サハリン残留朝鮮人についての備忘録
2004年8月20日
(極東ブログ by finalvent)コメント
サハリンの残留韓国人問題に関しては「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか」新井佐和子・草思社がベスト。
「日本が韓国人を強制連行して置き去りにした」という通説にそこはかとない違和感を感じる人が読むと、得心する点が多い。
なにより帰還運動に生涯を捧げた朴魯学氏の同胞愛には敬服する。余力があれば「サハリンからのレポートー棄てられた朝鮮人の歴史と証言」朴享柱・御茶ノ水書房もどうぞ。こちらは当事者による迫真のレポート。
ちなみに帰国できなかった原因は
ソ連が帰国運動を反ソ運動とみなして抑圧した。
北朝鮮が対立している韓国への帰国に強く反対した。
韓国が共産圏からの帰国の受け入れに消極的だった。
在サハリン・コリアンが立場の違いによって対立していた。
日本が日本人の帰国が反故になることを恐れて積極的に韓国
人の帰国を求めなかった。
広い意味で冷戦の犠牲者といえる。
投稿者: takeshi (8月 19, 2004 05:51 午後)
「潮」(潮出版社)2002年9月号
【特別企画】「戦争」を語り継ぐ
サハリン残留韓国人たちの癒えない傷。 粟野仁雄(ジャーナリスト)
戦前、強制連行などで樺太(サハリン)に渡り、半世紀間故国に帰れなかった人たちのうち約1500人が韓国に永住帰国した。
(中略)
1945年のソ連軍侵攻時に樺太にいたおよそ30万人の日本人のほとんどは帰国したが、日本政府は、戦時中「皇国臣民」として日本語まで強要した朝鮮半島出身者の4万3000人を「日本国籍がない」と置き去りにした。大半は半島の分断後でいう「南」の出身者。冷戦でソ連と韓国に国交がなくなり、彼らは半世紀にわたり肉親と生き別れた。
(中略)
仁川にある療養院を訪ねた。99年に日本の支援金で完成した、帰還者が余生の最後を過ごす施設といってよい。
(中略)
道案内や通訳をしてくれた李周雨さん(68歳)が意外なことを言った。
「この問題は戦後、サハリンから外へ出さなかったソ連政府が悪いんです。決して日本の責任ではない。戦争に負けて逃げて帰るのに韓国人のことなど考えられないでしょ。それに強制連行なんて嘘ですよ。商売や募集で渡った人がほとんどです」
さらに、
「韓国政府は反日感情を煽るために利用しているだけで何もしない。帰れるようになった功労者はペレストロイカ、そして私たちのために尽くしてくれた日本です」
以上、拾ってきたものです。
ともあれ創価学会系の潮に、「強制連行は嘘」「ソ連が帰国させなかった」「韓国は反日感情を煽るために利用している」「ペレストロイカと日本に感謝している」とあるのに、?です。
しかし徴用を否定し強制連行と主張する公明党・創価学会系の潮の記事であることを考えれば、これは正しいのではないでしょうか。
投稿者: bonbon (8月 19, 2004 09:10 午後)
値下げ禁止=共倒れ(いつものパターン)防止。でも抜け駆け
2004年8月20日(NNA)2004年08月20日 中国
乗用車に値下げ禁止令[車輌]
大手自動車メーカーが今月に入り、共同で車種ごとの標準価格帯を制定していたことが19日までに明らかになった。
ディーラーに対し独自の値下げを禁止するよう命じるもので、違反者への罰金や自動車の供給停止などを盛り込んでいる。これまで続いた値下げ合戦に急ブレーキをかける形だが、自動車消費の鈍化が表面化する中での突然の措置に、ディーラーの多くは頭を抱えている。
19日付中国紙「21世紀経済報道」によると、これまでディーラーに対し独自の値下げを禁じたメーカーは東風シトロエン、上海大衆(VW)、上海通用(GM)、北京ジープ、長安フォードなど。
日系メーカー数社の名もある。
ほとんどのメーカーが違反したディーラーに罰則を適用。
1万元単位での罰金を徴収したり、人気の高い車種の供給を停止するなどの厳しい措置を採っている。中には独自に2,000元の値下げを行ったために、商品の供給を完全にストップされたケースもあるという。
あるディーラーは「ただでさえ売れ行きが落ち込んでいる昨今、罰金まで徴収されてはやっていけない」と頭を抱える。これまで薄利多売を柱に商品をさばいてきたディーラーの多くが、今回の値下げ禁止で新たな道の模索を迫られている。
■「買い控え」「利潤低下」対策
4月からの消費の鈍化を受けて、メーカーの在庫はここ数カ月で急増。国家発展・改革委員会経済運行局によると、今年上半期(1〜6月)の自動車の在庫台数は11万8,000台。このうち乗用車は10万5,000台に達している。
これまで一貫して値下げを容認、在庫一掃を図ってきたメーカーが、ここにきて突然の値下げ禁止に踏み切ったのは、相次ぐ値下げにより混乱している市場価格の統制が目的とみられる。
値下げ合戦が消費者の「まだ下がる」という心理を呼び起こし、結果的に買い控えや利潤の低下につながっていることから、価格を一度振り出しに戻そうという考えだ。
■ディーラーの整理・買収も?
一方でディーラーの間には、今回の措置について「メーカーがディーラーの整理と買収を目的に進めている」とする声もある。
上海のあるディーラーは「消費の鈍化と今回の措置で資金繰りに詰まり弱体化したディーラーを、直営店の少ないメーカーが安値で買収、販売ルートを確立するのが目的」と分析。すでに広州や北京、深センでは一部のディーラーが店舗の売却を始めているという。業界関係者は「店舗売却に踏み切るディーラーは、全国で合わせて100社に上る」と試算している。
■短期的との観測も
ただ業界内には、今回の値下げ禁止を一時的なものとする見方も多い。12日には値下げ禁止を唱えていたはずの北京ジープがSUV「アウトランダー」2種の価格を1万5,000〜1万6,000元引き下げるなど、メーカーの中にも矛盾した動きが出始めている。
上海のあるディーラーは「以前は携帯電話や家電製品でも同様の動きがあったが、数カ月で終わった」と述べる。メーカー主導の仕切り直しがこのまま続くのか、それともなしくずしに元の状態に戻るのか、今後の展開が注目される。
携帯・家電は、どん詰まりだけどな。
月収3,000元(39,000円)の世界
2004年8月19日(NNA)2004年08月19日 中国
平均給与やや上昇、深センでは下落続く
人材仲介・職業斡旋(あっせん)サービスのネットサイト中華英才網は先ごろ、上半期(1〜5月にデータ収集)の給与状況に関する調査結果を発表した。平均年収は3万5,921元。
(年収47万円。
単純に12で割った月収2,993.4元=38,914.41円!)
下落傾向にあった昨年下半期(3万5,333元)の前回調査の水準からは持ち直したものの、中・高所得層でも給与の伸び幅は小さく、労働者にとっては依然として楽観できない状況が続いている。
都市別で見ると、平均年収のトップは上海の4万7,634元(月収51,603円)で、やはりトップだった前期の4万7,279元よりわずかに増加した。
2位は北京の4万4,626元(前期は4万3,728元)、3位は広州の3万9,471元で、どちらも前回並みの水準を保持した。
一方、2002年上半期にはトップに立っていた深センの給与下落が止まらない。今期は3万9,305元で4位となり、4万2,252元で3位だった前期からまた1つランクを下げた。
中華英才網は、深センではここ数年、◇上海、北京に比べ、大型プロジェクトの進行が頭打ちの状況にあり、固定資産投資の規模縮小を招いている◇不動産投資による金融リスクの増大で、バブルの危険性をはらんでいる――ことなどが、同市のホワイトカラーの給与にも影響しており、当面は改善の兆しがないと分析している。
■インターネット業界は復調
業種別では通信が年収4万8,958元と、2位の医療設備(4万5,204元)を約10%上回ってトップとなった。
前回は13位と大きく落ち込んでいたインターネット・電子取引が、約3,000元アップの3万8,390元と持ち直し、10位まで順位を上げた。
企業の経営形態別に見ると、外資独資企業の平均年収が4万7,585元で最も高く、2位以下の合弁企業(4万1,330元)、国有企業(3万3,351元)を大きく上回っている。
外国語レベルも高収入獲得の大きなポイントとなっている。外国語能力が「熟練レベル」と答えた人の平均年収は5万3,151元に上っており、前回調査から2,000元近くの伸びを示した。「中程度」とした回答者の年収は3万7,713元、「普通」では3万57元となっている。
■転職者の多くは給与2倍に
今回の調査では、現在の給与について「不満」という回答が55%以上に上り、「満足している」の1.05%をはるかに上回った。労働者の多くが、転職することによって給与アップを狙う状況を裏付けた。
転職によって給与がアップしたという回答結果を分析すると、平均して前職の2.16倍の給与を手にすることに成功しているという。
大連での印象は...
通信関連日系独資の日本語熟練者(能力試験一級合格程度)。
具体的には、大連理工大でて、日本語マスターした連中。
それで日系企業就職、が憧れのサラリーマンてなわけね。
こういう連中向けに、60平米程度(狭いw)の家具付きマンションが、市中心部の登場したね。60平米でも、ベッド生活だし応接セット必備にでかいプロジェクターテレビも必ずと言っていいほど入れるので、まずギチギチてな感じだな。
押入れなんてないし、削るのはキッチンとトイレのスペースと、お風呂はシャワーのみとなるな。実際見た100平米マンションのキッチンの狭さとシャワー室の不自然な造りには、見た目重視ありあり(部屋数3つ)で入居後の生活の不便さがすぐ想像できたな。
これが60平米となると、2部屋に応接室だろうから玄関なんてなしね。するとモダンな都心マンションのドア前に靴がぞろぞろてな景観となるてなわけだな。
ハーバービューで外国人(その他外省人にも)人気あるらしい「海昌欣城」てな集合マンションの一番値段が高い棟を見てきたけど、各階2部屋でエレベーター2基だから実質上専用エレベーター付きのような体裁なのだが、その豪勢な玄関脇に甕が置いてあったよ。聞いたら韓国人実業家のお宅らしく、キムチを公共スペースのはずのエレベーターホールに何ケも置いて自家製キムチを製造中であらせられるらすぃ。
その2基のエレベーターは毎日その階停止のたびに「ぇぇかほり」のっけて上下してるらすぃ。
昨日は麗都花園てなマンションにお邪魔したが、ここはロシア人が多いらしいね。その日常の情報はまだないけど...。
こりゃ小鼠末期症状か
2004年8月19日
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成16年(2004)8月20日(金曜日)
(略)
(読者の声1)西尾幹二先生のホームページに次の指摘があります。
「“5・22訪朝”に同行した外務省の藪中アジア大洋州局長が、昼前後に、突然、うわずった声で東京の細田官房長官に国際電話をかけてきたという。藪中局長は会談が一時間半ほどで打ち切られ、金正日が席を立って出ていったことを伝えた。細田長官が「君たちが同行していながら、何でそんなことをした」と叱責
すると、藪中氏は「私たちにも止めることができない状況があったのです」と答えたという。
なかでも問題となったのは、その後の小泉首相の行動である。席を立たれたので慌てて後を追った小泉首相は、金正日から「二人だけなら十分だけ話す」といわれ、別室に二人だけで入っていった。他に入ったのは北朝鮮側の通訳だけで、外務省の人間は同席できなかったと伝えられている。
もしこの報道が正確なら、この間、両者の間でどのような会話が交わされたのか、話によっては、欧米では「国家への反逆(裏切り)」の嫌疑さえ云々されよう。そこに”空白の十分”が生まれたわけで、まさに「金丸訪朝」と同じパターンである。場合によっては小泉首相に何か個人的な「弱み」があって、それを持ち出された可能性も考えねばならない。これはとうてい、民主主義国の指導者がなすべき外交ではない。
本来ならば、首相が最後の一線を越えそうなときは、外交官が体を張っても止めるものである。それでも止められなかった場合(いわば「殿、ご乱心」の状態だったのかもしれない)、法的訴追をしたり、告発したりする。イギリスの監視機関もそのためにあり、”空白の十分”をつくってしまった日本は、国家として
のギリギリの安全装置も機軸も失ってしまったのである」。
これは極めて重要な情報と思われますので、多くの人達に知っていただきたく回覧をお願いする次第です。
(YG生、東京都)
(宮崎正弘のコメント)
じつは二ヶ月以上も前に、このはなし、西尾先生から直接聞いておりました。
それから小生、二回ほど中国取材にでてしまったので留守が多く、その間に多くの人がご存じだと思っていたのですが、日本のマスコミは黙殺したのですね。あの「空白の10分間」のことを。
昨晩も或る会合で、日本の錚々たる人達に上記の事実経過をはなすと、誰も知らない。
「え。空白の10分。え。通訳なし?それって外交のイロハを知らない」と一様に怒りの反応でした。
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なんだってぇ!「小鼠金豚空白の10分」
2004年8月19日
(西尾幹二のインターネット日録)
http://blog.livedoor.jp/nishio_nitiroku/
2004年08月17日緊急公告
――ご存知のかたは質問にお答えください――
中西輝政氏が『Voice』8月号にお書きになった小泉首相再訪朝時の、金正日との会談における「10分間の空白」を、私はいま大変重大視し、目下その関連の論文を執筆中です。以下に中西氏の『Voice』8月号の論文「小泉首相の退陣を求める」91ページから必要な個所を引用します。
=================
報道によれば、ごく最近に明らかになった話として、「5・22訪朝」に同行した外務省の藪中アジア大洋州局長が、昼前後に、突然、うわずった声で東京の細田官房長官に国際電話をかけてきたという。藪中局長は
会談が一時間半ほどで打ち切られ、金正日が席を立って出ていったことを伝えた。細田長官が「君たちが同行していながら、何でそんなことをした」と叱責すると、藪中氏は「私たちにも止めることができない状況があったのです」
と答えたという。
中でも問題となったのは、その後の小泉首相の行動である。
席を立たれたので慌てて後を追った小泉首相は、金正日から「二人だけなら十分だけ話す」といわれ、別室に二人だけで入っていった。他に入ったのは北朝鮮側の通訳だけで、外務省の人間は同席できなかった
と伝えられている。
もしこの報道が正確なら、この間、両者の間でどのような会話が交わされたのか、話によっては、
欧米では「国家への反逆(裏切り)」の嫌疑さえ云々されよう。そこに”空白の十分”が生まれたわけで、まさに「金丸訪朝」と同じパターンである。場合によっては小泉首相に何か個人的な「弱み」があって、それを持ち出された可能性も考えねばならない。
これはとうてい、民主主義国の指導者がなすべき外交ではない。
本来ならば、首相が最後の一線を越えそうなときは、外交官が体を張っても止めるものである。それでも止められなかった場合(いわば「殿、ご乱心」の状態だったのかもしれない)、
法的訴追をしたり、告発したりする。
イギリスの監視機関もそのためにあり、”空白の十分”をつくってしまった日本は、国家としてのギリギリの安全装置も機軸も失ってしまったのである。
=================
中西氏にお尋ねした処、情報の出所は二つあります。一つは外国人の外交筋です。日本がどのくらい情報を知っているかを試す意味と、日本に親切に警告する意味の両方があったように思うと氏は私に語りました。
もう一つの情報は
テレビ朝日の5月24日か、25日か26日かの、ニューススクランブル(正午12:00〜)
で自明のこととして語られていたのを中西氏がメモしたのを基礎にしている。従って、氏は「空白の十分間」は誰もが知っている明白な事実と思っていたそうです。
しかし、何日経ってもこれが重大ニュースになりません。それどころかマスコミの表からはいっさい消えてしまいました。5月25日か26日かを境にまるで雲がかき消えるように消滅してしまったのです。不思議でなりません。私が報道関係筋に聞いても知らぬ存ぜぬです。官邸筋の秘匿意図が働いているのかもしれません。それほど重大な事柄なのでしょう。
以下のことでご存知のかた、至急Commentsに書きこんで下さい。
「10分間の空白」について
1)テレビで聞いて自分も知っている。
2)そのときのビデオを持っている。
3)中西氏以外のなにかで別に読んだ記憶がある。
4)そのときの関連の活字をもっている。
5)その他
ご協力をよろしくおねがいします。
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8月10日、林健が死んだか。
2004年8月18日東大紛争収拾に尽力、元学長・林健太郎氏が死去 91歳
元東大学長で元参議院議員の歴史学者、林健太郎(はやし・けんたろう)氏が十日午後一時五十分、心不全のため東京都杉並区善福寺一ノ二九ノ二三の自宅で死去した。九十一歳。東京都出身。告別式は九月十三日午後三時から東京都港区芝公園四ノ七ノ三五、増上寺光攝殿で。喪主は長男で三井不動産副社長、洋太郎氏。
(08/17 05:00)
産経抄(2004/08/18)
▼九十一歳で世を去った元東大学長で元参院議員の歴史学者・林健太郎氏の人生を一言でいうとすれば“複眼の信念居士”か。筋金入りの保守の論客だったが、その筋金は保守とリベラルの“合金”のように出来上がっていた。
▼林さんは近現代史教育における日本悪玉史観を是正する「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者だったが、それでいて大東亜戦争肯定論を批判した。「アジアを解放した有意義な戦争だったという気には到底なれない」と、『正論』誌上で中村粲(あきら)氏と大論争をやったりした。
▼昭和四十三(1968)年の東大紛争(メキシコ五輪の年である)では文学部長として全共闘の学生たちと団交、百七十三時間に及ぶカンヅメでも要求を拒否。あきらめた学生が“解放”した直後に倒れ入院、というがんばりはいまも語り草だ。
▼『諸君!』の平成三年十一月号でソ連共産党解体を受け、「『ユートピア』の葬送」と題する鼎談(ていだん)を猪木正道、武藤光朗氏とやっている。林さんは口火を切って「たいへん感激しました。それで歌を詠みました。『御民われ生ける験(しるし)ありベルリンの壁毀(こぼ)つ日に遇へらく思へば』と」。
▼猪木さんがハハハ、平成万葉集に入りますねと笑うと、「そこで今度は『御民われ生ける験ありクレムルの邪(まが)つ神堕つる時に遇へれば』としました。私はこれまでマルクス主義はよくないと言っていたけれど、こんなふうにうまく倒れるとは。感無量です」。
▼しかしそういう林さんも「若き日は『改造』という雑誌のソ連五カ年計画特集を読んでマルクス主義に本気でかぶれたんです。人間解放という新しい宗教の独自の理論にやられて…」と語っている。若者がそういう思想の洗礼を受けた時代は、いまや確実に過ぎ去った。
過渡期の人だったよな。
若いときに入った考えは、すっかり拭い去るのは難しい。
せいぜい「修正」止まり。
文学部の吊るし上げのとき、三島由紀夫と阿川弘之が応援に駆けつけようとしたら断ったエピソードを読んだことがあるな。そのとき三島は鉄扇もっていったんだった。
このとき、林と三島・阿川なんてまるっきり反対、でもないがそういう考えの違いあっても、「あいつは根性がある!」みたいな価値観で同窓生(3人とも東大。文学部国文学と西洋史学、法学部)の難儀に個人として馳せ参じたんだもんな。
(偉人データベース)
●歴史学者
一九一三(大正2)年東京都生れ。東京帝国大学西洋史学科卒。一高教授、東大助教授を経て、同大教授、同大総長。参議院議員にも。現在東大名誉教授。
ドイツ近・現代史を専攻。最近は、村山政権の成立直後に、この政権を「五五年体制の延長」とする考え方に疑義を呈し、「ここに現れた事態は新しいものである」と断言。
また、戦前の歴史について「不戦条約」や「満州事変」の評価について、小堀桂一郎氏、中村粲氏などと論争。
戦前の不戦条約は一定の評価をすべきものであり、満州事変および太平洋戦争は侵略行為であることを認めるべきだと、「歴史の事実」を強調する立場をとった。
六九年の東大紛争のさい、学生によって軟禁されたが、一歩も引かず、むしろ立場を超えて敬意を集めた。いまも堅固な姿勢と洞察力は衰えるところがない。
ご冥福をお祈りいたします。
韓国の一人負け?大陸全体の生産過剰?
2004年8月18日(NNA)
2004年08月18日 韓国
車の対中輸出が急減、緊縮政策で
中国の緊縮政策による消費の鈍化や原油高で、韓国企業の対中国輸出が打撃を受けている。中国を主要拠点とする現代・起亜自動車、GM大宇の7月の対中輸出は、前月に比べ大幅に落ち込んだ。また、掘削機メーカーも中国建設市場の委縮で苦戦を強いられている。
■低調な自動車・掘削機
現代自の7月の中国販売は1万1,080台で、前月比7.7%減少した。中型車の需要が落ち込み、「EFソナタ」の販売は2,056台と今年1月の半分水準に。同社は新型「ソナタ」の投入を急ぎ、現地合弁法人の北京現代自と共同で攻撃的マーケティングを行う計画だ。起亜自は「千里馬」のライバル車種が価格を引き下げたことにより、7月の販売は前月比56.0%も減少。こうした動きに、現代自は「EFソナタ」、「エラントラ」の販売価格を平均5%引き下げた。
KD(現地組立生産)方式の半製品輸出に注力するGM大宇も、現地で組立を請け負う上海ゼネラル・モーターズ(GM)が夏季休暇に入ったことが響き、7月の輸出が前月比56.3%減少した。中国の自動車市場は、今年3月をピークに減少し続けている。
掘削機メーカーも打撃を受けている。中国内の建設市場が冷え込んでいる上、金融市場の委縮で割引販売が難しいためだ。
緊縮政策の発表後の5〜7月、現代重工業と大宇総合機械の中国での掘削機販売台数は合計1,438台。前年同期(3,170台)に比べ54.6%減少した。月間販売台数も、5月(648台)、6月(432台)、7月(358台)と悪化の一途をたどっている。掘削機メーカーは今後、営業重点地域を上海など東部からハルビンなど東北部や西部の地域に転換し、新規顧客開拓の発掘に力を入れる方針だ。
■携帯は「無風状態」
携帯電話や鉄鋼分野は、緊縮政策の影響をまだ受けていない。情報通信部のまとめによると、7月の対中国携帯電話輸出額は3億6,000万米ドルで、前月(1億8,300万米ドル)の2倍近くに増加。これは、中国政府が情報技術(IT)業種の育成のため、特別な制裁措置を取っていないことが理由だ。携帯電話の輸出には今後もそれほど影響はないとみられる。ただ、中国内でノキアやモトローラとの価格競争が激化しているのが、下半期の不安材料だ。
(NNA)
2004年08月18日 中国
5年間は40%成長へ、自動車電子部品市場
自動車産業の拡大にけん引される形で、自動車用電子部品市場が急成長している。今後も大手海外メーカーの中国進出などに伴い電子部品市場も拡大するのは必至。3〜5年間は40%以上の成長を維持、市場規模も来年には3,000億元に達するとの見方も出ている。経済発展の象徴ともいわれる中国自動車産業だが、関連業界の電子部品業界が「隠れた花形産業」として注目を集めるのは間違いなさそうだ。17日付中国証券報が伝えた。
■来年には3,000億元の規模に
自動車用電子部品は、GPS(全地球測位システム)、カーオーディオ、通信機器などの車載機器と、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)、ECU(エンジン制御コンピューター)などのコントロール機器――の2種類に大きく分けられる。
中国国内では誕生してまだ約10年の新興産業だが、ここ数年で急成長。2003年の生産額は313億元と初めて300億元を突破、02年比で41.5%増と急伸している。現状のまま発展が続けば市場の規模が05年には2,500億〜3,000億元、2010年までには3,000億〜4,000億元に達するとの予測もあり、注目を集めている。
■天津、深センの急伸目立つ
メーカーが集中しているのは
◇長江デルタ地域
◇珠江デルタ地域
◇環渤海経済圏
◇大連、瀋陽を中心とした東北経済圏
―の4地域。都市別では自動車産業の拡大を受けて天津(生産額約50億元)や、電子部品の生産で優位に立つ深セン(生産額約30億元)の好調ぶりが目立つ。
今年上半期には全国のメーカー数が1,000社を突破。なかにはカーオーディオの航盛電子、香港H株上場も果たした自動車診断機器の深セン元征科技、GPSの華強信息など、すでに「大手」として認知されているメーカーもあり、市場の基盤は完成したといえる。市場調査の賽迪顧問は、今年の自動車用電子部品生産額は450億元、05年には650億元に達すると試算、今後3〜5年は40%以上の成長が持続すると予測している。
■発展をけん引するモータリゼーション
昨年の中国の自動車生産台数は439万台。生産・販売率は100%を超えた。
今年4月からは消費の鈍化がみられるが、今年上半期(1〜6月)の自動車販売台数は昨年同期比24.2%増の255万3,600台、うち乗用車販売台数は31.6%増の113万2,000台と、02年、03年には届かないものの、ともに20%以上の伸びを維持している。
急激に進むモータリゼーションが車体の電子化を後押しし、自動車用電子部品の急成長をけん引している形だ。また先に発展を遂げていた電子情報産業が、電子部品の進化に応えられるだけの能力を有していたことも大きい。
一部の業界関連機関は、第10次5カ年計画(2001〜05年)末期、自動車用電子部品が自動車1台あたりの生産コストに占める割合は32%まで上昇すると予測。エアバッグの年産量は50万〜100万台、ABSは50万〜100万台、EFI(燃料噴射制御装置)は100万〜150万台まで拡大すると試算している。
■政策も後押し
国家発展・改革委員会は、6月に発布した自動車産業発展のガイドライン「汽車産業政策」の中で「自動車用電子部品の研究・開発(R&D)と生産を支持する」ことを明記。また信息(情報)産業部も、自動車用電子部品産業への資金提供に加え、ECU、カーオーディオ、自動車用半導体など6製品の発展を重点的に進めていく方針を明らかにしている。多くのバックアップを受けた自動車用電子部品産業の成長はまだしばらく続きそうだ。
人民共和国で、(出稼ぎ者)労働運動発祥。あっちを立てればこっちが立たず。
2004年8月17日2004/08/17 (産経新聞朝刊)
【中国暗影 成長の大矛盾】(7)
民工の反撃 待遇改善へ労組も誕生
中国経済を下支えしてきた農村の出稼ぎ労働者(中国語で「民工」または「農民工」)が、都市に大量流入する現象を「民工潮」と呼ぶ。民工を使って加工貿易で急成長してきた南部沿海地方で最近、民工の深刻な不足を意味する「民工荒」という言葉が登場した。
世界の市場を席巻した衣料品、玩具、履物、日用雑貨など安価な軽工業品製造の最大の基地は広東省の珠江デルタ地帯だ。二十万以上の加工工場が密集しているが、その中心地の一つ東莞市だけで、数十万人もの民工が不足と伝えられる。
時事問題週刊誌「新聞週刊」によると、中国労働力市場情報ネット観測センターの報告書では、今年四−六月(第二・四半期)、江蘇、浙江、福建、広東各省の十二市で、計百八万人の求人に対し、七十万人しか集まらなかった。影響は外資系にも波及、深セン市の台湾系企業でも不足率は平均30−40%という(「経済参考報」紙)。
改革・開放路線の開始以来、初めての「異常事態」の主因は、過酷な労働条件にある。「新聞週刊」誌は、毎晩十二時まで働いて月収が六、七百元(一元=約十三円)とか、月二百時間の超過勤務といった東莞市の例をルポ。低賃金、重労働に加え、社会保障はなく、経営者から侮辱や暴行を受けることも多い。
政府当局の調査では、珠江デルタの民工の平均月収は過去十二年間に六十八元しか増えず、八百元以下が半数を占める。収入には労働法の規定(月三十六時間以内)を上回る超過勤務代も含まれ、それを除くと、広東省の最低賃金制(二百八十−五百十元の七段階)ぎりぎりの水準という。
こうした低賃金が一九八〇年代以来続いてきたのは、民工の数が絶えず増え、経営者側が民工の弱みにつけ込んできたことによる。例えば、
新規雇用者に超低賃金の試用期間を設け、満期前に解雇して、新規に雇用というサイクルを繰り返す
のも常套(じょうとう)手段という。
情報化の時代、民工たちがこんな待遇に屈従しているはずがない。民工たちはより条件のいい職場や他地区への移動を始めた。民工が就業先を選別する時代への移行だ。それと同時に、より重要な動きが始まったと「新聞週刊」誌は伝える。
東北部最大の工業都市、遼寧省瀋陽市で今年、「農民工工会(労組)」が誕生し、六月末現在、四千五百人が加入し、執行部も選出した。既に民工百人あまりへの未払い賃金約三十五万元の回収に成功したという。
(ここで造られてて社長連中は普通に乗ってるアウディー一台40万元なんだよなぁ。この比較しようもない格差ね。一人当たりの未払い賃金って3,500元=45,500円でしょ。それでも多分4・5ヶ月分未払いだったわけで)
未払い賃金の回収や労災補償を求めたり、女子民工への性的暴力など経営者の不当行為に抗議する民工の集団争議は近年、頻繁に発生し、しばしば街頭デモに発展している。しかし本格的な組織化は、瀋陽が初めてとみられる。
本連載三回目で紹介した中国社会科学院社会研究所の近刊「当代中国社会流動」は、民工の動向に関する調査に基づき、重要な結論を下している。それは民工を「新労働者階層」の出現と規定し、「その集団意識と権利意識が強まり、組織化への動きが高まっている」というのだ。
従来の定義では、民工とは都市部に出稼ぎに行く農民を指すが、同書は郷鎮企業と呼ばれる地元農村の小規模工場などで働く農民も広義の「民工」に加え、総数は二億一千万強と推定。
民工は戸籍上の農民に分類されることで、低賃金に加えて労働法など法的保護の対象外になっている。
全国人民代表大会(国会)常務委員の鄭功成・中国人民大学教授は、別の角度から民工を含めた低労働力コスト政策に反対している。
労働集約型の加工貿易に依存し、技術への投資をほとんどしていない現状では、中国産業の国際競争力は失われるというのだ。
珠江デルタ地区の輸出総額の72%は、加工貿易が占める(二〇〇三年)。国際市場での競争の前に、加工業者は国内の激烈な競争に打ち勝たねばならず、そのためには、民工の低賃金を維持しなければならない、と経営側はいう。
しかし胡錦濤政権はすでに、民工の待遇改善に向けた措置をとりつつあり、中国の労働力コストが今後高まるのは確実だ。さもなければ、総労働力の三割を占める民工の組織的な反抗を抑えられなくなるだろう。(北京 伊藤正)
聞いた話でも、確かに労働条件が極端なようだ。
平均2000元の月給を3500元3年間保証するが、それ以内に自己都合退社の場合は労働していない残期間労働者が分支払うこと、とかね。おまけに1年単位の見直しあって下がることがあるとかさw。労働者が主権者の体制での搾取ってんだから、大変ですわ。
多分、住居(住)とか食堂(食)などを会社が合同で少々の負担と「市政府」がほとんど負担の形で「安定雇用」売りのインフラ整備で、都市間競争になるような気がするな。
高コスト上海
2004年8月17日
NNA
2004年08月17日 中国
進む外資大手の脱上海、高コスト背景に[経済]
英蘭系の食品・日用品大手、ユニリーバが生産拠点を上海市から安徽省・合肥に移転する方針が明らかになった。米化学大手のスリーエム(3M)も江蘇省蘇州市に新工場を建設する方針を打ち出しており、世界のトップ企業が上海から生産拠点を移行させる動きとして注目されている。背景には大都市ならではの高コストとともに、製造業育成に徹しきれない上海市政府の曖昧な姿勢もあり、「中国最大の経済都市」は成長の大きな曲がり角に来ているようだ。
■ユニリーバは移転でコスト48%減に
16日発売の週刊紙「経済観察報」によると、ユニリーバ(中国)は上海にあるトイレタリー製品の生産拠点を年末までに安徽省・合肥工業園区に移す方針を明らかにした。同社は生産拠点移転で48%のコスト削減が可能としており、今回の移転決定が上海の労働コストや工場管理コストが極めて高いことを示唆している。
また、3Mは今月3日、江蘇省・蘇州工業園区で液晶ディスプレーの輝度上昇フィルムなどを生産する新工場の起工式を行った。上海にある4工場に続く生産拠点だが、1期、2期投資を合わせると3,000万米ドルの大規模投資。同社は1984年の中国進出以来、中国本部機能・生産拠点を上海に置いていただけに同社内で上海の地位が今後、相対的に下がるのは必至となりそうだ。
3Mで大中華地区を管理する余俊雄・総経理は工場新設の理由を「蘇州の多くの優位点と関連産業の顧客が集積しているため」と説明しており、生産拠点の優位性が上海より蘇州に移っているとの見方を明らかにした。
■広がる浙江、江蘇との格差
生産拠点を上海から移す動きについて、復旦大学中国経済中心の張軍主任は、「上海経済は行き詰まりの状態にある」と分析。住民の可処分所得の上昇や、物価の高騰などで、「上海の労働生産効率は浙江、江蘇両省に比べ大きく落ち込んでおり、製造業での競争力はすでに優位性を失っている」としている。競争力の低下をコスト重視の外資企業が敏感に働き、生産拠点の動きにつながっているようだ。
■外資導入はわずか1.3%の伸びに
こうした傾向は外資導入にも影響している。今年上半期(1〜6月)の上海市の外資導入額(契約ベース)は、61億4,900万米ドルで、新型肺炎SARSの影響を受けた昨年同期と比べてもわずか1.3%増。浙江、江蘇両省の長江デルタ地帯の各都市が2けたの伸びを見せる中、伸び率の低さが際立っている。
上海市統計局のエコノミスト、蔡旭氏は「上海市の外資導入は落ち込み期にあたる」と外資導入が鈍化していることを認めている。上海市発展研究中心開放研究処の孫福慶・処長は「中央政府によるマクロコントロールの影響が大きい」と指摘。外資が進出しようとしている土地の国の認可が下りないことが背景にあり、数千万米ドルの投資案件の処理も滞っている事実を明らかにした。
■サービス業?製造業?育成で揺れる市政府
「上海で工場型製造業に前途は無い。今後10年間でサービス業が製造業に代わるのは必至のすう勢だ」。上海市委経済工作委員会の邱華雲・副主任はこうも述べ、上海市を生産拠点からサービス業の拠点とすべきとの意見も出ている。
ただ、昨年の同市の域内総生産(GDP)でサービス業が占める割合は48.4%。前年比2.6ポイント下がっており、サービス業の上昇傾向にもストップが掛かっている。
上海市政府は1990年代から、サービス業の振興を提唱していた。しかし、製造業の税収も無視できないとの理由から製造業の進出も支援する姿勢を昨年打ち出した。コストの比較的低い市郊外への進出を促すものだが、政策面で同市の目指す方向性の揺れを示す典型的なものといえる。
ニューヨーク、ロンドンなど国際都市では、サービス業がGDPに占める割合は85%以上に達しているとも言われており、国際都市を標ぼうする上海市がサービス業と製造業のどちらを積極的に育成していくのかが注目されているのは間違いなさそうだ。
大連は地方都市、上海は大都会。給料も2倍がとこ違うらしい。
若者はそりゃ憧れるわな。
今朝も6時からダム湖に釣りに行ったが、車で15分も走れば海だし、山方面に25分で静かな山間のダム湖で釣りが楽しめる。空港から15分で我が家だし、ウチから10分で中心部のオフィス街。
学生時代の便利な四畳半を思い出すね。
万年床にでんと居て、ちょいと手を伸ばせば何でも手に入る。本が読みたきゃ立って机に向かい、眠くなりゃしゃがんで床に入るだけ。理想的住まい、だったよなぁ。
友達酒もってやってくりゃ、はじめて床畳んで押入れに。空いたスペースに新聞敷いて円陣組んですぐ酒盛りだもんな。
「四畳半都市 大連」...受けないネw
田原総一郎がとち狂ったそうだ。
2004年8月17日
(あんた何様!日記)
(略)
◆高校野球が行われている時期は、関西のみ『サンデープロジェクト』が放送されないのですが、2ちゃんテレ朝実況版を見ていると、書き込まれる内容のほとんどが怒り狂っているので、これは絶対に見なければいけないと、CSチャンネルの朝日ニュースターで、20時45分から、その日放送分を再放送してくれるので、そちらで拝見したけど。
本当に腸が煮えくり返るほどの非常にむかつく内容でした。
田原さんが、北朝鮮へ赴き、北朝鮮高官と外交官にインタビュー。まぁ、あちらさんの言い分は、自分達にとって都合のいい事ばかり。
島本和彦『吼えろペン』より
自分がインタビュアーなら、殴ってやろうかと思うほどの発言と偉そうな態度。(殴ったところでどうなるわけでもないが。)あれを、「誠意を持った対応をしてくれた。彼らは本音で話している」という田原さんの目と耳は腐りきっている。(そりゃ確かに、彼らが北朝鮮にとって都合いい本音を話していたかもしれないけどさ。)あのインタビューを見て、すぐにでも国交正常化をしたいと思う人間がいるのならお会いしたいものです。
気になったのが、北の外交官が死亡者、死亡者と言っていた事だ、再調査中の拉致被害者情報って「より正確な死亡者情報」ってことなのか。
あげくに、田原さんは、今回の北朝鮮での自分のインタビューに酔いしれているのか、スタジオに招いた横田さんを始めとする拉致被害者家族の意見を否定し、しまいにゃ恫喝までする始末。
(マスコミ乞食の正体暴露、かな)
10人の拉致被害者の問題を、田原さんが何度も何度も「死亡者問題」と繰り返し、北朝鮮に頼まれて、拉致被害者がすでに死亡しているとの「既成事実」を作り上げようとしているようにも思えてきます。
これでは、北の代弁者そのものです。
あと、「日本は、独裁国家で残虐なことをした国々とも国交を回復してきた。日本人を抑留して多くを殺したロシア、何千万人を殺してきた中国、当時独裁軍事国家だった韓国、その他現在でも独裁国家とも国交は結んでいる。」
この発言は詭弁にすぎませんね。ソ連との正常化でも、中国との正常化でも、抑留者らは全員帰国していますから。
ここで意図されている「独裁国家」とは、数百人を超えると言われる日本人を無理やり拉致し(それも国家犯罪として)、その事についていまだにのらりくらりと嘘をつき通し、ましてや、それをネタに金や食料を巻き上げている国家です。
いまなお数百人もの邦人が拘束されつづけており、飢餓により自国内で大量の餓死者が出ても全くお構い無しの国家体制と、国交なぞ結ぶなんておかしいことぐらい分からないのでしょうか。
石原都知事の、「まず日本国家は、北が全ての拉致者を発表し、そのうち何人生きていて、何人死んで、何人殺したかの詳細を要求すべきだ」というのが正しい対応でしょう。
私たち第三者でさえ、非常にむかついたインタビューと田原さんの態度だったのですから、当事者達は、スタジオに招かれ、どんな気持ちであの場に座り、あのインタビューを見ていたのかと思うと、胸が苦しくなると同時に、何も出来ない自分に不甲斐なさと憤りを感じてしまいます。
(反感買ってでも視聴率さえ取れればいいてのんが、マスコミ乞食の所以=朝日の文革時の態度と同じ)
関連リンク:昨日の「サンデープロジェクト」雑感 (緑風香Weblogさん)スタジオに招かれた藤田進さんの弟・隆司さんのブログです。
英霊も救われない、拉致被害者も救われない (ぼやきくっきりさん)
檀君 WHO’s WHOさんこちらで昨日の放送の動画が見れます。
2004年8月15日の報道2001も必見!
なぁ〜んか、内地はえらいことが起きそうな感じ。
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ぼろぼろ出てくるんで忙しいね。
2004年8月17日
(殿下さま沸騰の日々)
■2004/08/16 (月) 支那の南京大虐殺宣伝。
どんどん掘ってねその墓穴。
時節柄突っ込みどころ満載の人民日報。さしずめ『人民をどり』やね(笑)。まずはこんな記事。『南京大虐殺記念館、改装へ。展示面積は3倍に』
(→http://www.people.ne.jp/2004/08/16/jp20040816_42429.html)。
南京の戦闘で死亡した(戦闘員を除く)純粋な民間人がどれだけの数に上るのかについては、各種の研究成果から少なくとも支那の主張する30万人超という数字が出鱈目であることは言うまでもない。だが、そういう史実と支那の政治的プロパガンダとの間には何の関係もない。
記事によれば『中国の民間や日本、ドイツ、デンマークなどの諸国から大量の資料が見つかり収集されている』ので資料を陳列する充分なスペースがない。だから改装が必要になったと支那はいう。
だが、その資料に『ラーベ日記』や『東史郎日記』などが含まれるという胡散臭さは、それが政治的プロパガンダだからである。こりゃまた大層な資料を発見なさったようで。ええ、ええ。そりゃ三倍の面積が必要でしょうとも(爆笑)。
・・そう嗤ったら続けてこんな記事。『南京大虐殺を研究する日本人教師、記念館が表彰』
(→http://www.people.ne.jp/2004/08/16/jp20040816_42413.html)。
記事は言う。『(南京大虐殺記念館)は15日、第1回目の「南京大虐殺史調査研究特別貢献賞」を日本人教師の松岡環さんに授与した』と。
これまた爆笑。なぜって、松岡環こそ知る人ぞ知るトンデモなプロ市民なのである。
松岡環は『南京戦閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言』と題するトンデモ本を二年前に刊行。その中で、登場する元兵士が匿名ばかりのインタビューを捏造しているのである。
小学校教師でありながら、彼は日本全国を旅して102人の元兵士を捜し当てたらしいが、なんと『1926年生まれの兵士』が南京で『若い嫁さんが隠れとったんじゃ。纏足で速く逃げられんで、そいつを捕まえてその場で服を脱がして強姦したんじゃ』と言わしめる出鱈目ぶり。
なにが爆笑かって、1926年生まれの兵士と言えば当時11歳。
捏造するにしても頭が悪すぎるのである。
江沢民指導下での階級苦(闘争)を捨て去った後の民族苦(闘争)という支那の政治的理由の下での南京プロパガンダ。
だが、いやだからこそ、出てくるのはラーベだの東史郎だの松岡環だのという『特殊な有名人』ばかり。結局、南京事件が史実でないことを自ら告白するようなものである。
さ、どんどんやってくださいな。その墓穴掘り(嘲笑)。
「1937年12月13日から6週間」てのが示された期間。
1926年生まれだったら、差し引き37-26=11歳だね。11歳で南京戦で強姦したというわけだね。あとで1916年生まれの間違いだとか訂正したらしいが、杜撰すぎるわな。
たまきんさんは、小学校女性教師かな。
あら?これ、おっさんか。たまきんだしな。
1947年生まれの見事な団塊の世代。
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面倒だが、このように逐一反論していかないとダメなんだろな。
2004年8月17日
(西村幸祐 酔夢ing voice)
■2004/08/16 (月) 靖国を巡る、無知と反日の連鎖
終戦記念日から一日経ったけれど、どうしても靖国の事を考えたくなる。相変わらず反日メディアが低レベルのプロパガンダを垂れ流しているし、それを日本、支那、韓国を結ぶ無知の連鎖が支えている側面もある。
無知が解消されるだけでも反日の連鎖を弱める事ができるのだが、外務省と日本メディアの海外への発信力はゼロに等しい。
朝日が得意げに報じた「近隣諸国の人々にも祈りを」河野衆院議長が追悼の辞でという記事は、これまで日本に計り知れない損失を与えた河野洋平と無批判でこの記事を書いた朝日がいかに無知であるかを暴露した。
(「江の傭兵」てのは、有名だな)
靖国の本殿左側の回廊の外側に鎮霊社という社があるが、そこには合祀されていない戦死者の他に国籍を問わず世界中の戦死者と戦禍犠牲者の霊が祀られており、神官が本殿と共に毎日それらの人々の霊に奉仕している。
靖国は近隣諸国どころか世界中の戦禍で斃れた人の霊を慰めている場所でもある。
河野洋平のせいで支那に残された旧日本軍の毒ガスとされるものに対して日本に何の責任もないのに処理のために巨額の税金が使われている。しかも外交カードにまでなってしまった。
日本が連合軍に降伏し即座に武装解除し、全ての武器弾薬が連合軍の管理下になった事もこの人は知らないのか?
昨日支那で起きたお決まりの靖国参拝への退屈な抗議も報道する価値のない情報だ。こんなニュースをわざわざ報じるから支那が付け上がる。
今日の朝日朝刊の社会面も典型的なプロパガンダ。「中国での加害体験を語る小山一郎さん(84)」が「中国で日本は凄く悪いことをしたのに、日本の指導者はふんぞり返って謝らない。中国人がブーイングするのはよく分る」という調子。
何の事はない。この小山一郎氏はあの悪名高き中帰連だ。撫順収容所でCIAも注目した支那共産党の徹底した洗脳が行われ、革命分子として評価された日本人から送還されたのだ。
そんな証言しか掲載できない朝日新聞は戦前と全く同じ様に日本と日本人の生命を危機に扇動する。
そんな中でフジテレビ制作のザ・ノンフィクション「終戦記念日スペシャル 黒島を忘れない〜59年目の“友よ”〜」は珍しく素直に感動できた。録画しておいて良かった。
つまりこういうことだろう。
旧大日本帝国軍の毒ガス弾ではあるが、その管理責任は武装解除(すなわち「没収」)をした「連合軍」(つまり国民党軍とソ連軍=ヤルタ密約による8.9一方的侵攻参戦)にある。
ここでもまた前振りが要るようで、一方的に日本だけが「国際条約違反の毒ガス兵器」を製造使用していたのではなく、ソ連(つまり兵器援助)・中華民国軍のそれに対抗したのである。お互い様てこと。
とにかくそういう毒ガス兵器を管理下に置いた彼らが処理しなければならなかったのを、日本残留資産強奪(発電所設備からトイレットまで)に集中していて(不)適当に埋めただけだったというわけ。
今や貧乏同士の「ロシア・中華人民共和国」にはそんな資金的余裕がないので「おねがいしまつ」ということで、「後始末やってあげてる」のが本来の姿なわけね。
やってることは同じでも、評価が全く反対だろてこと。
それを「江の傭兵」が、バカこいたから、「悪い先輩の後始末」をやってるてな絵柄にしかみえなくしてしもうた、てなことですね。
何も、そんなことやるなてなことは一切言ってないんだからね。
ODAだってそうでしょ。「止めろ」ていってんのは、全然評価されないどころか、結果的に余った(ホントかどうかはまた別)資金で他国に援助(外交手段として)したり果ては軍事費が毎年二桁代で増加してるんじゃ「自分の手で自分の首締めてる」ことと同じでしょていってるだけですね。
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憎しみを煽ることはないが、正当な批判はしなければ邦人の安全が脅かされる。
2004年8月17日2004/08/14 (産経新聞)
【緯度経度】古森義久
中国を増長させる「穏便な態度」
中国でのサッカー・アジア杯で中国人観客が日本や日本人にののしりを浴びせ続け、日本の国旗や国歌まで踏みにじる言動をとったことは、もちろん「たかがサッカー」などという事象ではない。小泉首相の靖国神社参拝との因果関係ももちろんない。
日本の首相の靖国参拝の有無にかかわらず、中国内部で長年、きわめて意図的、体系的に培われてきた反日の執念の産物なのだ。
中国共産党当局は教育と宣伝で日本への嫌悪を一般国民の心に植えつけてきたのである。
中国当局の自国民への反日洗脳工作に対しては、実は最近は日本よりも米国でその危険が頻繁に指摘されてきた。
「中国当局は『日本鬼子』と呼ぶ対象への憎しみを若者たちに植えつけることに努め、学校での教育、映画、テレビ、その他のプロパガンダの網を日本をののしることに動員してきた。その結果、日本への憎悪は危険な状態となった」
こんな警告を発したのはニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフ記者だった。二〇〇二年一月のコラムである。同記者は中国通だが、日本にも駐在し、日本を批判することが多かった。だからその中国の反日工作批判には客観性がある。
同記者は昨年十二月のコラムでも「中国政府が若い自国民に植えつけた感情的ナショナリズムは核兵器の増強よりも危険であり、その最大の表示が日本への態度だ」と論じていた。
西安での日本人留学生の寸劇や珠海での日本人観光客の集団買春への反日デモも「ナショナリズムによる過剰な反発」であり、中国側は日本に対し「過去の戦争の歴史をナショナリズムのあおりでヒステリックに誇張している」とも批判した。そしてその動機は、
「中国を団結させるイデオロギーとして反日ナショナリズムをあおる」
ことだというのだ。
クリントン政権で国務次官補代理として対中政策を担当したスーザン・シャーク・カリフォルニア大学教授も二〇〇二年に発表した論文で
「中国指導層は近年、自己の統治の政治的正当性に不安を抱き、その対策として反日などのナショナリズムをあおるために、日本に対しては戦争での残虐行為を絶えず指摘して日本を非難する」
と論じていた。同教授はその結果、中国国内での日本への悪意の態度は九九年に米軍機がユーゴの中国大使館を誤爆した直後の対米態度よりも険悪だと警告した。
コロラド大学のピーター・グリース助教授は今年一月に出した「中国の新ナショナリズム」という書で、
中国共産党の正当性を誇示するための反日ナショナリズムは日本からの譲歩を獲得する手段にも使われる
として、九八年の江沢民国家主席(当時)の対日謝罪要求の「計算された戦略」を説明していた。
米側のこれら識者はみな日本が中国にこの種の反日の教育や宣伝をやめさせるよう積極的に抗議することを提案していた。
ブッシュ大統領も二〇〇二年二月の訪中の際、清華大学での演説で中国の教科書の米国に関する記述のでたらめさや偏向を具体的に指摘した。
中国の教科書の日本に関する記述のひどさは本紙の「日中再考」という連載でも詳述したが、とにかく
小学校低学年用の読本から日本については日本軍の残虐と侵略だけをなまなましい表現で教え、南京攻略の際の「百人斬り競争」を写真入りで事実として示すのだ。
しかも戦後の日本については平和主義の志向も日中友好への努力も対中政府開発援助(ODA)も、中高校でなにひとつ教えない。
こんな現状にわが日本政府はどう対応しているのか。一時帰国の際、フジテレビの「報道2001」に招かれ、川口順子外相と同席した機会に同外相が中国の反日などほとんど懸念していない様子を目の当たりにみて唖然(あぜん)とした。川口外相は明らかに今回の反日行動をスポーツの次元でのごく一部の現象としかみず、中国当局の警備にむしろ満足だというのである。
同外相は日本の国旗が焼かれ、国歌吹奏が妨げられ、日本公使の車の窓ガラスが割られるという深刻な事態も他国の出来事であるかのように淡々と語った。。
そのあまりの平然さに黒岩祐治キャスターが思わず「川口さん、怒りというのはないのですか」と問い詰めたほどだった。
とにかく過小に、穏便に、なにも問題はないかのごとく、という川口外相の態度に象徴される対中姿勢こそが中国を増長させ、反日を正当化させ、長期的には日中関係を悪化させることだけは明言できる。
(ワシントン駐在編集特別委員)
「国定教科書。(だから全国これ一種のみ)
9年義務教育三年制初級中学教科書 『中国歴史』第一・二・三・四冊...おぃおぃ四冊もあるんだぜぇw。
高級中学(高校)課本 『中国近代現代史』上・下冊
ともに、人民教育出版社歴史室編著、人民教育出版社。
中学第一1992年10月、第二1993年4月、第三同年10月、第四1994年4月第一刷。
高校上下1995年6月第二刷。
「えざわ愛国反日」種本ね。」
小学校読本についてはわからないが、上記「中学」「高校」教科書は1992年から1995年には出版されて、それで全国区一律に「洗脳教育」がなされているというわけだね。えざわの政権と一致して、以来12年か。当時の7歳小学一年生は現在19歳に、16歳高校一年生は28歳か。サッカー場で率先騒動していた連中の世代と、ピタリ一致かな。
いままでがこのザマだからな。すぐには改まらないのではあろうが、それにしてもその「無様さ」には、「世代消滅隠忍待機」説でてくるのもわからないではないね。
しかし、国内での支那人の残忍犯行と今回のアジア杯での常軌を逸した反応のおおもとはこれだとの認識ができたからには、「普通の国の外交態度」をとっても支持は得られこそすれ反対はないように思うわれのだが。
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石原閣下のご登場。
2004年8月16日真の勝者たれ 東京都知事・石原慎太郎
国家が国家として在る限り、それぞれの国益を踏まえての、「国際的」と呼ばれる国同士の関わりは数多い形として在る。その最たるものは戦争に違いない。故にも経済や文化における国対国の関わりも、時には摩擦や衝突を超えて何々戦争とさえ呼ばれもする。
スポーツ競技は本来人間の肉体の能力の発露として構えられるものであって、余計な観念や思想をからませることなく行われる純粋かつ始原的な行為であり、政治と最も関わり少ない行事のはずだった。
しかしオリンピックが開催されるにつれ、文明の進展とともに世界が物理的、時間的、さらには情報的に狭まってきたことで、スポーツの国際競技は個人ではなしに彼らが属する国対国の競い合いという政治性を帯びるようになってしまった。これは当然のことながらスポーツの本質的な変容、引いては堕落にも繋がりかねない。
スポーツを露骨に政治に利用しようとしたのがかつてのベルリン・オリンピックにおけるヒトラーであり、最近では、サッカーのアジアカップにおける主催国中国の、日本チームに対するあの狂態だった。しかしこれは文明の進展のもたらす必然悪であって、今さらそれをどう回復できるものでもありはしまい。
ということを心得た上で我々は、我々の代表である日本チームに期待し声援を送りたいと思う。故にも、いかにも矛盾したいい方にも聞こえようが、故にも彼らには勝ってもらいたい。
国費で送り出される彼らにはそれ故の責任があり、期待が集められているのだ。
かつてアトランタ・オリンピックの折に、意外な不振であえなく最初の予選で敗退してしまったある女子選手が、帰国した折のインタビューで、しゃあしゃあと、「私は成績を気にはしていません。十分楽しんできましたから」と答えるのを聞いて腹だたしかったのは私だけではあるまい。
私は彼らには決して過重な結果を期待はしまいが、しかし渾身(こんしん)の努力はしてもらいたい。たとえ敗れはしても渾身の戦いは必ず、眺める者の心を打つ。それがスポーツという何よりも人間むき出しの方法の醍醐(だいご)味に他ならない。敗れても努め耐えぬいた者の姿は必ず、美しい。
私はそれをかつての東京オリンピックで最終日、最後の最後にメーンスタジアムのポールに初めての日章旗を上げたマラソンの円谷選手に見た。
解説席のモニターに映った、最後の中継カメラの撮した彼の走る姿はもはや体力の限界を超えたものだった。そしてそのすぐ後ろにイギリスのヒートリー選手が現れた。彼は無念にもバックスタンド前でヒートリーに抜かれ、四人目の選手も追い上げてきたが、必死に走りきって念願の日の丸を上げてくれた。
そしてその彼は怪我(けが)の癒えぬ体を一人かかえて、次のオリンピックへの過剰な期待に耐えかね静かに自決して逝ったのだった。
一体誰に、彼をそこまで追いつめるつもりがあったろうか。しかし彼のあの美しく切ない遺書を読んだことで、私たちはスポーツという無償純粋な行為の世界に励む者にこそ見られ得る、人間の切なさと美しさを骨身にしみて知らされることができた。
そしてまた、未曾有の回転レシーブを考え出し、しごきに継ぐしごきで東洋の魔女たちを育て上げ、大敵ソヴィエトを破って優勝させた「鬼」とも呼ばれた大松監督が、優勝の瞬間静かに微笑んでチームから一人歩みさり遠くから彼女たちを祝福する様子を見て、私は男と女の関わりの中での男の在り方をひしと教えられたような気がしていた。
私たちがオリンピックに求めて止まぬものは、そうした純粋な人間たちのつくり出す純粋な劇に他ならない。それは決してメダルに表象されるものではない。
しかしあくまで選手たちに知っていてもらいたいのは、そうした比類なく純粋な感動をもたらすものは、自分を殺しきった、血を吐くような努力の体現以外にありはしないということだ。
ヘミングウェーは『勝者には何もやるな』といった。私たちが今度のオリンピックで求めるものも、たとえ敗れようと何かを超えて勝った真の勝者をなのだ。
円谷幸吉の遺書
「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうごぎいました。
干し柿、モチも美味しゅうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。
克実兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうごぎいました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゅうごぎいました。
書久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうごぎいました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復単に便乗させて戴き有難うごぎいました。
モンゴいか美味しゅうございました.
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。
気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうごぎいました」
内地もまんざらおかしくないゾ。
2004年8月16日
(殿下さま沸騰の日々)
■2004/08/15 (日)
人民日報。時節柄の連日の因縁付けを注視せよ。
8月15日。毎年恒例の靖国神社参拝に赴く。大鳥居を過ぎてすぐに、例年と違うと気づいたことがふたつある。
ひとつは参拝客の多さ。もうひとつは若者の姿である。
拝殿まで30分近い行列。そして行列の中に10〜20台と思しき若者が多数。昨今この国で起きることどもを見てなにごとかを感じたひとびとが、英霊と向き合わんと欲したのであろう。若者とて例外ではない。靖国神社がわが国の社稷であるとひとびとが信じるからである。
そんなひとびとの祈りをあざ笑うある政党の声明を見よ
(→http://www5.sdp.or.jp/central/timebeing04/seimei0815.html)。題して『「敗戦の日」にあたって』。
わたしは大東亜戦争が日本の敗戦で終わったと思うし、それを『敗戦』と称することに何の躊躇もない。事実は事実である。
だが、日本人として8月15日をわざわざ『敗戦の日』と称してそれを記念するほど雑駁で下品な神経は持ち合わせていない。
理由は簡単である。日本にとって『終戦』は記念され得ても、『敗戦』は絶対かつ永遠に記念され得ないからである。
記念するとすれば、支那を含む戦勝国と南北朝鮮以外にない。
それを承知で『アジア近隣諸国との関係を著しく悪化させている首相や閣僚の靖国神社参拝は、厳しく批判されるべきであると同時に直ちにやめさせなければなりません』と述べる腐れ社民。
支那も早速アヤ付け
(→http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20040816k0000m010032000c.html)。
『アジア近隣諸国』などともごもご言わず、はっきり支那と南北朝鮮と言えよ。
日本の敗戦が嬉しくてたまらず、支那や南北朝鮮の内政干渉が嬉しくてたまらないらしい。
腐れ政党が敢えて『敗戦の日』と称する裏には底知れぬ悪意が潜んでいる。
さて、わたしが拝殿まであと少しのところに差し掛かったとき、前方から大声が聞こえてきた。参拝を終えた老紳士が参拝客に向かって語りかける声である。齢80を超えているであろう総白髪の老紳士。周囲は紳士に注目し、ざわめきは一瞬にして静寂となった。
老紳士は語った。
『祖国をこんな国にするために、われらは戦いそしてわが戦友たちは戦死したのではない。こんなにたくさんの若い人たちが参拝に来てくれて嬉しい。どうか若者たちよ。われらと戦友の思いを知って日本の将来をよろしく頼む』と。
期せずして参拝客からは大きな拍手が巻き起こった。
腐れ政党や支那が何と言おうと、靖国神社こそわが国の社稷であるとわたしは信じる。
* 社稷(しゃしょく)
1.〔礼記(祭儀〕昔の中国で、建国のとき、天子・諸侯が壇を設けて祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。
2.〔論語(先臣)〕国家。朝廷。「社稷を憂える」(広辞苑)
*しゃしょく 1 0 【社▼稷】
(1)土地の神(社)と五穀の神(稷)。
昔、中国で建国のとき、天子・諸侯は国家の守り神としてこの 神々を祀(まつ)った。
(2)国家。朝廷。
(3)朝廷または国家の尊崇する神霊。
「宗廟―の天照大神におはしませば/盛衰記 30」
(goo辞書)
この方は法律家らいしが、ここまで「気持ち」を代弁してもらえるとすっきり気持ち良過ぎて何にもコメント必要ない。だから単なるコピペになってしまう。
最後のエピソードはちょいとでき過ぎな感じがしないでもないけど、昨今のニュース(拉致・アジア杯)みてると、そういう老人が出てこないほうがむしろおかしいし、また時代の空気がそういう発言をしてもすんなり受入られるように感じもしたからだろうな。
マスコミの実態がこれだもん。
(宮崎正弘のコメント)岡崎久彦さんが言いました。「わたしに五分喋らせてくれれば日米関係は変わる」。
その自信のほどは別として、ワイド番組では専門家のとなりにすわるタレントやら競馬評論家やら芸能人が、たとえばイラク問題を評価する。その猥雑な知的頽廃の風景に耐えられないのです。
専門家に発言を求めない司会者。だから出演しても長くて2分、へたをすると40秒(テレビ局に聴いたら平均がそうらしい)。レギュラーの芸能人が目立とうとするのはディレクターの命令なのか、ゲストより長く喋る。
ですから原則の第一。ワイドショウには出演しません。第二。五分以上喋らせてくれない番組には出ません。
さてそうなると局が敬遠します(当然でしょうね。いまの時代の価値観はテレビ局側のほうが「偉い」わけで、ディレクターのフィーリングに遭わない人は呼ばれませんから)。というわけで朝ナマも過去二回、固く出演を辞退しました。
この間、中国の「反日騒ぎ」でも某局と某局から依頼がありましたが、条件を伺って辞退しました。
ではまったく出ないかと言うとそうでもないのです。日経テレビでの生島ヒロシ、三原淳雄さんとのトーク、メトロポリタンTVの独演会、宇宙放送テレビでは、じつは毎週のように出ていましたよ。というわけで、ときおり画面に現れるときがあります。
外地でシンプルに考える。または、「外地だと」...られる。
2004年8月16日
(クライン孝子の日記)
(略)
戦前中のあの国を思う特攻精神って、一体どうなったのかしら?
さて
< 私はフランス在住5年目になる恵美子(43歳)と申します。
はじめまして。
偶然貴女のHPにたどり着きました。
これからメルマガ.辛口コラムなど楽しみにしたく思います。
ところで貴女の辛口コラムVO.5「特攻隊精神とテロリスト」について。
ドイツではどうだか知りませんが、ここフランスではあのような
突っ込みテロを「KAMIKAZE」と呼んでいます。テロ事件が多いものですから、「神風」「神風」としょっちゅう聞く羽目になり、私としましては非常に複雑な気持ちです。なぜならば、
日本の特攻隊は敵軍を攻撃しましたが、市民は絶対に攻撃しなかった。
戦争中、日本軍は市民を攻撃はしなかった(もちろん巻き添えはあります)。
そういう意味で、現在のテロと特攻隊を一緒にするのはあまりに彼らに失礼です。(筆者註;おっしゃる通り)
こう考えていくと、現在の「戦争」がいかに「戦争」という定義から外れているか、めちゃくちゃかがよく分かりますね。
辛口コラム最新「外国人選挙権」 私も相当危惧しています。
いったいフランスなどを見ていても、外国はどこでもそうなのでしょうが、もちろん国をよくしていくためのアプローチ方法として左翼.右翼といろいろあるのでしょうが、例え共産党であろうとも「国防」に関してだけは挙国一致の一枚岩だと思います。
戦後の日本の状況はどうなのでしょう。
祖国を、同じ日本人が潰そうとしている。内部から腐らせようとしている
...現在の状態は、危なっかしくて見ていられません。
(所謂「反日日本人」の存在だネ)
何とか日本を毅然とした「普通の国」にするために頑張って行きたいものです >
内地でももう状況は違うようだ。
(西村幸祐 酔夢ing voice)
■2004/08/15 (日) 靖国から見た終戦記念日
(略)
終戦記念日に靖国神社と日本武道館は欠かせない。もちろん千鳥ヶ淵戦没者記念公園も含まれる。
ただ、最近は靖国神社だけが敗戦の日に英霊を偲んで顕彰するという本来の場から次元の低い汚れた政争の場に引き摺り下ろされている。
2年連続終戦記念日が雨にたたられるのは珍しいが、公約を破って支那と韓国の圧力で終戦記念日に参拝できない小泉首相や、それを取り巻く状況への英霊の怒りだろう。
終戦記念日に靖国が語られる時、通常は靖国が国民や政府から客体化された対象として語られる。だが、それはちょっとおかしい。たまには靖国の立場から終戦記念日が語られてもいいだろう。今日はそんな事を考えた。
なぜなら、靖国に眠る246万6000の御柱(みはしら)こそ、終戦記念日の主役であるからだ。
そう考えると新しい発見もある。今日参拝された方ならお気づきだと思うが、この4、5年、特に3年で若い世代の参拝者が急増している事だ。今日頂いた読者のメールにも驚きをもってそれに触れてあるメールがあった。
「数年ぶりです、恐らく4-5年位でしょうか。8月15日には行っていなかったので。今年も12時頃は、結構つよい雨でした。明らかに5年前には居なかったような若者の参拝者が多く(略)噂には聞いていましたが、目の辺りにすると驚きます。運営と言えば、お年寄りというような思いがありましたので」
久しぶりに参拝された方は誰でもこのような感想を持つのではないだろうか。特に雨だとお年寄りが足を運ばなくなり若い世代が目立つのかもしれない。ただ、
英霊にしてみれば、自分と戦った同世代よりこれからの日本を担う世代の増加は歓迎しているはずだ。
(60年経ってやっと目覚めた孫・曾孫世代が、顕彰・感謝してくれてるんだものな)
英霊の立場から最も過激でかつ正直な意見が出たのが一昨年の暮れだった。靖国神社と別の追悼施設を造る動きが出たときルバング島から生還した小野田寛郎元少尉が会見で述べたあの言葉だ。拙文から引用する
---------
「国が靖国を護持していないだけでも背信行為であるのに、国立追悼施設を作ったら裏切りであり、敵国として断定するだろう」。
さらに
「我々は死んだら神になって国民が靖国神社で手を合わせてくれると思えたからこそ戦えた」
とも言っている。つまり、追悼懇の考える新しい追悼施設ができたら、
英霊は日本政府を「裏切り」者の「敵国と」断罪する
とまで語っているのだ。
戦死者として一度靖国に祀られた経験のある小野田氏の言葉は限りなく重い。
---------
こんな説得力のある言葉はない。(続く)
■2004/08/15 (日) 続き
現在、殆どのメディアが靖国が何であるかを知らないまま低レベルな報道に終始し、支那と韓国はそれ以上の無知と無理解で靖国を攻撃する。
こんな無知の連鎖構造にそろそろ終止符を打つべきだが、向こうは反日イデオロギーの核として靖国を政治利用し続けている。
今日、私は午後になってから靖国に参拝したのだが、参道で偶然知り合いのサッカージャーナリストと遭遇した。遊就館でお茶を飲んでから立ち話をしていたら、今度は先日講演を行った史の会のメンバーの方々に声を掛けられた。昇殿参拝をするので一緒にどうかと誘われて、私も念願の昇殿参拝を果たした。
本殿の造作は美しく緑の中で静謐な佇まいを見せる。やはり日本の美は神道様式の中に定律として存在する事を再確認した。
虚飾を排した静謐さはただ鎮魂のためだけに存在し、そこには政治的な妄念やイデオロギーなど付け入る隙がないのだ。
「この建築を中国人に見せればいいんですよ」と私にメンバーの方が言った。英霊にとって政治的喧騒は本当に馬鹿馬鹿しいものなのだ、と改めて感じ入った。
(略)
基本的に、これは日本国民の心情なので、「下心ある他国民」には無理に理解してもらわなくても結構でいいんじゃないかな。同じような経緯ある「他国民」にはそれなりに受け入れられているみたいだし。
侵略した虐殺したとか(嘘)に慣れさせられて、こっち忘れちゃアカンぜよ。
2004年8月15日2004/08/15 (産経新聞)
【正論】杏林大学客員教授・田久保忠衛
真の平和は祈るだけでは望めず疑わしい「加害者の視点」の論理
≪訳知り顔の反戦平和企画≫
ちょうど三十年前に旧ソ連政府の圧力で上映禁止になった幻の名作「氷雪の門−樺太一九四五年夏」をビデオで観た。八月十五日の日本政府によるポツダム宣言受諾後も日本軍および日本の民間人に対する悪逆無道なソ連軍の攻撃には目を蔽わざるを得なかった。最後まで通信連絡の義務を果たしながら、ソ連兵の手にかかるよりはと青酸カリを飲んで自ら生命を絶った真岡郵便局電話交換手九人の女性を描いたシーンに涙しない者はいないだろう。
しかし、終幕に登場する「真実を見つめ、永遠にいくさなき世界平和の確立を…」との文字はすこぶる気になった。戦いを嫌い、平和を祈ることに異論を唱える人はいないが、それほど貴重な平和を脅かそうとする国家やテロリストにどう対処するのかの回答はない。この映画を観る人々を自動的に「反戦・平和」のパシフィズム(無抵抗主義)へと誘う魔力を秘めた表現ではないか。
今年も例外ではないが、終戦記念日に向けて繰り広げられるテレビ、新聞の企画物には沖縄戦、広島、長崎の原爆被害などの悲惨さを取り上げたものが多い。これで無力感に陥る人々の数は少なくないと思う。多くのナレーションに埋め込まれているのは日本の軍部を悪者にした「加害者の視点が必要だ」との訳知り顔の解説だ。
≪忘れてならないソ連参戦≫
ただ、自虐史観に凝り固まった向きにとって都合の悪いのはもう一つの終戦史、つまりソ連軍による旧満州、樺太、千島の侵略とそれに付随した悲劇であろう。
絶体絶命の危機に追い込まれた日本はこともあろうにソ連に終戦工作を依頼した。ヤルタ密約以前から日本攻撃をほのめかしていたソ連は密約をまたとない口実に使った。
当事国の日本を抜きにして日本の領土の帰属を話し合った悪名高いヤルタ協定は戦後、米英両国によって正式の意味はないと否定されている。
ソ連は広島への原爆投下を眺め、長崎にも投下される八月九日午前零時を期して百六十万の大軍を満州正面に投入し、次いで樺太・千島を侵略した。日ソ中立条約を無視し、ポツダム宣言を受諾した後は満州、北朝鮮、樺太、北方四島を含む千島列島の占領を行った事実を我々は銘記しておく必要がある。
約六十万人の関東軍は停戦後にシベリアを中心としてモンゴル、中央アジア、ヨーロッパロシアにわたる収容所大小合わせて二千カ所に抑留され、樹木の伐採、炭鉱作業、鉄道建設など過酷な労働に従事させられた。抑留期間の最長は十一年、飢えと寒さと病で六万人が生命を失った。
中学校の教科書には、「歴史教科書をつくる会」編のものを除いて、この国家的犯罪の記載がない。まさか、「加害者の視点がない」との理由で編者が意図的に事実を割愛したはずはなかろうが、どうであろうか。
忘れてならないのは日本の民間人の悲惨な被害である。中山隆志・元防衛大学教授によると、旧満州の在留邦人は関東州を含めて約百五十五万人、北朝鮮二十八万人、樺太四十万人、千島一万六千人だった。
これらの人々がどれだけの悲痛、地獄の苦しみを味わったか。中でも婦女子に対する暴力がいかに凄まじいものであったか。「氷雪の門」はほんの一例にすぎない。
≪事実だけは語り継ぐ責務≫
独立行政法人の平和祈念事業特別基金が長年発行し続けている体験者の文集「平和の礎」は、事実を訴えている。とりわけ、ソ連国境に近い辺境地区で生活していた満蒙開拓団二十七万人の悲劇は、とうてい筆舌に尽くし難い。
麻山事件を知っている人は少なくなっていると思う。旧東安省の哈達河(ハタホ)開拓団一千人が荷馬車で牡丹江へ避難の徹夜行軍をし、麻山に差し掛かったとき、日本軍に協力していた満州治安部隊の反乱部隊とソ連軍戦車双方の攻撃を受けた。団長、貝沼洋二氏ら幹部は、敵によって婦女子が辱めを受けるよりは自決を選ぶほかなしと判断し、男子十数人が女子、子供四百数十人を突き殺した。
先の戦いには日米、日中、日ソなどあまりにも多面的関係が多すぎるが、日ソ間の出来事を忘れるわけにはいかない。
徒に反露感情を掻き立てたり、特定の国に対する憎悪感を育てる教育をする愚は厳に戒めるべきだが、事実だけは語り継いでいく義務がある。
そして、真の平和を望むのであれば、お祈りだけでなく平和の敵に対する備えを怠らず、「加害者の視点」などという一つ覚えを捨て去らなければならない。八月十五日の意義を再考したいのである。(たくぼ ただえ)
へぇ〜。沈没船から逃げ出す鼠か。
2004年8月15日
アジアカップ・サッカー競技に寄せて(2004年8月11日)
私たちは、この度中国三都市におけるアジアカップ・サッカー競技に際して発生した事態を大変残念に思っています。とくに、競技に先立ち出場国の栄誉を称える国歌斉唱に際し、日本の国歌に対して多くの中国の人たちの礼を欠いた言動は極めて遺憾なことでした。
スポーツ競技、なかでもサッカー競技が往々にして観戦者の度を越した感情の発露、時としては暴力行為をも招来することは、これ迄も例がなかったわけではありません。私たちは、中国側が主催国として競技の円滑な運営のため多大な努力を払われたことは十分認識しています。
しかし、今回、中国における競技に際して、中国の観戦者たちから日本の選手たちとサポーターたち、そして日本の国に対してあびせかけられた数々の言動は、これをスポーツ競技がもたらした一時的な興奮として片づけることができないものをもっているように思います。これをとらえ、すでに、一部の関係者が2008年北京オリンピックとの関連で問題を提起するに至っていることを懸念致します。
私たちは、アジアの友邦として、北京オリンピックが世界に誇り得る成功を収めることを祈念するものであり、そのため中国政府、中国側関係機関におかれて適切な措置をとられ、事態が改善されることを強く望みます。
日中両国が、お互いに感情的にいがみ合っては、失うものこそあれ、得るものは何もありません。この点は、勿論私たち日本側においても十分心すべきことです。二十一世紀の東アジアの行方を決めるのは、日中関係であるといっても過言ではありません。そのように考える時、私たちはお互いにいがみ合っている余裕などないのです。
私たちは、これ迄の中国との幅広い交流を通じて多くの中国の人たちが、日本との平和友好関係の発展に強い思いをもっていることを承知しています。今回の事態を深刻に受けとめた人々の中に、志を高く持って日本で学業にいそしむ多くの中国の若者たち、或いは日本で中日関係の仕事にはげむ中国の人たちが多くおられます。そして、同様の立場で中国に在住する多くの日本人もまた同じ思いであったことと確信しています。
重慶で、済南でそして北京で日本に対してあのような行動とった中国の観戦者には是非、機会があれば日本にいらっしゃり、現実の日本にふれていただきたいと思います。そうすれば、日本の大多数の人々が、中国に暖かい心情を寄せ日中友好関係を如何に大切なものと考えているかを自ら発見されると思います。
私たちは、この際お互いの感情を静め、いま一度日中国交正常化の原点に立ち返り、両国関係の発展のために中国側において私たちと志を同じくする数多くの中国の友人たちと、共に努力し続ける意を改めて強くします。
2004年8月11日
社団法人日中友好協会
財団法人日中友好会館
ほぇ。「ここ」が、「抗議」ねぇ。
かっこつけてないで、ご懇意のえざわ御大に直言してよ。
(殿下さま沸騰の日々)
(略)
支那がまだアヤ付け。人民日報の記事で、支那大使館の黄星原参事官の発言抄録を知る(→http://www.people.ne.jp/2004/08/06/jp20040806_42098.html。なお、6日付記事であるがネットへの掲載タイミングは14日)。黄参事官は、支那人のア杯暴動をこう評する。『中国のサポーターは試合に反応しただけで大げさに騒ぐほどのことではない』と。その理由は、日支戦で重慶が爆撃され、小泉首相が靖国神社を参拝して支那人の感情を傷つけたからだと。支那は悪くない日本が悪いというわけだ。『日本もこの問題を通じて自己反省を行いわが身に原因を探してほしい』と。さらに、この問題を契機に小泉首相の靖国神社参拝を阻止しようと政治的意図を持ってアヤ付けしてきたのは支那のくせに、この外交官は『われわれは政治をスポーツへ持ち込むことを望まない』などと平気で述べる。
けっ。どの口が言うかどの口が。この腐れご都合主義め・・。
と思ったら、米国で警備員に殴られた民間人の支那女を擁護する人民日報のご都合主義的論説。あまりに数が多いので、人民日報の検索で支那女の名前『趙燕』を検索してね。米国で殴られたこの支那女について、支那外務省は『この生命を無視し人権を侵害した残虐な事件の容疑者を法により処罰するよう米国側に求めた』と言う(→http://people.ne.jp/2004/07/25/jp20040725_41640.html)。
ほほぅ、ならば支那外務省に聞くが、ア杯の暴動で日本の民間人だけでなく大使公使に暴行を加えた支那人はどう処罰する気か。『生命を無視し人権を侵害した残虐な事件の容疑者を法により処罰』してみんか。支那女が殴られれば大騒ぎしても日本人への暴行は『大げさに騒ぐほどのことではない』というご都合主義に唖然。
さあ。日本も支那外務省と同じく、ア杯での『生命を無視し人権を侵害した残虐な事件』に支那に対して断固たる措置を要求してみれ・・。
え?川口ポン子が『中国政府は努力をした』と支那を誉めてるって?
嗚呼。支那がご都合主義なら、わが国はただのヘタレ(泣)。
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若者よりも、我々の世代の「修理」または早期退出が必要らすぃ。
2004年8月15日(西村幸祐 酔夢ing voice)■2004/08/14 (土)
貧弱、衰退、去勢を象徴した、開会式の日本選手団衣装
またか! と悲鳴を上げた人も多かっただろう。
アテネ五輪の日本人選手団のコスチュームだ。今回は高田賢三氏のデザインらしいが、そもそもオートクチュールのデザイナーに依頼する神経も意図も分からない。
帽子、ポンチョ、団扇の三点セットがさらに日本人選手団を貧相なものにした。
もともと日本人の美的センスは素晴しかったが、なぜ、最近の日本人は美意識をこれほどまで崩壊させてしまったのか?
4年前のシドニーの衣装もあれだけ酷評されたのにJOCに巣喰う広告代理店やJOCは何も反省できなかった。団扇を持たすならスペインのように扇子にするべきだった。
あの帽子とポンチョが限りなくだらけた今の日本を象徴していた。
フランス人が他国の文化を侮蔑するフランス文化中華主義を持っていても五輪の開会式で日頃の傲慢さが許されてしまう。フランス選手団のコスチュームは私が知っている限りこの40年間で一度も洗練さと美しさを失った事がないからだ。
先進国のコスチュームは押しなべて背筋がピンとした美しさがあるが、どう見ても日本選手団の衣装はアンフォルマルな醜悪さしかない。日本人の勘違いがこんな所に顔を出して恥ずかしい限りだ。
昨日、チャンネル桜の16日OAの開局記念討論番組「どうなる日本 どうする日本」の収録で団塊の世代が日本の癌として槍玉に上がったが、本当に団塊の世代が決定権を持つようになってから、日本の凋落は著しい。
背筋がピンとした美しさ、つまり凛とした美しさを喪失したのは、去勢状態が日本全体を覆っているからだ。
アトランタ、シドニーと五輪は2回連続取材をしたが、今回は国内の反応も手に取るように分かるので面白い。
昨日の収録で驚いたのはチャンネル桜の女性キャスター陣の素晴しさだ。みんな知性、美しさ、若さを備えている。若い世代からまともな女性の論客が育って行く事に大いに期待したい。既存の地上波局ではなかなかお目にかかれない布陣だが日本人のための新しい情報発信拠点になるだろう。
昨年夏まで小林よしのり氏の敏腕秘書を務めていた金森由利子さんも自然体で自分の言葉で憂国を語る。
彼女と大高未貴さん、芳賀優子さんが担当する「暴走246」という番組は3人娘の憂国談義になるようで面白そう。外交問題が専門の鈴木邦子さんのリアリスティックな目にも期待したい。途中から駆けつけた増元照明氏も拉致問題の番組を担当する。
団塊の世代
第二次大戦後、数年間のベビーブームに生まれた世代のこと。
堺屋太一が命名し、「昭和22年から26年頃までに生まれた人々」(1947年から1951年ごろまで)という定義をした。
人口構造に基づく厳密な定義ではもう少し幅が狭くなる。堺屋太一のその著書、「団塊の世代」(ISBN:4167193035)によれば、
日本民族は終戦直後の1947年から1949年にかけて、空前絶後の大増殖を行った。この3年間に生まれた日本人は、その直前よりも20%、直後よりも26%も多いのである。
この原義が拡張され、1943年〜1953年生まれの世代を次のように分類することもある。
プレ団塊 1943年(S18) 〜 1946年(S21)生まれ
団塊 1947年(S22) 〜 1949年(S24)生まれ
ポスト団塊 1950年(S25) 〜 1953年(S28)生まれ
世代に連結するキーワードは、
受験戦争、競争
全共闘
ジーパン
ニューミュージック
ニューファミリー
などなど新しい価値観、生存競争などのイメージがある。
アメリカ・ヨーロッパではベビーブーマー世代、と呼ばれる世代に相当し、クリントンやシュレーダーを輩出。
http://www12.ocn.ne.jp/~bamboo-i/sub11b.html
* ふりがな:だんかいのせだい
「尊い犠牲」の意味。「一億総玉砕」について。
2004年8月15日2004/08/14 (産経新聞)
【正論】東京大学名誉教授 小堀桂一郎
今一度考えたい「8月15日」の意味
靖国の英霊に国民的感謝捧ぐ日
≪4月28日こそ終戦記念日≫
毎年八月十五日といふ重大な記念日を迎へる度に気になるのがこの日の「記念」の意味づけである。市販の日記、手帳、暦の類を見ると、その多くは「終戦記念日」としてあり、そこに「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」等の付記が添へてある。
既に幾度か諸種の紙面で筆にしてゐることなのだが、我々が「終戦記念日」と考へるべきは、正しくは四月二十八日である。
それは昭和二十七年のこの日付を以て、前年九月にサンフランシスコで調印された日本と連合国との間の平和条約が法的効力を発生して名実共に戦争状態は終り、日本国が(沖縄県を除いて)米軍の軍事占領から解放され、独立の国家主権を回復し得た日だからである。
先帝陛下が、四箇国共同のポツダム宣言を受諾して戦争終結の手続きに取掛れ、と政府に命じられ、且つその御決断を全国民に布告せられた二十年八月十四日付の詔書は、今単に「終戦の詔書」と呼ばれてゐる。上記の含みを理解しての上のことならば、この呼名は一応正しい。
従つてこの詔勅が所謂玉音放送を通じて全国民に布告せられた十五日は、謂はば終戦詔書奉戴の記念日である。それを短絡的に「終戦記念日」と呼んでしまふと、この一片の詔書を以て「終戦」そのものが成就したかの様な誤解を喚び起す。そして
その後に続く六年八箇月の軍事占領中に蒙つた日本破壊工作の凶悪と禍殃(かおう)をとかく忘れさせることになる。
≪国土分割を避け得た背景≫
八月十五日の記念日としての意義は、この詔書に象徴される二百十三万余柱の(狭義の)大東亜戦争戦歿者の霊に向けての哀悼と感謝の日であると考へたい。
暦・手帳の類には確かに戦歿者を追悼する日と明記されてゐるが、筆者が今特に「感謝」の一語を書き添へたのは以下に述べる関連によつてである。
一九四三年(昭和十八年)十二月一日付の米英華三国共同のカイロ宣言では、対日戦争の終結方式は日本を「無条件降伏」に追ひ込む形を取る、と明言してゐる。
この「無条件降伏」といふのがどんなに残酷な終戦形態であるか、国民の大半が正しく認識してゐない。然し理解は簡単である。昭和二十年五月のドイツの敗戦の姿を見ればよい。あれが無条件降伏の実態である。その結果はドイツはどうなつたか。
米英仏蘇四箇国の軍隊による分割占領・共同管理であり、やがて東部ドイツのソ連占領地区は鉄のカーテンで囲ひ込まれたソ連の衛星国の一とされてしまふ。
日本がもし無条件降伏といふ形で敗戦を迎へてゐたら、同じ運命が我々を襲つてゐたであらう。
北海道はソ連占領地区となる。そして現在の我が北方領土の在り方から見て、停戦後五十九年を経た今日でも依然としてロシア領であらう。本州以南は米英華三国の共同占領となつたであらうが、
もし中共が中華民国から日本占領の権限まで奪ひ取つてゐたらどうなつてゐたか。
想像するだに慄然とする事態であるが、幸ひにしてこれは想像にとどまる。
≪あの自己犠牲無かりせば≫
カイロ宣言署名の三箇国が無条件降伏方式による日本打倒を断念し、ポツダム宣言といふ形での条件付停戦交渉を提案してきた動機は何であつたか。
二十年六月の第八十七臨時帝国議会に於ける鈴木貫太郎総理の施政方針演説が実は合衆国向けの暗号通信であり、その暗号が時の国務長官代理ジョセフ・グルー元駐日大使によつて首尾よく解読されたことが戦時外交として大きな成功だつた。
−−日本国の無条件降伏に固執するならば、日本国民は一億玉砕を覚悟で抵抗を続ける、米軍将兵の死傷が何万に達するか知らぬがそれでもよいのか、との鈴木首相の所謂「弱者の脅迫」の現実性を裏付けるに十分な、日本軍将士の文字通りの死闘が米軍の眼前に突きつけられてゐたからである。
硫黄島、沖縄の地上戦に於ける日本軍の戦ひぶりは米軍の心胆を寒からしめた。
神風、回天、そして戦艦大和の特攻出撃等々は、作戦上の実際の戦果はさて措いて、連合軍の兵士達に与へた心理的恐怖の点で「戦略的」に重大な意味があつた。
連合国が無条件降伏方式を放棄して、停戦交渉の提案に切り換へたのは、戦争末期に於ける我が勇士達の捨身の攻撃に遭つて、日本国民の戦意に心底からの恐怖を抱いた故である。
我が国を国土分割占領といふ滅亡の危機から救つたのは、現に靖国神社の御祭神である幾万の英霊の自己犠牲の死である。
この認識を以て、我々は改めてこの日を英霊への哀悼と感謝の日として意味づけようではないか。
(こぼり けいいちろう)