まだ大リーグが有色人種に門戸を閉ざしていた「白人リーグ」の時代だった。シスラーが死んだ年に生まれたイチロー選手が、今、記録にあと5本まで迫る。今年の開幕時、米国以外で生まれた選手はメジャーの27%を占めた。
現場発:
米大リーグ マリナーズ・イチローに沸く米国人の心(その2止)
◆夢を求めて、人は野球場に足を運ぶ。自らの日常、人生を、選手たちのプレーに重ね、心を揺さぶられる。
◇「イチローになりたいんだ」
大記録へ向けてひた走るイチロー選手(30)は、今、メジャーリーグの夢の主役だ。活躍に沸く客席に、さまざまな米国人の人生があった。26、27の両日、テキサス州アーリントンとカリフォルニア州オークランドの球場で、多くの観客と触れ合った。
いつの時代も、野球のスター選手は、少年の心をわしづかみにする。
ブラックストン・ピット君(10)は、初めて生で見るイチロー選手の一挙手一投足に目を凝らしていた。インターネットで買ったマリナーズの野球帽にシャツ姿。イチロー選手の背番号「51」が入ったグラブをはめていた。
打席でバットを持った腕を投手の方に真っすぐ伸ばすイチロー選手独特の仕草。米国でもまねる野球少年が増えている。ピット君もその一人だ。
「失敗しても、ピンチのときも、いつも冷静。すごくかっこいいよ。イチローみたいになりたいんだ」。大嫌いな算数の宿題でいらいらすると、壁に張ったイチロー選手の写真の前に行く。
「イチローだったらこんな時どうするかを考えて頭を冷やし、机に戻ってまた挑戦するんだ」
◇
しかし、大人たちの目には、子供たちとは別のイチロー像がある。そこには、今の米国社会の明と暗が、微妙に映っている。
共和党支持者の2人にスタンドで出会った。彼らがイチロー選手に見るのは、「強さ」だった。
オークランドの球場にいたグラント・タブチさん(37)は、日系4世。テコンドー道場を二つ持ち、週500人の生徒に武道を教える。「イチローは、アジア人は小さくて、弱いという印象を変えた」と思っている。
ブッシュ大統領の熱烈な支持者だ。「道場は、誰の力も借りずに発展させた。成功しなかった人間が他人の荷物になるべきではない。自分で努力しろ」と主張する。
ジェフ・ロビンさん(42)も、ブッシュ大統領の支持者だった。空軍除隊後、民間航空会社のパイロットになった。大統領は強さの象徴という。「同時多発テロ以降、米国には強い指導者が必要だ。米国人は強い人間が好きだ。だからみんなイチローが好きだ。その業界で最高の人間が好きなんだ」と言った。
◇
こうした強者信仰のような空気に、違和感を持つ人たちもいた。
サンフランシスコ市の大学生、ジニール・アンチェラさん(22)は、洋服デザイナーを目指している。「イチローは小さくてかわいい」。シアトルを訪ねたとき、欲しかったイチロー人形が売り切れていたため、仕方なく買ったマリナーズのTシャツの上にセーターを着込んでいた。
大統領選やイラク戦争は重要だとは思うが、遠い世界の出来事だ。「自分が民主党支持者か、共和党支持者なのかも分からない。カリフォルニアは自己主張が強いタイプがたくさんいて、私を強引に説得しようとするの。でも私は、自分がじっくり発酵するまで待ちたい」と話した。
◇
日本語で「イチロー」と書かれたTシャツ姿のギルバート・マルティネスさん(34)は、大学でメディア論を教えている。父はメキシコ系米国人、母が沖縄出身の日本人だ。イチロー選手のひたむきさが、好きだ。
空軍兵士の父は、沖縄で店員の母と出会った。95年、母と2人で沖縄を初めて訪ねた。終戦時4歳だった母は、それまで沖縄戦について多くを語らなかったが、この時、マルティネスさんをある丘に連れて行った。伯母が「米兵と日本兵の両方から、私たちが逃げて隠れた場所よ」と教えてくれた。母が胃がんで死んだのは、その年だった。
マルティネスさんは、今、テロ対策、戦争、安全保障がすべてに優先される米国社会の雰囲気に、危機感を覚える。11月の大統領選も気がかりだ。
歓声に沸く野球場。「イチローを誇りに思う」と話すマルティネスさんは、こう言った。
「母の気持ちが今、よく分かる。戦争は最後の手段であるべきだ」【國枝すみれ】
毎日新聞 2004年9月29日 東京朝刊
相当嘘臭いことも、さり気無く織り込んではいますけどサ。
「終戦時4歳がった」ひとが、「日本軍からも逃げていた」って?
そりゃ、「日米軍の戦闘」から逃げていた、んでしょ。
そもそも沖縄戦は、住民避難誘導を北にしなかった行政(知事は既に退去してた)にのみ責任があり、「戦闘従事のみが職責の軍」には何の落ち度もない、という意見がありますが。
ま、この程度は「思い込みありき」の毎日記者の素養の問題、てなことで斟酌してあげましょうねw。
この先2年選挙ないから、国民を甘く見たかな?ノーベル平和賞狙いって、まさかねぇw
2004年9月30日(産経抄 2004/09/30)
(略)
▼そんな折、中山恭子内閣官房参与(六四)の辞任が拉致被害者家族会に衝撃を与えている。中山さんは北にへっぴり腰の外務省と違い、家族の身になって被害者支援のために奮闘してきた。「一区切りつき、自分の役割は終わった」というのが辞任の弁だが、そうではないだろう。
▼改造内閣の官邸人事に嫌気がさしたのだ。
山崎拓、川口順子両氏の首相補佐官起用は一体なんのためなのか。
北はめぐみさんら十人の現在の安否情報を示そうとせず、明らかに時間稼ぎをしている。これで国交正常化なぞとんでもないことである。
「忖度」「推量」レベルでなく、言い切ってます。
えらいこっちゃあぁ。
でも、「辞任」ってのは自発的に辞めることだよね。
「いや、やらねばならないことが残ってます」てなわけにはいかなかったんだ。
(西村幸祐 酔夢ing voice)
■2004/09/29 (水) 中山参与辞任は、北朝鮮と小泉首相の謀略か
唐突な中山内閣官房参与辞任劇に関係者はみんな戸惑いを隠せないでいる。今日、米国上院では北朝鮮人権法案が満場一致で可決された。小泉首相は反米に転じたのか(笑)?
どう考えても、拉致被害者奪還と対北朝鮮政策に関して日本政府より米国の方がまともに取り組んでいる。小泉首相は内閣改造で初めてまともな外務大臣を起用したが、一方でとんでもない罠を仕掛けていた。ちょうど2週間前の9月14日、経済制裁を求める緊急国民集会を間近に控えた時期に中山参与は【こんな発言=
もう見れない】をしている。
このインタビューで彼女は特定失踪者も扱う組織を政府内に設置したいと前向きな姿勢を示した。
一昨年の拉致被害者帰国から今年の被害者家族帰国、ジェンキンス氏と曽我さん再会まで、中山参与は拉致問題の節目節目で重要な役割を果たした。
特に一昨年5人を北朝鮮へ返さなかった事と、曽我さんとジェンキンス氏再会で官邸が意図した再会地を北京からジャカルタに変えさせた上、巧みなメディア操作で北朝鮮と官邸をも欺き(!)、曽我さん一家を早期帰国させた手腕は本当に見事だった。
99年、ウズベキスタンとタジキスタン大使を兼任中、彼女はキルギスタンの日本人技師拉致事件でイスラムゲリラと粘り強い交渉をしたが、いよいよこれから本領発揮という時の疑惑の辞任だ。
<辞任の意向>がリークされた昨日の深夜まで、中山参与は辞任しないと関係者に語っていた。
本人が辞めないと言っていたのに、一夜明けて彼女は辞表を提出した。
(まさか、旦那の入閣絡みじゃないよな。武部氏うっかり口走ってた「軽口」通りだったりして)
陰謀によって中山参与は職を解かれたとしか解釈できない。
(そか、役人だから「解職」か)
彼女の辞任を誰が一番喜んでいるのだろうか?言うまでも無く金正日だ。
金正日は北朝鮮の謀略を悉く阻止する中山参与と安倍晋三氏を一昨年から恐れていた。
そして、今回の内閣改造で首相補佐官になった山崎拓氏と川口元外務大臣は、北朝鮮が歓迎する人物だ。しかも、結果として最悪の杉浦官房副長官が居残り、小泉政権の北朝鮮外交は拉致問題を終息させ、一気に国交正常化へ向けて大きくシフトした。
米国もこれで益々小泉政権に疑惑の目を向けるだろうが、日本人の手で日本を正しい方向へ導けないとは何とも情けない。
「本当に疲れました。涙が出ます」と増元照明氏は私に言った。
(多事X論)
■平成16年9月29日(水)
拉致問題 〜小泉退陣なくして拉致問題の解決はありえない〜
中山参与の辞任の件について、マスコミやネット上に様々な憶測が飛び交い、何が事実で何が事実ではないのかよく解らない。
しかし、こと拉致問題に関しては家族会の見解を最も信頼すべきだろう。
家族会の方々は最愛の家族と生き別れになって20数年もの間、自国の政治家・官僚・マスコミに散々コケにされ、北からは一方的な死亡宣告される等想像を絶する試練に耐えてこられた方々だ。それゆえ、北や日本政府の本質をとことん知り尽くしたエキスパート中のエキスパートであり、その判断能力たるや我々凡人などいざしらず、どんなマスコミ、官僚、政治家にも決して負けない。
(これは大いに納得するな。それに、現代コリアの方々の半島分析と見通しは、ダントツだと思ってるし)
5.22日朝会談後の記者会見で激怒されたのも、その研ぎ澄まされた感性が『小泉の背信』を瞬時に読み取ったのだろう。
そして、今回の件に対する家族会の見解は以下のとおりだ。
9/28付 家族会の緊急アピールより
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200409/20040929.htm
『いま、中山参与が拉致担当から離れるようなことがあれば、少し過激な言い方ですが、小泉内閣が拉致問題の幕引きを計ろうとしているとしか思えないのです。
私たち被害者家族にとって、そのようなことは耐えられない衝撃です。』
本日のワイドスクランブルより(増元さんが電話で出演されて、昨日の夜遅くに参与と直接電話でお話されたそうだ)
『手足をもぎ取られた感じがする。とても悔しい。参与からは『不本意だ』ということが言葉の隅々から滲み出ていた。自分から望んでの辞意ということではなく、「不本意だが辞意」というように感じた。
参与を一番煙たがっているのは北朝鮮。政府がその意向に沿ったものではないか。そういう流れが政府により作られたのではないか。国交正常化のため、参与が邪魔になったのではないか。』
つまり、こういう事なのだろう。いよいよ、拉致問題の幕引きが始まったという事だ。
小泉は中山参与に辞意に対して慰留しなかったそうだが、家族会の落胆も当然計算した上での行動だろう。
一体、何度家族会の方々を落胆させ、地獄に突き落とせば気が済むのか?
とことん非情で冷血な男だ。
5.22日朝会談から4ケ月が過ぎ、底の浅い保守は『今までの首相が取り組まなかった問題に初めて・・・』などと小泉を擁護する論陣を張ったが、小泉が拉致問題を国交正常化の障害と位置付けて、全くやる気がないのは誰の目にも明らかだ。
先の9.17国民大集会や日朝実務協議のデタラメで俄然経済制裁がクローズアップされているが、外圧に屈して神社の参拝もできないような男に経済制裁を発動する度量があるとは到底思えない。
もはや『拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない』でも『金正日体制の崩壊なくして、拉致問題の解決はありえない』でもない。
『小泉退陣なくして拉致問題の解決はありえない』こそ真理だろう。
小鼠は、こんなに国民の反感かって、なに得るものがあるの?
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いや、「政治的理由も」でしょ。ブッシュ当選近しで、圧力か?
2004年9月30日「商業上の理由」で欧米2社が撤退発表 東シナ海のガス田開発
国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルと米石油大手ユノカルは29日、中国と共同で進めていた東シナ海の天然ガス田「春暁」開発プロジェクトから「商業上の理由」で撤退すると発表した。このプロジェクトを巡っては日本と中国が鋭く対立している。
シェルとユノカルは昨年夏「春暁」を含む東シナ海の天然ガス開発計画について、中国海洋石油総公司、中国石油化工の中国側2社と共同開発契約を結び、シェルとユノカルがそれぞれ20%ずつ権益を保有していた。
ユノカルのハンセン副社長は、同社のホームページで「過去一年にわたり調査と分析を進めたが、商業上の理由でこれ以上プロジェクトを進めないことになった」と述べたが、判断の根拠は示していない。
「春暁」は、日本が主張する東シナ海の日中中間線から数キロ中国側にあり、日本政府は日本側の埋蔵資源に開発が及ぶ可能性があるとして、たびたび抗議してきた。
中国紙が8月末に中国側がガス田と陸地を結ぶパイプラインの敷設工事を始めた、と伝えるなど工事は本格化しているとみられていた。(共同)
(09/30 00:54)
他人のコップから吸い取る「ストロー油田」ネ。
確か、いきなり支那側が、取り分割増要求もしてたけどね。
...あれは、内陸からのパイプラインでだったかw
東シナ海の中国ガス田開発、欧米の大手2社が撤退
【北京=東一真】日本が東シナ海の排他的経済水域(EEZ)の境界として主張している「日中中間線」近くで中国が進める天然ガス田(春暁ガス田群)の開発に関して、プロジェクトに参加していた英・オランダ系石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルと、米石油大手のユノカルは29日、プロジェクトへの参加を打ち切ると発表した。
中国は今後、独自にガス田開発を進めることになるが、石油メジャーの離脱で開発に支障が出ることも予想される。
シェル、ユノカルともに「撤退は商業上の理由」としている。ただ、ガス田開発が日中間で政治問題化したため、2社が日本に配慮したのではないかとの見方も出ている。
2社は昨年8月、中国国有会社の中国海洋石油総公司、中国石油化工集団公司と、春暁ガス田群の探鉱、開発、販売などの契約を結び、1年間の評価・分析の後に本格参入するかどうかを決めることにしていた。
◆春暁ガス田群=日本が主張する排他的経済水域(EEZ)の日中境界線の中国側約5キロの地点にある。中国は2003年8月にガス田の施設建設に着手した。2005年から年間25億立方メートルのガスを中国本土に送る計画だ。
鉱区が日本側にはみ出している可能性もあるため、日本政府はガス田の鉱区に関するデータの提出を求めている。
(読売新聞) - 9月30日0時33分更新
だよね。
★役人どもが、裏金よこせと、余りにもウルサイので嫌気が指したようです。中国で仕事をするには、正規の料金の2倍裏金を要求されます。頭の悪い連中が多すぎます、このまま放置していても
勝手に自滅するでしょう、中国の成長は。
(まぁ普通の商売ではそうだよね。でも国家プロジェクトだからな。やはり政治からみだろ)
★2社同時って時点でも、明らかに政治的理由だと思うが。
★日本と支那、どっちに付いて共同開発した方が得かを考えただけだろ。
★これで日独仏が同時に中国新幹線から撤退すれば完璧だな。
★賄賂の要求程度では石油会社は手を引かない。石油会社が手を引くときは、石油が出ないか、戦争があるときのみ。
★カネが合わなかったと仮定して、企業からすれば日本につくか中国につくか。普通の感覚からすれば、簡単に答えは出る。中国が日本に共同でやろうと言ったのも、カネの負担を目論んでいて中国はカネがない。
★中国が合弁事業やるときの「資本金」は多くの場合現金で出すわけではない。多くは土地や権益を金銭に換算する。
今回は、中国側6割ということだが、油田の権益(ないし推定埋蔵それ自体)をいまの石油・ガス価格を基準にかなり高めに評価し、ふっかけたのかもしれない。
そうなると、ユノカルらにとっては「商業的リスク」がきわめて大きくなる。実際ほってみて、どの程度儲かるか分からない(石油価格+埋蔵量)うえに、開発の費用にも不透明な点が多い。ましてや政治的なリスクとなると計算不能。
(これもそのとおり、だな)
★石油関係の連中って、裏じゃなんでも有りらしいじゃん
そいつらが撤退かよ。。。
★ブルームバーグ:
中国国営油田開発会社は、シェル、ユノカル抜きで開発推進と述べる
中国国営の海底油田開発会社(CNOOC)の社長は「パートナーの意思変更はこのプロジェクトに大きなインパクトは無い」と香港証券取引所で述べた。
ユノカルのスポークスマンは、伝えられる海域での中国と日本のいさかいについて質問を受けて「プロジェクトからの撤退とは無関係」と述べた。「この決定は資源アセスメントに基づくもので商業的な理由によるもの」とした。
★なるほど、連中必死だな。すべて逆さまの意味で読めばいいわけだ。こういうときに言うスポークスマンのコメントはすべて逆さまに読んだ意味が正しいと相場が決まってるからね。
★海底油田を掘るための資金力と技術力を外資に求めてたのにその外資に逃げられた。=インパクトありまくり。
★この件の主役は政治ではなく経済である。
そこはたぶん間違いない。
(そうかなぁ...)
★これだけ原油価格が上がっている時に断念するとは
よほど悲惨な数字が出たに違いない。
★(経緯)
2004年5月28日、中日新聞にて中国が東シナ海において、日中中間線ぎりぎりの海域で、天然ガスを採掘する施設建設を進めていることが報道されました。
尖閣諸島周辺を含む東シナ海一帯には豊富なガス・石油資源が存在しており、その埋蔵量は原油1000億バレル以上($39.40/バレル)、天然ガス2000億m3($6.68/mmBTU-100万英熱量単位)と言われています。
そしてこの海域の油井は中間線を越えて日本側に大きく拡がっている可能性が高いことが指摘されております。
このように資源が複数国の境界にまたがる場合、埋蔵割合に応じて関係国間で配分する必要が生じます。
配分をせず、勝手に採掘することは盗掘にあたる行為であり、中国はわざと日本との境界ギリギリに採掘場所を建設し、日本側の正当な権利までを根こそぎ奪うつもりと疑われます。
この国家の一大事に日本政府は情けないことに指をくわえて見ているだけ。
★商業的計算=それほどの量でもない
政治的リスク=日本との争いに巻き込まれる
この両者のあわせ技だろう。
★おおおおーー!このまま国連も上手く活け花ー
(金太、負けるな!...かよぉw)
★こきんとうが悪いんじゃなくて江沢民が糞すぎた結果じゃないかね今の状態は
(あったりぃ)
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原油高。気になるけど、どうなのか不明。一応備忘録的に。
2004年9月30日(NNA)2004年09月30日 香港
原油高による中国経済失速懸念=政府
唐英年(ヘンリー・タン)財政長官は28日に北京で、1バレル=50米ドルに高騰した原油価格の問題について触れ、中国本土経済が原油高で失速するようなことになれば香港経済も影響を受けるとの見方を示した。地元運輸業界は一部業者を除き、今のところ原油高に伴う新たな運賃値上げは見送っているものの、コスト上昇圧力は確実に強まっている。
唐財政長官は「香港は開放型経済で、原油相場や金利など外的要因の影響を受けやすい」として、原油相場の動きには警戒が必要との認識を表明。電力やエネルギーの面での石油依存度がそれほど大きくないことを理由に、原油高によって香港経済が直接打撃を受ける可能性は小さいとしながらも、運輸業界など一部の業界には影響があるだろうと語った。
唐長官が警戒したのはむしろ本土経済への影響だ。同長官は原油高騰がこのまま続けば、本土経済は直接打撃を受けると警告。そうなれば香港経済も間接的にある程度の影響を受けるだろうと語っている。
■銀行界「原油高は一時的」
同じく北京に滞在していた香港銀行協会(HKAB)の王冬勝(ピーター・ウォン)会長(スタンダード・チャータード銀行取締役)は、原油高騰を一時的な現象と認識。年末には1バレル=30〜40米ドルの水準に戻るとみて、香港経済への影響は大きくないと予測した。ただし仮に原油高が今後半年から1年続いた場合は、インフレや金利上昇の要因になり得るとしている。香港上海銀行の柯清輝(レイモンド・オー)総支配人も、原油高は一時的だろうとしながらも、これによって米国や日本の景気が悪化すれば、香港の輸出品に対する需要が減り、香港の経済成長は打撃を受けると予測した。
■警告の声も
香港貿易発展局(TDC)の潘永才・副首席エコノミストはやや深刻な見方をしている。潘氏は、原油高が香港のビジネスマインドと消費者マインドを冷ましかねず、輸出にもブレーキがかかり得ると懸念。プラスチックを原料としている玩具業界や家庭用品業界、化学繊維を使うアパレル産業などは、原料調達コストの上昇に直面すると指摘した。
■耐えながらも苦境の運輸
原油高の直撃にさらされる運輸業界は、苦しいながらも、大部分の業者は今のところ新たな運賃値上げの動きは見せていない。九龍バス(KMB)の陳祖沢会長は28日、原油高によって同社のコストは月当たり100万HKドル上昇したと苦境を訴えながらも、今のところは値上げは考えていないと語った。シティバスと新世界ファーストバスも、現時点での値上げは見送っている。
一方、湾仔と新界の西貢を結ぶ赤ミニバスは原油高を理由に、10月4日から運賃を1HKドル値上げすると発表。落馬洲中港貨運連合会の蒋志偉会長は、原油高によって運送業界が深刻な打撃を受けているとして、香港政府に対しディーゼル油税の廃止を要求した。
キャセイパシフィック航空と香港ドラゴン航空は、今のところ新たな運賃値上げは予定していないとしている。キャセイ航空は原油高が嫌気され、28日の株式市場では前日比1.5%安の13.1HKドルで引けた。
この、英米風ミドルネーム、ってのかな?
大連でも流行ってるみたい。
すべからく、上っ面だわな。
貧乏人の成金的消費過多?支那人は晩飯このこと(まで)しか考えてない。
2004年9月30日「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成16年(2004)10月30日
中国の大規模で壮烈な環境汚染は地球全体の脅威
米議会公聴会でE・エコノミー女史が衝撃の証言
9月22日に米国下院議会・国際委員会「アジア太平洋問題小委員会」の公聴会で証言したエリザベス・エコノノミー(外交評議会シニア・フェロー)の発言要旨は次の通り。
過去20年間に8%平均の経済発展を遂げながらも一方で凄まじい環境汚染を平行させていた中国で、同時に数百数千万の貧困層が増大していた。
環境対策の決定的な遅れは環境破壊をさらに悪質で劣悪なレベルに陥れた。
世界銀行は「世界環境劣悪度ランキング20」のうちの16が中国である、と報告した。
とくにエネルギー源の75%をしめる石炭による火力発電が大気汚染をうみ、WHOは中国の都市の三分の二が基準以下だ、とした。
(世界遺産の数ばっかり自慢しているのはおかしいぞ)。
国土の四分の一(そのうちの三分の一が農地)が汚染の被害を受け、穀物の生育、魚介類の生存にまで影響を及ぼしているにもかかわらず、自動車や工場によって酸性雨が拡がり、土壌が腐植し、森林がさらに汚染され、砂塵は遠く朝鮮半島を越えて、日本も越え、最近は米国西海岸にまで黄砂被害をもたらした。
国土の三分の一が砂漠化しており、毎年1300平方マイルが追加で砂漠化し、たとえば2002年3月の二日間だけで、北京に降り注いだ黄砂は30トンにも達した。
ひとりあたりの水の供給は世界平均の25%しかなく、しかも中国の水需要は高まる。すでに6000万人のひとびとが生活用水の確保を困難としており、7億の人民は汚染された水を飲んでいる。
にもかかわらず地下水の過剰な汲み上げと沿海部への人口の集中は、近未来の中国における水問題をさらに深刻にするだろう。
水量が豊かといわれた青海省青海湖の水位まで下がりつつけ、黄河は干しあがり、そのうえに産業廃棄物、汚水、工場からの排水が続いている(二年前に青海湖を一周したが琵琶湖の四倍、水は清澄にみえましたがねぇ)。
治水、防砂対策の怠慢で、中国はむしろ結果的に毎年平均280億ドルの工業生産を失い、洪水の被害は130億ドルに達した。
大気汚染、環境汚染などにより、人々の健康問題はさらに深刻かしており、毎年30万人が汚染などを原因として死亡している。
すでに雇用不安と水不足から2,3000万人が都会部へ移住し、かれらが都市部へ不潔な、汚染された病原菌等を運び込んだ所為か、SARSなどの奇病の蔓延もみられ、いまや中国の環境破壊、公害無策は世界的な問題となっている。
(読者の声1)備長炭の8割もが中国からの輸入だったとは、本当に意外な報道でした。
備長炭は楽器にもなるほどの硬質炭で、弘法大師以来、紀伊半島や四国が特産地で、原料のウバメガシは温暖な海岸沿いの山野に自生する堅木です。国内で一般販売されている備長炭に「中国産」の表示はなく、業務用にだけ中国産が回っていたのでしょうか。
それにしても、中国がまさか「環境保護」を名目にして備長炭(堅炭)の輸出禁止策をとるとは二重の驚きです。真相は何なのか今後の動きを見たいとおもいますが、先生が仰言るように輸入の一国集中は何につけても危ういことですし、国内林業の荒廃対策が断然必要です。
実は昨日、そのニュースに接してから近所の花屋で神棚に祀る榊(さかき)を買い求めました。いつもはスーパーなどで買っていてまったく気づかなかったのですが、花屋では「国産250円」「中国産105円」となっていたので驚き「えっ?榊も中国から入っているの?」と聞いてしまいました。見分け方を教わりながら〈そうか、だから最近の榊はすぐ枯れてしまったのか〉と知り、国産の榊の流通が少なくなった事情も知りました。ヒサカキでもなく、中国榊は似て非なるものといったほうがよさそうです。
私事ながら、その昔、新自由クラブの旗揚げ(76年)で政策綱領を作ったとき、愛知県から地方政策委員の末席に参加し、「後継者不在で荒れ始めた森林を公共財として取得し、林業から国土つくりを学ばせるため半年間程度、森林に学び働くことを大学進学希望者には義務付けよう」と提案したことを思い出しました。
森林の荒廃と教育の荒廃とに対応する一挙両得の政策と自画自賛しましたが、選挙を控え公約にも綱領にも入れられませんでしたが。。。
(HS生、豊橋)
(宮崎正弘のコメント)榊木も中国産が主流ですか? それじゃ靖国神社の榊木も?まさか、ね。
ともかく林野庁行政も深刻な問題です。森林資源が手入れもされずに放置されたのは外国から安い木材が輸入されているからです。国内産業保護ではWTOは通りにくい論理ですが環境保護の補助金は国際的にも理解されやすいと思います。
パルプ、製紙はともかく家具、割り箸、高級建材はもっと国産品愛用キャンペーンの必要があるのではないでしょうか。
(読者の声2)備長炭の記事に絡んで思いだしたのは梅干です。
現在、国産物は市場に出ている半分未満で、大半は輸入物です。そして現在、梅の輸入先は100%支那なのです!
十数年前までは輸入先は台湾でしたがコストが高くなってきたため彼らが支那大陸に進出してそこから安価な原料を日本に輸出するようになりました。御指摘の通りカントリーリスクの観点から供給地の分散化は喫緊なのです。
SARSが起こった昨年はベトナム・タイ・ビルマなどに供給体制を整えるチャンスでした。
しかし喉元過ぎれば熱さを忘れ、SARS治まれば目先の安さに目を奪われて他国に供給基地を設ける労を厭っているのです。
いい機会ですから(笑)、本サイトをチェックしている支那当局からこの事実を中南海の上層部に伝えてもらい備長炭と同様の処置を講じてもらいましょう。
現在供給過剰で過去3年、支那の農家は安値に晒され塗炭の苦しみをしております。梅の木を剪定する意欲を無くし、農薬を使う金もありません。輸出禁止はその農家を崖から突き落とし死に追いやることになります。
共産党幹部はそんなことは平気でしょうが(嘲笑)、外貨を稼ぐ重要産品であり農園を荒廃させるだけですから輸出割り当て制度がいいでしょう。
国内では輸入品が供給過剰気味ですから末端での値上げはあり得ず日本の消費者は困りません。シナ政府様、ヨロシクオネガイシマス。
(しなの六文銭)
(宮崎正弘のコメント)そういえば備長炭も梅干しも和歌山の特産品ですよね。和歌山経済復興の道筋がみえた?
もっとも今回の唐突な禁輸措置は、政治的な裏がありそうです。小生も、もちろん、調べますが、貴兄の豊富な情報網からもお調べ下さい。
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あらま、こりゃおめでとさんです。
2004年9月29日(西部日刊スポーツ新聞社)04年9月23日
高市早苗前議員が結婚
昨年の衆院選奈良1区で落選した高市早苗前衆院議員(43)と福井2区選出の山本拓衆院議員(52)は22日(月曜日)、都内で開かれた自民党森派の会合にそろって出席し、17日(金曜日)に婚姻届を出したことを明らかにした。
高市氏の落選後、山本氏が高市氏の弟を公設秘書に雇い入れたことをきっかけに本格的な交際が始まったという。高市氏は、議員時代に自民党内でも有数の「夫婦同姓」論者として知られていたが、政治活動上の名前については「今後、検討する」という。
高市氏は「(政界復帰を目指して)奈良で生活するので、当分は別居生活に耐えないといけない」。山本氏は「こわもてのイメージを持っていたが、落選後に会うと女性らしさを感じた。そのギャップにひきつけられた」と語った。
まぁ、尻に敷かれないょぅ...
他人のことは言えない立場では、ありました。
いぁぁ、たまたま我が家と同じ年齢構成でございますんでネ。
辛いぞぉw。
「ギャップに魅かれた」、とかいう感想もなんとなく似てるしな。そのうちすぐ、本性一本槍になるんだけどさ。
政治家は、精力的(タフ)だろな。んじゃ、ぇぇでしょ。
...山本 拓 ≒ 山崎 拓(ヤマ・タフ)w
んじゃ、だいじょぉぶだ。
へんたいは、真似ないように。すぐ離婚、「され」ちゃうから。
夫婦同姓論者とか書いて、多少皮肉めいた感じ出してるようだが、たしか「戸籍上は唯一姓、婚前姓を免許証に表示でくるようにするなど、婚前よりの周知性から婚姻後も引き続きそれを使用することが必要な職などについている場合は認める」ような制度提案してたと思うけど。
現時点では、無理だろうけどね。せいぜい「通称」(外国人の場合の)と同じ扱いかな?
公職選挙法上は、どうだったっけ?
高市元議員への、例の田原の無礼な発言のあったサンデー・モーニングは実際見てたけどさ。この人、全然ぶるってなかったもんな。あんなムサイおやぢにすぐ隣で、カメラ正面から写されてて突然前後の脈絡もなく罵倒に近いこと言われてだけどね。
カッカきちゃうとこだけどね、普通は。それが取り乱した印象与えて、議員不適格なんてな宣伝でもする魂胆だったのかもしれないナ。
まったく見事な切り替えし、ではありましたですね。その後のすぐの「反論と問詰め論文」を(正論だったかな)公表して、それも読んだけど全く素晴らしいできだったな。
もう田原のおやぢはひたすら謝罪するだけ。ふんぞり返って虚勢張ってたけど、大敗は誰の目にも明らかだったもんだ。他も武勇伝ありそうだな。
福岡じゃなくって福井のヤマタフ(・ジュニアw)、頑張れヨ。
しかし、女性は43歳で初婚でも別に違和感ないけど。野郎は52まで独りもんで、これが初婚ってぇこたぁねぇだろな。返って心配してしまうけどね、そんなだと。余計なことだけどさ。ヤマタフ・シニアのようでは、こりゃまたこまるんで...。松下政経塾出身大臣はこの人かなと思っていたからさ。今回別人がトップ切ったけど、この人はこのままじゃないでしょ。眞紀子なんかとは、器がちがわぁ。
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